第33話「力と技は最高だった。でも心が貧しかった」
有り得ない事だった。
だが有り得ない事でも起こった。
背後から
孫と愛弟子に刃を振るわせるものかと力を込める時男へ、リトルウッドは忌々しいと声を絞り出す。
「そうか……黄泉の門か! 黄泉の門をよじ登ってきたのか!」
枯れ木のような老人の時男であるが、怪力といっていい腕力を発揮している。
地獄の責め苦に声一つあげずに耐えていた時男は、この時を狙っていたのだ。
黄泉の門を開かれても、リトルウッドの前には仲間がいるはずだと、この瞬間に援護できる態勢をとり続けていた。
この好機を逃すはずがない。
その姿が、孝代に力を総動員させた。
――今しかない!
痛みを抑え込み、
「ッッッ」
振れば斬れる、突けば刺さる、そういう戦いだ。しかし間合いへの侵入はリトルウッドも許さない。
「うっせェッ!」
リトルウッドの前蹴りに制され孝代は、後退させられると同時に剣を取り落としてしまう。
だが孝代の手にもう一本、
――これは!
手にした孝代は、見ずとも分かる。本来、物体が持つはずのない
時男がここにいるという事は、共に地獄にあった時男の剣もあるという事だ。
恐るべき剣・玄鉄。
しかしリトルウッドは
「バカが! その剣は三つ、斬れないモンがある!
ベクターフィールドのような悪魔には特効の効果があるのだろうが、リトルウッドは魔王の称号を持つ存在なのだ。
ただ、それこそ孝代にとっては知った事ではない。特効があるから攻撃する、ないから諦めるという選択肢が、この場にあろうか。
「この剣で一度、退治されてるんでしょ! 負け惜しみ! 口から出任せ!」
本当に効かないのなら黙っているはずだ、と孝代は怒鳴りつけた。時男が押さえつけてくれている今、牽制くらいしかリトルウッドにできる事がない証明でもある。
孝代は剣を振り上げる――大上段に。
それはリトルウッドが切り捨てたベクターフィールドの剣技を、文字通り蒸着させるかの如き打ち下ろし。それでも痛みが阻害した剣の軌道は真っ直ぐとはいえず、リトルウッドを唐竹割りにするような事はできなかったが。
リトルウッドが怒鳴る。
「邪魔だッ!」
それは痛みを打ち消すためか。
その怒鳴り声と共に漸く時男を振り解いたリトルウッドが、孝代の振り下ろした右腕が邪魔になる位置へ身体を滑り込ませて回避――、それを旺がさせない。
「いいいッ!」
旺が既に駆け込んでいた。
ベクターフィールドにも見舞った盾での一撃を見舞い、その左腕を引き戻す反動で剣を両手持ちに変える。
猛牛を意匠した剣は、赤く射し込む閃光のようにリトルウッドを捉えた。
二発の攻撃は、それでもリトルウッドを沈めるには至らないが。
「……」
魔王の意地か。
しかし、でんも立つ。
――ボクもいる!
