Winning-カイキホテル境界科学対魔班-

玉椿 沢

第1章「悪霊を狩るバイト」

第1話「苦学生と幼児が出会った日」

 この世で起こった事は、全てこの世で治まらなければならない。


 天が定めたことわりを、一言でまとめるならばこうなる。


 30人を殺したシリアルキラーにも天罰は下らないし、生まれてから一度も嘘をついた事のない者にも天佑てんゆうはない。


 何故ならば、シリアルキラーを捕らえ、裁くのも、その佳人かじんを救うのも、人でなければならないからだ。



 天が――冥府が動くとすれば、それは人ではない者が人と関わろうとした時である。



 とはいえ、一般人にとっては関わる事の薄い分野であろうし、今、ショッピングモールにいる女にとっては少なくとも人の方が厄介だ。


「……?」


 不意にスプリングコートの裾を掴まれて立ち止まらされた山脇やまわき孝代たかよは18歳。


 この春から進学した大学へ通うために一人暮らしを始め、日用品の買い出しに来た夕方であった。


 振り向いて視線を降ろすと、七分丈のズボンにローテクスニーカー風のキッズシューズ、スモックの上に黒いパーカーを着た幼児が。


 孝代は膝を着き、パーカーのフードを覗き込むように幼児の顔を見る。


「迷子? どうしたの?」


 不安そうな印象を受けた。テーマパークのアパレルであろうパーカーには、フードに長い耳のような飾りがついているパーカーは、テーマパークのアパレルだろうか。そのフードの上からしきりに頭を撫でている仕草は、ロップイヤーのウサギが落ち着かない時のように見えてしまう。


「迷子?」


 もう一度、たずねた孝代に対しその子は一瞬、息を吸い込むと、


「ぱーぱー!」


 幼児特有の甲高い大声だった。


「ちょっと待て!」


 驚かせるつもりはなかったのだが、孝代も思わず声をあげてしまう。


 ――私は君の親じゃない。親だったとしても、少なくともパパじゃない。


 身長165センチと女性にしては長身であるし、耳出しのショートカットという髪型の孝代であるが、パパと呼ばれるのははなはだ心外だ。


「迷子ね? 迷子よね? はい、こっち!」


 普段は人を引っ張り回す側だと自覚している孝代も、こういう時は引っ張り回される。



***



 迷子を預けるため訪れたインフォメーションでも、幼児が孝代のスプリングコートを掴んだのは決死の思いであった事がわかった。


 係員に預けて買い出しに戻ろうと思っていた孝代だが、幼児はコートを掴んで離さなかったのだから。


 迷子に慣れているはずの係員も、かなり苦戦する。


「お名前は?」


 そう訊ねられても、幼児はフードの耳を擦るような仕草をするばかりで話そうとしない。「誰と来たの?」と質問を変えても同じだ。


 たまりかねて、孝代も口を挟む。


「あちらの親御さんも探しているでしょうし、特徴だけ放送するという訳にはいかないですか? 特徴的な服装ですし、来てくれるんじゃないかなって思うんですけど」


 幼児から聞き出すよりも、この子を探している親に呼びかける方が早い。


 しかし「そうですね」とブースの中に引っ込む係員の口からは、「もういいですよ」という言葉は出てこず、思い切り深く溜息を吐いてしまうが。


「はァ……」


 しかし腹が決まる切っ掛けではあり、孝代は「座ろう」と手を繋いで、幼児をキッズスペースの方へ連れて行く。


「このパーカーは、ラッキーラビット?」


 その一言で幼児は、大きく見開いた目を孝代へ向けてきた。


「いいね。私も、ネズミよりウサギが好きよ」


 と、孝代がいった所で、館内放送が流れる。


「迷子のご案内をします。黒色のウサギの耳がついたパーカー、七分丈のデニム地のズボン、薄いピンクのチュニックを着た女のお子様を預かっています。お心当たりのあるお客様は、中央インフォメーションへお越し下さい」


 だが孝代はひょいと背を伸ばして、放送ブースの中を覗き込んだ。


「チュニックじゃなく、スモックだと思いますよ?」


 こういうどうでもいい事を気にしてしまうのが彼女の特徴である。親からすれば、チュニックもスモックも大した違いはない。色と耳付きフードのパーカーという特徴が分かれば十分だろう。


 係員からは、やはり「そうですね」としか返ってこないが、放送は流れた。安心したよ、と孝代は幼児を振り向く。


「すぐにお父さんかお母さんが来るよ」


 幼児の手はスプリングコートから離れているが、もう孝代に幼児を置いて行く気はない。本腰を入れて待とうと椅子に腰掛けた。



 その行動は間違いだったともいえるが。



 |大凡「おおよそ」、20分後、孝代は頬を痙攣させ始める。


 ――来ないよ、全然。


 この20分は、幼児が焦れるには十分な時間だ。


「うー……」


 またフードをなで始めた幼児に対し、孝代は「よし」と膝を叩くと、


「絶対に、すぐ帰ってくるから、少しだけ待ってて。数は数えられる? 100数え終わるまでには帰ってくるから!」


 幼児が100まで数を数えられるかは知らないが、コクコクと頷いたのを見ると、孝代はすぐ先に見えたアイスクリームのブースへと走った。


「えっと……牛乳ソフトを二つ」


 フレーバーは何でもいい。孝代は目についたものを注文しただけだ。


 ――待たずに帰る。この瞬間が命!


