第6章「苦学生×ょぅι゛×祖父×変人」

第34話「奇跡の生還」

 彩子あやこ孝代たかよのチームとしては総力戦であったが、全体的に見れば黄泉の門を巡る攻防戦は局地戦・・・に過ぎない。


 二桁に上るスタッフが負傷したものの、魔王の称号を持つ悪魔との戦いで被害らしい被害――この場合は死者を指す――が出なかったのだから。


 附属病院に収容された孝代を見舞った彩子は、疲れの色を濃く見せていても、声までは沈んでいない。


「まぁ、大事おおごとだったけどネ」


 その大事とは無論、孝代自身の事だ。自分の身体を貫いてリトルウッドを刺すという行動は、暴挙という他にない。刺したのが腹だったからよかったものの、下腹部や胸であったならば手遅れだった可能性は高い。


 医師でもある彩子から見ても、今の状態は寧ろ幸運。


「そうでなくても、背中は神経が縦横に走っている。大きな神経を傷つけなかったのは、不幸中の幸いだったヨ」


 奇跡に等しい幸運が、今、ベッドに寝ているだけで済んでいる孝代にはあった事になる。


「いやぁ、つい……」


 苦笑いしようとした孝代は、その表情はすぐに痛みによって苦いものに変えられてしまう。身体を貫いているのだから、縫合の痛みは起き上がるどころか、寝返りを打つだけでも凄まじい。


 そんな孝代に代わって、彩子が苦笑いする。


うまい事、刺したもんだったヨ。内臓にも神経にも、致命的なダメージはない。奇跡だネ。それとも、内臓の場所を知っていて、かつリトルウッドの胸がどこにあるのか察知していた、とかナ?」


「そんなそんな。カンですよ」


 これは謙遜けんそんではない。孝代に医学だの解剖学だのといった知識はなく、全て直感に頼って刺し貫いた。


「あ、普段の行いが良いからです!」


「よくいうヨ」


 笑う彩子だったが、語尾に欠伸が混じった。徹夜も慣れているといえば慣れているが、する仕事による。孝代の処置は、身体も気も遣わされた。


「まぁ、お陰でこっちは家に帰るのも面倒で、このまま眠ってしまいたいくらいだヨ」


 などと彩子が軽口を叩くと、孝代は自分の隣をポンポンと叩く。


「横、来ます?」


 冗談だ。病室のベッドなのだからシングルで、孝代は一人でも長身を持て余している。


「遠慮しておこう。とっとと彼氏を作って、そうやって誘うといいヨ」


 彩子は、もう一度、大きな欠伸をしてから部屋を出て行く。


 ――奇跡の生還に等しいヨ。


 それは口に出さなかった。


 奇跡の生還といえば、もう一組、いる。



***



 杉本すぎもと時男ときおは車輌整備場で愛車を前にしていた。


 こちらこそ、正に奇跡の生還だ。


 時男に地獄での責め苦に耐えきる精神力があり、死体を保存する技術を持つ彩子がいたからこそ、今、こうして仕事をしていられる。


「ふぅ……」


 ハゲ頭から流れ落ちてくる汗を拭いながら、時男がズタボロとしかいいようのない愛車を見遣る。キャビンが潰れ、エンジンもかからなくなってしまったが、何とか形を整えて乗れるようにしようと思うのが、名車を愛車にする男の矜恃きょうじだ。


 無論、一日でどうこうなるはずもなく、時男も気長に付き合うつもりだった。幸いというか、悪運というか、孝代の復帰は相当、先になるのだから、その期間を使って直せばいい。時男の本業は車輌整備だ。


 作業を切り上げようかと思いつつも、何度目かになる休憩を取ろうとパイプ椅子を引いた時男は、丁度、作業場へ降りてくるカンカンという高い足音に顔を上げさせられる。


 その足音と共に聞こえてくるのは、時男が決して忘れない声だ。


「お祖父ちゃん!」


 あきら。この顔は、時男から一気に疲れを取ってくれる。


「おお、おお。どうした?」


 時男にとって旺は、目に入れても痛くない孫だ。


 その孫は時男の前へ駆け寄って……、


「ありがとう!」


 深々と頭を下げた。


「どうした? 改まって」


 時男が目を瞬かせると、旺は顔を上げ、軽く唇を震わせる。


「僕、お祖父ちゃんが死んじゃった時、いったんだ」


「?」


 流石に時男も、旺が何をいったのかは知らない。


「本当に最後のお願いにする。お祖父ちゃんは、僕のいう事を何でも聞いてくれたんだから、最後に一つ、聞いてって」


 それは――、



「生き返ってって」



 旺の目に涙が浮かぶ。5歳児であっても、人の死は知っている。そういう仕事をしてきているのだから。


 無駄だ、無理だと分かっていた。


 分かっていて尚、いった言葉を叶えてくれた祖父に向ける声は、どれだけあっても足りないくらい。


 そんな旺へ、時男は手を伸ばす。


「……」


 ギュッと旺の身体を抱きしめ、


「あァ、最後の一回じゃからな。生き返ったぞ」


 地獄に落ち、常人であれば数日で発狂してしまう責め苦に遭いながらも、時男が正気を保ち、リトルウッドが黄泉の門を開く一瞬に賭けられたのは、皆生ホテルのスタッフであるという矜恃だけではない。


 旺に対する愛情だ。


 無論、これが最後の一回になる。次に死ぬ時は、こんな奇跡の生還はない。


「うんと勉強しなよ。おーくんは、優しくて賢い。偉くなるんじゃよ」


「うん」


 鼻をすすり上げながら、旺は返事をした。


 それぞれの一日が過ぎていく。


 ただ次もある。



 リトルウッドと契約していた続木つづき律子のりこは、まだ確保されていないのだ。

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