第45話「獅子でも虎でもない。我ら猛牛の群れ」

 律子のりこは苛立っていた。


 ――このジジィ、ウロチョロウロチョロしやがって!


 すぐに済むと思っていた時男との戦いは、予想を超えて長引いている。


 生霊の力を全開にすれば、亜音速で動く事も可能であるのに、そのスピードに時男はついてくるのだ。


「いい加減にしろ!」


 この時も、律子は空気の壁を拳に感じながら振るった。


 なのに時男はひらりとかわし、剣を振るってくる。


「ッ」


 そのスピードに任せて逃げるように避けるしかないのも、律子にとっては激しいストレスだった。神と魔王と死そのもの以外を切り捨てるという剣は、生霊となった律子にも特効なのだ。


 ――必要以上の間合いで避け、無意味な大振り、体幹が不一致……それではわしには当たらん!


 武道を修めている時男は、それ相応の術理を身に着けている。剣術の型を覚え、体幹を鍛えている時男は、一拍・・で動く事ができる。構えて・・・打つ・・の二拍子や、受けて・・・押さえて・・・打つ・・の三拍子でしか動けない律子からすれば、時男の三倍以上、早く動かなければ当たらない。


 しかし時男も必殺の一撃となれば、それこそ百発百中は不可能。急所は急所故に容易に打つ事はできず、その隙を作り出すためにフェイントや捨て技が必要となり、繰り出す手段は多岐にわたる。


「……」


 弱音など吐かない時男であるが、老体にムチ打って動いている事は徐々に身体を蝕んでいた。


 切っ先に鈍りを感じさせないのは流石であるが、何時間も動き続けられない事は自覚以前に明白。


 とはいえ、動けなくなる限界があるならば、その限界いっぱいまで最善を尽くすのが時男という男だ。


 律子の攻撃を避け、交叉法――カウンターともいうが時男が修めている古武道ではこう呼ぶ――を繰り出す。律子の攻撃そのものは亜音速だが、行動の「起こり」を見抜ける時男にとっては、軌道をブレさせ、力任せに振るわれる攻撃そのものを避ける事は不可能ではない。


 しかし回避は「難しくない」だが、攻撃は「難しい」だ。


「当たるか、バーカ!」


 律子が嘲笑をぶつけながら、ひらりと宙を舞っている。研ぎ澄まされた時男の斬撃は、瞬間的には音速に達しているが、初速と終速の差を出せば目で追えるくらいにまで下がる。


 時男には疲労が溜まり、律子には苛立ちが募っていった。


 どちらが不利な状況になっているかは、一概にはいえない。


 だが不利を招いてしまう行動がある。



 即ち拙攻せっこうだ。



「この、ド畜生が!」


 苛立ちを、両手に集めたエネルギーに仮託する律子は、それを感情のまま床に叩きつけた。屋上という広い空間が、時男には有利に働き、自分には不利に働いている、と律子は考えたからだ。