棒立ち同然になっていたリトルウッドへ、でんは最後に残されていた
受けたリトルウッドからは、悲鳴も、何もない。
「……」
喜怒哀楽の内、何か一つが欠落した悪魔が魔王という存在である。怒りで突き動かす事ができなくなった時点で、リトルウッドには崩落する未来しかなかった。
その姿に、孝代は勝利を確信する。
「……勝った」
ぜぃぜぃと肩で息をいる孝代はリトルウッドを一瞥したが、旺は一瞥もせず祖父の元へ駆け出していた。
「お祖父ちゃん! お祖父ちゃん!」
ただ時男は何もいわない。
「……」
孫を抱き留めるように手を伸ばす――と、手を伸ばす者は時男だけではなかった。
「終わって
一際、大きな
孝代が手を伸ばす。
「危ない!」
旺を危機一髪で救った孝代だが、リトルウッドは相手などどうでもいいとばかりに、孝代の足を掴んで身体を引き寄せる。
魔王の剣を振り上げ……、
「殺す、殺してやる!」
一人でも多く道連れを――そんな安っぽい感情が爆発していた。
特効はなくとも時男の剣に斬られ、旺の純粋な殺意を秘められた攻撃を受け、でんの稲妻をくらった身体は、四散してしまう寸前といった風だが、孝代が目を白黒させるのは、最早、一瞬に過ぎない。。
「!?」
声を張り上げる。
「リトルウッド!」
魔王の胴間声にも負けないくらい。
そして孝代は、時男の剣を自らの腹へ――。
その一撃を、リトルウッドは胸に受けた。
「か……ッ」
ベクターフィールドの身体ごと孝代を貫こうとして失敗したリトルウッドカ、自らの身体ごと貫いた孝代の剣に貫かれたのは皮肉だろうか。
孝代は皮肉のつもりはないが。
「リトルウッド……力と技は最高だった。でも、心が貧しかった」
いくらでも皆生ホテルのスタッフを全滅させる方法はあった。ベクターフィールド一人に壊滅的な打撃を与えられたのだから、そこにリトルウッドがいれば手の着けようがなかったはず。そもそも最後に現れ、味方であるベクターフィールドごと孝代を突き刺すような真似は愚行の極みというものだ。
周囲から見れば、助ける意味も理由もない孝代のために命を捨て、この瞬間、決戦の場に誰かがいる事を信じて地獄の責め苦に耐えるような、時男とは真逆の存在である。
時男と、ベクターフィールドと、旺と、彩子と、また数え切れない人間の存在を知っている孝代に、この場で自分の腹に剣を突き立てる程度の事、何の抵抗もない。
ただ、孝代も限界だ。
リトルウッドが四散すると同時に倒れ込んだ孝代は、旺が駆け寄ってくる気配くらいは感じたが、顔を上げる気力もない。
「お姉ちゃん!」
呼びかけられても、目も開かないくらい。解剖学の知識などなく、腹のどこを刺せば内臓や神経を傷つけないかなどわかっていないのだから、ダメージは深刻である。
だが旺への心配は、孝代に声だけは出させた。
「無事? 怪我してない?」
顔を向ける気力もない孝代の声は掠れているが、旺が聞き漏らすはずもない。
「してない! 僕はしてない! お姉ちゃん格好良かったけど、死んだら格好悪いぜぃ!」
旺は声を張り上げ、時折、孝代の頬を叩いた。
そこへ足音がもう一人分、聞こえてきて、それに向かって旺とでんが「早く早く」と大合唱を始める。
その足音の主、彩子は一言。
「お疲れ様」
ただ、万感の思いを込めた一言だ。
「心配しなくていい。心臓が止まっても、動かしてあげるヨ」
長身の孝代であるから肩を貸すにも一苦労だが、彩子は何とか孝代を立たせる。
同時に耳に響く重い音は、全てが終わった事を示す。
ドンと重い音と共に、最後の一人が口を開く。
「閉めたぜ」
ベクターフィールドの声に旺が剣と盾を構えた。
「まだいた!」
だが、そんな旺へベクターフィールドはニッと笑い、
「手打ちにしろよ。もう俺も自由の身なんだから」
それはリトルウッドが死んだからという事ではなく、残された右手に乗せている半透明の宝石のためだ。
彩子は知っている。
「……悪魔の
悪魔が流した涙は小さな宝石となり、それを流した本人が飲めば、喜怒哀楽の内、どれか一つと引き換えに力を得ていく。
ベクターフィールドは、その一粒を口にし、
「これを飲むと、もう何か一つ、完全になくなりそうなんでな」
それはそれで、ベクターフィールドにとって不安でもある。
「心配だぜ。
そう
「じゃあな」
新たな魔王は、その瞳から
身を翻すベクターフィールドに、彩子から追撃はしない。
「新たな魔王は兎も角として――黄泉の門は閉じたし、リトルウッドは仕留めたネ。後続に任せて、私たちは作戦完了だヨ」
彩子の言葉が、このトンネルでの激闘を締めくくった。
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