 まったくの偶然だが、確かに一分とかからずにアイスクリームが二つ、孝代の手元に来る。


 ――ただ待つ時間だから苦痛! おやつを食べれば待つ時間は食べる時間に変わる!


 文字通りとって返す事になった孝代は、またパーカーのフードをこすり始めていた幼児の前にアイスクリームを差し出した。


「はい、食べながら待ちましょ。二人分、あるから」


「あー、ありがとう」


 それは幼児から初めて聞いたまともな言葉だったかも知れない。


「どういたしまして。美味しいよ」


 並んで食べるアイスだが、それでも食べ終わるまでにかかったのは10分程度か。


 ――来ないし!


 コーンをバリバリ囓り出すのだから、今は孝代の方が気分が焦れている。


 ――合計30分くらい経ってない?


 れる気分が恨み言に変わろうとする時、ブースに一人の男が駆け込んできた。ベージュのトラウザースとコンフォートジャケットに黒いシャツを合わせ、ハンチング帽を被った男の年齢は60歳手前というところか。


「すみません、迷子放送で流していた子、ひょっとして――」


 待ち人来たるとばかりに、係員より先に孝代が手を振る。


「ああ、こっちです!」


 そうすると男が慌てて近づいてくる。


「ああ、よかった。探したぞ」


 顔をくしゃくしゃにして笑う男は、幼児の頭からフードを取り去って撫でながら、孝代へ頭を下げた。


「どうも、すみません。いや、放送では女の子っていっていたものですから、気付くのが遅れてしまって」


「あ、男の子だったんですか?」


 今度は孝代が驚いた。これくらいの子供は見分けが難しく、テーマパークのアパレルを着ている事と、髪をおかっぱ頭にしている事で女の子だとばかり思ってしまっていた。


 男はもう一度、孝代に「すみません」と謝った後、幼児にも謝る。


「ごめんなぁ。で、ゲームの機械も売り切れじゃったわ」


 残念だけれど帰ろうと手を繋ぐ二人に、孝代は首を傾げ、


「ゲーム機? この前、再販がかかった機種ですか?」


「ええ。ここに来たらあるかと思ったんですけど、やっぱり売り切れで」


 モールの入り口近くにある電機屋を覗いたのだろう。抽選販売ではなく店頭販売だったのだから瞬殺だったのだろう。孝代も思わず苦笑い。


 ――こういうのがあるかは、メーカーも受注生産するか、お店も抽選販売にしたらいいのに。


 とはいえ孝代にも、どうしようもない。


「それは、残念でしたね」


 孝代は「では、コレで」と背を向けた。遅くなってしまったが、自分の買い物もある。


「とりあえずケトルがいる、と」


 二人とは逆方向にある生活雑貨の売り場を目指すのだが、孝代はその道々で見てしまう。


 専門店街を抜けた先にある売り場は、オモチャと生活雑貨が隣り合っており――、


「あ!」


 そこで見つけたのは、先程、男が探していたゲーム機だ。



 それも平積みにされている!



 ――みんな、下の電機屋だけ見て、なかったら帰ってるんだ!


 穴場だった。


 そして孝代は、この日、この時、この瞬間、恐らく生涯最高の全力疾走をする。


「あ、あの!」


 駐車場で追い付いた二人に、孝代は息を切らしながら、売り場の方向を指差す。


「さっき、探し……」


 息を切らせている孝代に目を白黒させられる男は、一言、「落ち着いてからでいいですよ」と告げた。


 孝代は「すみません」と前置きした後、


「さっき探してた、ゲーム機。オモチャ売り場にありましたよ。プレゼントなんでしょう?」


 そう思ったから追い掛けてきたのだ。孝代が「ね?」と幼児に目を向けると、コレまで孝代が見た事がないくらい幼児は目をキラキラさせて、


「お祖父ちゃん!」


「あぁ、ありがとうございます。プレゼントに買ってやろうと思ってたんです」


 男は、また顔をくしゃくしゃにして笑った。


 その男・杉本すぎもと時男ときお


 幼児・杉本 あきら


 この二人と山脇孝代――奇妙な事件に関わっていく三人の初顔合わせである。

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