第2話「怪しいアルバイト」

 私立皆生かいき大学――孝代たかよが入学した大学である。


 その沿革えんかくは複雑で、まず運営母体にホテル産業があるという点でも珍しい。


 しかし世間的には珍しくとも、皆生ホテルは当たり前だという。


 理念のためだ。


 ――最も信頼できる人材とは、自分たちが育てた人材である。


 そんな理念の下、医師、弁護士を始め、レストランのシェフ、ウェイトレスから果ては清掃員、車輌整備から運転手までを一括雇用している。


 その究極として職業訓練校と大学を設立するに至ったのだから、世界的に見ても珍しいといわれようと、皆生ホテルは当然という。


 孝代は「何故、そんなところへ?」と聞かれると、こう答える事にしている。


 ――在学中にホテルの仕事をすれば、奨学金が出るから。


 さて、この場合の仕事とは、ホテルマンやベルデスクのスタッフではない。



 即ち怪力乱神かいりょくらんしんを世から排除・・する事。



 そんな従業員は裏の顔を持ち、依頼に従い怪力乱神――悪霊や悪魔を狩る存在である。


 今日も雑居ビルのフロアに、調子に乗った口調の高い声が響く。


「待て待て待てーい!」


 高いといっても甲高い――つまり子供の声だ。


 一見してオモチャに見える盾を片手に、フロアに漂っていた動物霊のど真ん中に突撃してくるのは、120センチをやっと超えた程度の幼児。


「この辺で、子供に噛み付いたりしたらダメなんだぜぃ!」


 フードつきのパーカーを着た幼児は、先日、迷子になった時とは打って変わり、強気な態度を見せている杉本 あきらだ。


 盾と一体の鞘に収められている剣の柄を握りながら、旺が動物霊へ怒鳴る。近頃、正体不明の動物に子供が噛まれるという事故が発生しており、その原因がこの雑居ビルに住み着いた動物霊だった。


 当然、歓迎などされない。動物霊は一斉に旺を振り向き、雄叫びを上げた。


「――」


 フロアに残響する吠え声から、明確な言葉を聞き取る事はできない。ただ、知った事ではないというような意味だろう。


 飛びかかってくる気配がありありと見て取れる中、旺へと、こちらも甲高い声で警告が向けられる。


 ――おーくん、気を付けて!


 自分と大差ない年齢の声へ、旺はぷくっと膨れて剣を抜く。


「だいじょーぶ!」


 出てくる剣も、ぎらりと光る金属の刀身を備えている訳ではない。盾も剣もEVA樹脂製のおもちゃだ。


 しかしオモチャであっても、剣を抜くという明確な敵対行動に、動物霊は飛びかかろうと構える。


「――」


 次の瞬間、動物霊の姿が消えた。本来、空気に触れても溶けてしまう程、うつろな霊は、目に見える方がイレギュラーである。


 旺が剣を振るったのは、半ば当てずっぽう。


 しかし幼児の勘は当たる。


「!?」


 バシッと帯電していた静電気が流れたかのような音と共に、青白い光が点った。霊を包むを切り裂いた証拠だ。エネルギー保存の法則や質量保存の法則により、この世界では「何もないところ」にはエネルギーを留めておけない。


 霊の身体を包んでいる、この世にあるためのフィールドを両断したのだ。


 霊が形作られているは、人体や木材など、この世に生きているものと同じ、プラスの性質を備えている。


 ならばマイナスの性質を持つもので貫通、あるいは両断する事では消滅し、霊は空気に溶けてしまう。帯電列でマイナス側にある金属や樹脂は、最も分かりやすいマイナスの性質を持っている。


 旺を幼児とあなどり、正面から飛びかかった動物霊は脳天から股下までを両断された。白い歯を見せ、旺に笑みが浮かぶ。


「うっし!」


 旺は次の行動も勘に任せ、左手に着けている盾を横に薙ぐ。この盾も剣と同じくEVA樹脂製だ。


 青白い光。そして悲鳴が。


「ぎぃ!」


 剣や槍ではないためを貫通させる事はできなかったが、霊も横っ面を張られては退くしかない。


 追撃に移ろうとする旺だったが、そこへ先程、警告を発した声が届く。


 ――行くよ!