 床に叩きつけたエネルギーは、玄関で壁を粉砕し、鉄筋を溶断させたものと同じ。


 一撃で屋上の床――階下の天井に穴を開け、律子が跳躍する。


「チィッ!」


 時男は舌打ちして追撃するが、振り向く律子の顔には醜悪な笑みが浮かんでいた。


「さぁ、一人や二人は来てるんだろ! 出てこい!」


 階下に降りれば、手下にした元クラスメートの霊が来ているはずだからだ。


 人間が空中で自由自在に動けるはずがないのだから、着地する寸前、または直後に決定的な隙ができるはずだと律子は考えている。


 事実、皆生かいきホテルのスタッフが対処しきれなかった霊が時男を待ち構えていた。


 しかし――、


「待て待て待てーい!」


 その霊に向かって甲高い男児の声がぶつけられると同時に、稲妻を纏った攻撃が霊を両断する。


「お祖父ちゃん!」


 あきらがでんと共に突っ込んできていた。


「旺!?」


 目を白黒させる時男へ、旺は縦横に剣を振って邪魔をする霊を切り捨てつつ駆け寄る。


「僕も戦うぜぃ!」


 時男の眼前でくりると反転し、旺は時男に背を預ける体勢になった。


「よし!」


 時男も素早く旺と背中合わせに立つ。孝代に旺を連れて逃げるようにいった時男であるが、今、自分の元へ走ってくる旺を見て翻意ほんいさせられた。



 ――旺も、皆生ホテルのスタッフなんじゃな。



 今、オフィス棟で戦っている者で、恐怖や危険を逃亡の理由にする者はいない。


 皆で戦い、皆で勝利する――考えている事はそれだ。


 こんな思考をするのは奴隷根性というもので、また命の保証などしようがない仕事をさせられているのだから、ブラック企業といえばそうだろう。どれだけの高給、どれだけの福利厚生があろうとも。


 それでも自分のすべき事をこなせる体制を作ってくれている組織と、そこに属する者の矜恃きょうじというものを時男は誇らしいものだと思っている。


 ――自分の自己満足だけじゃったな。


 旺だけを逃がそうとした時男が恥じ入る程に。


「一緒に戦うぜぃ。一緒に勝つぜぃ」


 背中越しに孫の声が聞こえる。


「あァ、明日の朝ご飯は、みんなで一緒に食べるぞ!」


 時男も背中越しに答えた。


「はん」


 律子は笑う。


「そんなガキが援軍になんてなるか!」


 身を躍らせて時男に向うと同時に霊へ指示を出す。


 ――私の攻撃を避けたら霊が、それを始末しようとしたらガキを狙え!


 庇おうとすれば身をていする事になり、僅かでも隙を作れば自分が始末してやる、と律子は目をらんらんと輝かせた。


「ッ」


 時男はするりと律子の攻撃をかわし――、


「ははは、バカメ!」


 律子が嘲笑を強めたとおり、時男は避けた先で自分を狙ってきた霊に一撃、喰らわせた。


 それが意味する事は、旺を狙った霊を無視したという事だ。


「うぉりゃぁ!」


 しかし旺は自分を狙った霊は自分で打ち砕く。盾で殴りつけ、怯んだところをでんが討つ。


「虎の子を見捨てたな! クソガキ、大事な大事なお祖父ちゃんは、お前を見捨てたぞ!」


 嘲笑ちょうしょう侮蔑ぶべつの色を重ねる律子。


「虎の子?」


 しかし時男も嘲笑で返した。


「獅子の子とでもいうつもり? 千尋の谷に突き落とす思いで、孫に試練を与えている?」


 いくらでも言い訳できるだろうなと、律子の嘲笑は続くのだが、時男はハンと強く息を吐き出し、断ち切る。


「旺は、獅子の子でも虎の子でもない」


 虎の子ならば大事に扱い、獅子の子ならば厳しく扱うというのは、時男の教育方針ではない。


「皆生ホテルが自社教育、自社雇用に拘る理由は、我らは猛牛・・だからじゃ」


 時男はそういう。


「ここにいるのは同志・・! 老いも若いも幼いも、皆、一丸となって立ち向かう。猛牛の群れとはそういうものじゃ!」


 旺を信頼しているからこそ、過度な手伝いはしない。


「ッ!」


 律子の顔に浮かぶ苛立ちは、一段と強くなった。


「さぁ、行くぞ。我が剣は、この生涯で最高の極みに達した!」


 今こそが全盛期だと時男の声が律子を打つ。



***



 そして同じ頃、旺を時男の援軍へ向かわせた孝代は、彩子のいる部屋へたどり着いていた。


「サイ子さん!」


 策があるならば手伝わせろと、勢いよくドアを開けた孝代であったが、


「……何してるんですか?」


 気が抜けてしまったような声を出してしまったのは、そのドアの向こうにいた彩子は全裸になって身体に白粉おしろいを塗っていたからだ。

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