第43話「低次元な前哨戦」

 彩子あやこは徹底的に空気を読まない。そもそも空気を読む、場に合わせるというのが苦手だ。「ならば態々わざわざ、合わせる事はない」と判断できるのが、彩子が変人と呼ばれる所以ゆえんでもある。


 突拍子もない書き込みが来れば、掲示板を見ている者は一様に思考を奪われてしまう。


 ――特にこんな状況だと、敵か味方か分からないヤツが来たら混乱するダロ?


 レスポンスがなくなってしまえば、後は彩子の独壇場だ。


 炎上させる事が目的ではないため連投は避ける。


 ――目的はを無関係な話で埋め尽くす事だヨ。


 律子のりこに自分が蚊帳かやの外に置かれていると感じさせる事と、その中心に彩子が居座る事とが重なれば、律子の標的は彩子に絞られる、というのが 狙いである。


 ――連投し過ぎて、ただの荒らしだ無視しようって事になると失敗だからネ。


 気持ちがはやり、先行してしまいそうになるが、それを抑えるすべくらいは彩子も心得ている。


「さて……」


 時計を一瞥した彩子は、この時間にする事がある。



 曾祖父のノートに書かれた並列世界へのを用意する事と、それを使って逆転の一手を打てるようにする事だ。



 一から準備するのならば間に合わないが、時男から生霊の可能性があると聞かされた時から用意を開始している。


 ――まぁ、転ばぬ先の杖だったネ。


 役に立たないならば役に立たない方が良かったものであるのは間違いない。


「ふん」


 作業机の上に並べていく装備を前に、彩子は一度、鼻を鳴らした。


 PCV塩化ビニールを使った服と靴、水銀を使った江戸時代の白粉、硫化水銀を主成分とした朱が置かれている。


「おっと」


 彩子はわざとらしい声を上げ、パンッと自分で自分の頬を両手で叩いた。時間を浪費している場合ではない。


 ――もう続木つづき律子のりこの事なんて意識から逸れたカナ?


 パソコンの画面へ目を戻す彩子は、一瞥いちべつしかしない。掲示板に書かれている内容を一々、読む必要はなく、また彩子もまともに読んではストレスが酷い事を心得ている。


 ――3000万もかけたところで、Fランじゃ英語どころか日本語も怪しい挙げ句、パソコンもろくに使えないヤツにしかならないから安心しろ。


 進み具合だけを確認し、思った事に悪辣あくらつな言葉をラッピングして書き込む。「Fラン」が何を基準にした言葉なのかすら知らない彩子だが、これがあおりの言葉になるのだけはわかっている。


 律子が通っている大学と、悶着を起こす事になったパソコンとを組み合わせたのは、彩子自身が絶妙と自画自賛したくなる内容だった。


「来たネ」


 横目で見ている彩子は、ついたコメントが律子のものだと確信した。


 表示されている名前が続木律子というだけでなく、内容もだ。


 ――まだパソコンとかいってるヤツがいるのか。今や保険のセールスだって持ち歩いてないぞ。高卒なんだからもっと努力しなきゃニートから脱却できないぞ。


 彩子は一瞥しかしない。


 ――専門職の事を知らないなんてFラン出身あるあるですね。


 返す言葉は決めているのだから、内容の精査など無用だからだ。


 ――はいはい、ニートニート。


 ――相手の手を封じられないなんてFランあるあるですね。


 彩子は徹底して鸚鵡返ししていく。


 ――鸚鵡おうむがえしは止めた方がいいな。頭が悪く見えるぞ。


 ――相手の手を封じられないなんてFランあるあるですね。


 ――きっと泣きながらこれ書いてるんだろうなぁ。悔しくて悔しくて仕方ないんだよね? ねえねえどんな気持ち?


 ――相手の手を封じられないなんてFランあるあるですね。


 反論せずとも、この遣り取りで十分、律子はヒートアップしてくれる。


「性格だネ」


 キーボードを叩きながら、彩子は含み笑いを漏らしていた。


「争うのが好きでもいいし、勝つのが好きでもいいサ。でも、相手を負かすのが好きってタイプは、こういう遣り取りが耐えられないんだヨ」


 聞いている相手がいる訳でもないのに声に出してしまうのは、最も分かり易い相手だからだろうか。


「さて?」


 レスポンスのスピードが鈍ってきたところで、彩子は内線電話を手に取った。


「矢野デス。多分、そろそろ来ると思いますヨ」


 直感をそのまま時男へ伝えた。


 人が相手ならば、こんな断片的な情報からの追跡など不可能だが、律子は生霊。


「どんな手段で情報収集してくるか分かりませんケド、ダダ漏れくらいに考えていた方が良いでしょうからネ」


 彩子はバトルも中断している掲示板を一瞥し、パソコンの電源を落とした。



***



 確かに律子はあらゆる制約から解放されている。理屈ではない、論争になった相手の所在を知る手段、というものを身に着けていた。


皆生かいきホテル」


 ベクターフィールドとリトルウッドを倒した相手に対して抱いている感情は、ただただ純粋な嫌悪だった。


「朗報よ」


 彩子がいるオフィス棟を見ながら、律子は口を大きく開けて笑う。


「これからあんたたちは、不死身の怪物として生きていける」


 笑う背後には、虚ろな目をした霊たち。



 律子が狩ってきた・・・・・かつてのクラスメートたちだ。



「さ、地獄で楽しみなさい」


 律子がパンパンと手を叩くと、霊たちは一斉に走って行った。


「馬鹿な奴らだった」


 霊を見ながら律子が思い出す顔は二つ。


「魔王だか悪魔だか知らないけど、馬鹿な奴らだった」


 リトルウッドとベクターフィールド――眷属らしい眷属のいなかった二人だ。


「こうやったら、いくらでも集められたんじゃない。何でやらなかったのか、理解できないわ」


 律子の嘲笑が、最終決戦への号砲となる。

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