 旺が顔を向けると走ってくるネコがいる。短足と銀の長毛が目を引く子ネコは、マンチカンとチンチラシルバーのハーフ、ミニェット。だが声を発するネコが普通のネコであろうはずもない。


 ネコがキッと宙を睨むと、旺によって後退させられた霊が文字通り稲妻に包まれた。



 ネコの正体は雷を操る妖怪、雷獣・・である。



 しかし恐るべき力を持っていても、旺にとっては飼いネコだ。


「もう! でんちゃん!」


 でん――飼いネコに膨れっ面を見せる旺は、それこそ集中力が消えている。


 でんが警告した状況で集中力を切らせるのは致命的だ。仲間を消され、黙っている霊ではない。


「――!」


 怒りの雄叫びをあげる霊の姿に、もう一度、でんが警告を繰り返した。。


 ――あぶないよ!


 しかし警告に旺が反応するよりも速く、男が前線へと飛び込んできた。気配も、動きの起こり・・・すらも感じさせず、空を舞う羽の如く軽やかに踏み込む技法は、明らかに素人ではない。


 小柄な男が踏み込みが完成すると同時に、左から右へ走らせた刃は、正に閃光。


 こちらは旺の持っているオモチャとは違い、鈍色の真剣・・だ。


 飛びかかろうとしていた三体の霊が横一文字に切り裂かれる。


 恐るべき一撃だが、真に恐るべきなのは、その横薙ぎが力任せのものではなく、流れるように上段の構えへと繋げられる点だろう。


 もう一歩、踏み込めば、最後の一体へ切っ先を振り抜く事ができた。


「ふむ……」


 真剣を鞘に収めた男は、ポケットからラジオを取り出し、耳に当てる。ザーザーと耳障りな雑音があったが、それは不意に途切れ、トーク番組を流し始めた。霊が存在すると必ずといっていい程、電磁波を放つ。それがラジオの雑音になるというメカニズムを利用した足跡の探知機だ。


「もうおらぬようじゃな」


 ラジオをポケットに戻した男こそ、旺の祖父・時男ときおである。中年というよりも老年といった方が正しいくらいの歳であるが、それ故に放てる神業であると納得させられるたたずまいが根底にあった。


 一瞬にして決着をつけた技量はずば抜けているのだが、時男の絶技も旺にとっては見慣れたもの。だんだんとあしをふみならして不満を示し、


「もう、お祖父ちゃん! 僕だけでも大丈夫だったのに!」


 しかし時男は困ったような顔を向けつつも、ハッキリとした口調で問いかける。


「怪我は?」


「しーてーなーいー!」


 旺は自分が全部、やっつけるはずだったというのだろうが、時男は「違うじゃろ」と旺の前で膝を着く。視線を旺の高さに合わせていう事は、ひとつ。


「怪我は、しても、させてもダメじゃ」


「あ……」


 それは旺が時男から常々、いわれている事だ。とことことやってくるでんも、同じ事をいう。


 ――人に怪我をさせるのは悪い事だし、自分が怪我をするような事をするのは、人に心配をかけるから悪い事なんだよ。


 あのまま四体の霊を相手にしていたら、旺が負けなかったとしても怪我をしていた事は明白だった。


「ごめんなさい」


「うん。でも、よく頑張った」


 時男の職務は、次世代の職員を鍛える事。旺も幼児ではあるのだが、あと15年もすれば皆生かいきホテルのスタッフになるかも知れない。


 身内だからこそ冷静に、そして冷徹に仕事を選べるのが時男だ。失敗を学ぶ事も大切で、自分でミスを認められる事は、なかなか身につかない。


 旺のそばに寄ってきたでんも、労うように頬を寄せてくる。


 ――よく頑張ったね。


「……」


 しあし旺はでんを抱き上げるが――、


「でんちゃん、生意気だから、大福の刑」


 でんの顔を左右から掴んでひしゃげさせた。


「ははは」


 時男も思わず笑ってしまう。


「さて、戻ろうか。お祖父ちゃん、まだ仕事があるんじゃ」


 鞘に収めた刀を帆布はんぷ製の袋に入れ、時男は旺と手を繋いで雑居ビルを出た。

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