第44話「宴の支度は調いました」

 この状況を「計算通り」といえる者が、果たしてどれだけいただろうか?


 少なくとも時男ときおはいえない。そもそも皆生かいきホテルが扱う霊の事件に、防犯思想は非現実的だ。事件が顕在化してからスタートするのだから、防御側より攻撃側が有利になる。


 全てを数式と化学式で解けると思っているような彩子あやこでさえ、相手のアクションに対し、リアクションしていくしかない状況は計算通りに行かないものだと心得ている。


 だがこの時、律子のりこだけはいう。


「計算通り」


 てんやわんやになっている皆生ホテルのオフィスとうを見遣り、律子は笑っていた。


 ホテル本館と独立して存在するオフィス棟は、霊が攻められる隙は少ない。建物自体も、RC――鉄筋コンクリート――ではないく、PC製――プレストレスコンクリート製――であり、窓ガラスも全て鋼線の入った物を使っている。


 そして律子が生霊化した情報を得ているため、オフィス棟は戒厳令下といっていい非常態勢を取り、待ち構えていた。


 攻めあぐねいている霊を見ると、決して順調、計算通りとはいえない状況であるのに、律子は繰り返す。


「計算通り」


 歩を進める律子は、進撃のスピードを落としている霊に「退け」と告げた。


「こうやるんだよ、見とけ!」


 圧縮に強く、引っ張りに弱いコンクリートの利点と欠点を活かすため、あらかじめ加圧して製造されるPCを、律子の手は容易く切り裂いていく。


 爆裂したコンクリートから覗く鉄筋は、溶断されていた。本来、鉄は霊が触れない物質であるが、叩きつけた時に発生するエネルギーを熱にして叩きつけた。


「ほら、とっとと行け!」


 律子にいわれるまでもなく、霊たちは動いた。室内戦となれば、人間は途端に不利になる。霊の身体を形成しているは、貫通か両断する事でしたか破壊できない。貫通させるならば、それなりの長さが必要となるから槍か矢がいるし、両断するならば剣がいる。長さのない銃弾は効果を示さず、また電荷的に中立の鉛は霊に有効な物質ではない。



 得物を振り回すのに不利な室内は、圧倒的に霊が有利であると知っているからだ。



「ふん」


 律子はまた鼻を鳴らし、自分は空を見上げる。


 その目に浮かぶ光と、口元にたたえられる笑みは、勝利を確信しての事。


「さ、地獄で楽しみなさい」


 オフィス棟へ殺到していく霊に、もう一度、同じ言葉をかけてから、律子は地面を蹴った。


 垂直の壁を蹴って向かうのは屋上。


 世界中の支店と繋がっているオフィス棟は、屋上にヘリポートも備えてある。


 ――そこから天井を崩して降りていけば、逃げ場はない!


 律子にとって、彩子は自分の手でひねり潰さなければ気が済まない相手だった。


 屋上へと身を躍らせる律子は、右手に玄関を破壊したエネルギーを溜め込む。


 それを着地と同時に叩きつけようとしたのだが……、


「!」


 直前で律子はそれを断念した。



 水平発射し、その反動で横へ身体を逸らさなければ、一刀両断されていたからだ。



「ジジィ……」


 自分の着地点を狙って斬撃を放った男に対し、律子はギリッと歯軋りする。


 鈍色にびいろの閃光にすら見える斬撃を放ったのは、この屋上で待ち構えていた時男のもの。


「二面作戦を執ると思っておったよ」


 生霊すら切り捨てる剣を構えながら、時男が律子を睨み付ける。


「卑怯者には、卑怯者のする事はわかるのでな。待ち伏せさせてもらった」


「なめるな、ジジィ! ゾンビのなり損ない!」


 律子は灼熱化した言葉を吐き出しながら、時男へ拳を振るった。



***



 ――地元まで、どうやって帰る?


 あきらを連れて足早に歩く孝代たかよは、自身の故郷までの道筋を考えていた。


 ――飛行機はダメ。生霊に襲われたら対処のしようがない。落とせば済むんだから、私の前に出てこないかも知れない。


 最も早く着くが、空路は選択肢から除外するしかない。


 ――船……も同じか。沈める方法はいくらでもある。


 飛行機に比べれば沈みにくいのかも知れないが、やはり船も怖い。


 ――車?


 陸路といえばそうなるが、生霊となった最初の犠牲者が愛車の中で殺された事を考えると、その選択も難しかった。旺とでんがいるので同じ結末にはならないかも知れないが、運転できるのが孝代しかおらず、高速道路を走っている時にハンドルを取られればお終いだと考えると、やはり現実的なのかどうか悩んでしまう。


 最後に残るのは……、


「歩く?」


 それこそ無茶な話だ。徒歩の旅行でも、一日に歩く距離は30キロ程度と想定されている。50分の移動と10分の休憩を8時間繰り返せばそうなる計算だが、それは幼児を連れている事など想定していないのだから。


「ねェ……」


 迷わされた孝代の足を旺が止めさせた。それはオフィス棟で起こった戦闘が理由かどうかは分からない。


 ただ時男と律子が直接対決を開始した時間と、旺を連れた孝代が足を止めたのは同じ時間だった。


「何? 早く行かないと、お祖父ちゃんに怒られるよ?」


 見下ろしてきた孝代に対し、旺は口をへの字にして見返し、


「お祖父ちゃんのところに行くぜぃ」


 旺が口にした場所は、最も近づいてはならない。


「あのね……」


 孝代は旺の前に屈み、両手で肩を掴んで首を横に振る。


「今、お祖父ちゃんが――」


 孝代に言い聞かせられるいい言葉が浮かんだ訳ではなかったが、どんな言葉であっても旺は遮った事だろう。


「お祖父ちゃんは、もう一回は生き返ってくれないんだぜぃ」


 奇跡の生還を果たしたあの日、時男は旺にそういったのだ。


 ――あァ、最後の一回じゃからな。生き返ったぞ。


 その時男が死闘に身を投じている事は、誰からもいわれていなくとも感じ取るセンスくらい旺にもある。


「でも危ないの。それを知ってるから、杉本さんはおーくんと私に逃げるようにいったのよ?」


 そこから先は躊躇ためらってしまうが、孝代もしっかりと旺の肩を掴んで続けた。


「おーくんが死んだら、一番、悲しむのはお祖父ちゃんよ?」


 今からオフィス棟へ戻って戦いに加わるという事は、その危険もはらんでいる。


 それは確かであるが、旺を諦めさせる言葉になるたろうか?


 ――無理だなぁ。


 口にした孝代自身も、そう思ってしまう。旺が時男に抱いている敬意や好意は、自分の命が危険である事も、それが時男の悲しむ最悪の事だとしても、覆してしまうものだ。


「お祖父ちゃんが死んじゃったら、僕だって生きてても仕方ないぜぃ。僕は、お祖父ちゃんと一緒に、生きてくんだぜぃ」


 食い縛った歯から絞り出すように声を紡ぐ旺は、堪えきれない涙を目から溢している。


 ――ねえねえ、お姉さん。僕もおーくんを守って戦うよ。


 旺の持っているケージから、でんも孝代を見上げていた。


 ――みんなが力を合わせたら、今までだって切り抜けてこられたんだから、今も大丈夫だよ。


 でんも旺と同程度のメンタリティしかないのだから、この言葉も自身の願望だけがいわせている。


 何の保障もない言葉であるが、生の感情があるからこそ孝代の心を刺してしまう。


 生きるも死ぬも共に――死ぬは兎も角として、生きるのはそう思うのが当然だ。


「……ッ」


 孝代は溜息なのか、舌打ちを噛み殺したのか分からない吐息を漏らし……、


「わかった。戻ろう」


 立ち上がった孝代は、オフィス棟の方へ振り返る。


 しかし旺とでんの勢いに押され、つまらないヒロイックな感情に流された訳ではない。


 ――サイ子さん。


 賭けられる相手を思い浮かべての事だ。


 ――サイ子さんが、生霊を呼び寄せて、杉本さんに頼るだけの策なんて立てるはずがない。


 自分たちが行く事が失敗に繋がるイレギュラーの可能性も考えられるが、逆に変人としかいいようがなくとも切れ者の師匠だ。


 ――私たちが戻ってくる事を計算に入れて策を立てている可能性は、高いんじゃないの?


 決して長くはない彩子と孝代の付き合いだが、短いともいえないのだから信頼関係は築けている。


「行こう!」


「うん!」


 二人と一匹はきびすを返した。

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