第21話「悪魔の本領」

 時男ときおの援護を受けて飛び出した孝代たかよは、初めて自分の得物えものを抜いた。


 むねしのぎみねと真剣さながららに作り込まれている事は知っているが、それだけではないと感じさせられる手応えは、抜く事でしか味わえない。


 その感想は、ただ一言。


 ――凄い!


 高校の部活で使っていた小道具とは全く違った感触が、両手を通して入り込んでくる。手を握り込まずとも、吸い付くように張り付き、切っ先が腕の延長にあるようにすら感じられた。



 刀身の重量バランス、柄の太さ、柄巻きとの相性――それら全てが調和し、孝代の感覚と渾然一体となってこそ、皆生ホテルのスタッフが振るう武器となる。



 霊に向かって振るう。剣道や剣術の心得はなく、身に着けている技術は活劇の殺陣たてのみの孝代だが、その一撃は信じられない程、スムーズに放たれた。振り抜いても身体が流されるような事がなく、そのスムーズさこそが霊の戦うキモ・・である。


 振るう切っ先に手応えはないのだが、孝代の手には確かな何かが残っていく。


 ――感触がないけど、斬ったって分かる!


 理屈は分からない。実体を持たない霊は、斬った感触を伝えない。ただ空を切っただけのように感じるし、見える。それでも手応えを残すのが、時男の作った武器の真骨頂。


 故に殺陣を演じる軽やかさが活きる。


 孝代が動く。


 右へ切り払って左へ切り返し、前へ一歩、前進して霊の攻撃をくぐり、返す刀で突く。


 引き抜く動作と薙ぎ払いを一体化させ、切り上げ、そして……、


「リィィィ!」


 歯を食い縛っての気合いであるから、甲高く不格好な声になってしまうが、切り上げからの振り下ろし――真っ向唐竹割りは活劇ならば見得を切る場面だ。


 見栄切りは動作の停止を意味するが、


「ッ!」


 真っ向唐竹割りから、そのまま突きへと移行させる孝代の動きは、霊を圧倒する。その姿は、ベテランの時男ですら、思わず軽い笑い声をあげてしまう。


「ほほッ」


 手製の刀は、時男が思った以上に孝代と馴染んでくれていた。真剣ならば、刀鍛冶、研ぎ師、柄師、鞘師と、様々な職人がいて初めて出来るものであるが、オモチャ程度といわれればそれまででも、時男は一人で仕上げたからこそ、それが誇りになる。


 孝代も時男の仕事故だと思っている。戦いながら思い出す時男の本業は、技師だ。


 ――杉本さんのホテルでの仕事は車輌整備だったっけ?


 刀と関わるような仕事ではないが、車輌、即ち本邦の工業製品で最高峰の分野に関わる仕事をしている時男は「材料」と「人」という二点に関し、きわめし職人なのだ。その知識と技術が宿る刀が、弱はずがない。


 ――よーし!


 孝代は縦横に躍動し、その部屋のドアを視界に捉える。



 角部屋――続木つづき律子のりこの部屋だ。



 孝代は手をドアノブへ……、


「かけない!」


 かける寸前で引っ込める。



 孝代が身をひるがえすと、ドンッと鉄製の扉を鳴らした衝撃音と共に、ドアから切っ先が生えたのだった。


 読んでいた。


 ――待ち伏せするでしょ。


 この罠を、奇襲は失敗しているという時男の言葉から導き出せるのが、孝代の才能である。


 切っ先が引っ込んだところで、初めて孝代はドアノブに手をかけた。


「よいっしょお!」


 言葉こそ気が抜けてしまいそうになるが、孝代は裂帛れっぱくの気合いを込めてドアを引く。


 ドア越しに孝代を田楽刺でんがくざしにしようとしていたのは予想通りリトルウッドで、急にドアを開けられたのでは前へつんのめって室外へ飛び出す形になってしまう。


 バンッと壁とドアが衝突した音が廊下に響くが、この瞬間、孝代の中で最も大きく響いた衝撃は、リトルウッドに対し、刀を突き入れた事だろう。


 虚ろな霊とは違い、魔王リトルウッドには確かな感触がある。それは生々しく伝わってしまい、孝代を思わず唸らせてしまう。


「ううッ」


 人の身体に刃物を突き立てた事のない孝代であるから、嫌悪感は当然だった。


 それ故か、突き刺したのは急所ではない。悪魔の急所は、思考を司ると、鼓動を司るだ。その二点を貫くか、両断する事が打倒の条件である。


 リトルウッドが貫かれたのは脇腹。それはリトルウッドの怒りを買うのみの行動だ。


「くすぐったいわ!」


 脇腹がどうした、とリトルウッドは孝代の胸座むなぐらを掴み、室内に放り込む。


 一秒に満たない時間であったが、孝代は宙に浮く感覚に囚われ、狭い廊下のフローリングに叩きつけられて滑走させられた。


 不甲斐ないと笑うリトルウッドは孝代を一瞥し、


「てっきり、あのジジィがくるかと思ったら、お前の方か」


 リトルウッドの嘲笑は孝代から、この血路を開くために戦っている時男へ移る。


「バカにするのもいい加減にしとけ。この女が死ぬのはお前のせいだぞ」


 ドアをわざと荒々しく閉める。鉄製のドアが閉まるドゥンという低い響きは、ギロチンの刃が落ちた音に等しいのだ、と言外の言葉をぶつけるように。


 鍵もかけるが、それはリトルウッドの小者ぶりから来るものだ。鍵をかけるときも後ろ手にして、孝代から離さない視線には、敵意も憎悪もある。


「……」


 しかし剣を突きつけようとするリトルウッドに対し、孝代は既に反撃へ移っていた。


「ッ!」


 二度目の嫌な感触に耐える孝代は、リトルウッドの脾腹ひばらを貫く。


「何してやがる。アホか!」


 だがリトルウッドは意に介さず、孝代の胸を蹴り飛ばす。腹も急所ではない。


「……」


 リトルウッドが孝代に対し、いいたい言葉は幾らでもあり、迷うほどだ。


 故にいわない。



 ただ悪意と敵意の混じった殺意を向けるだけ。



 孝代の刀はリトルウッドの腹に刺さったままだ。を貫かれているが、魔王のは霊とは比べものにならない密度を誇る。急所以外は、貫かれても怪我したくらいの感覚だ。


 リトルウッドの顔に張り付いている笑みに変化はない。


 ――こいつは、そうだな……。


 どうしてやろうかと考え、そして結論が出るか出ないかというタイミングに割り込んでくる音がある。


「!?」


 飛び込んできた時男に、リトルウッドは目を剥かされた。


 時男は上階のベランダにロープをかけて宙へ身を躍らせ、律子の部屋が角部屋である事を利用して、時計回りに半回転してガラスを突き破ったのである。


 手には無論、時男の代名詞ともいえる玄鉄が。


 リトルウッドも剣の切っ先を時男へ向けるしかない。


「クソジジイ!」


 毒づかれる時男は、機先を制される形となったが、ただ黙って斬られるつもりは毛頭ない。


 着地と同時に固めるのは、ただ先を取る構え、即ち居合いだ。


 リトルウッドの切っ先は――、


「ははははは!」


 笑い声を発したのだから、動かない。


 その変わり、黒い砂のような姿に変わったリトルウッドは、消耗していた孝代へ飛び移った。


 口といわず鼻といわず、身体中の穴という穴から入り込む、この行動は憑依・・と呼ばれる。


 黒い砂が全て体内に入った孝代の顔は、醜悪な笑みに染まった。


「これで、どうする?」



 この光景こそ、リトルウッドが律子のりこに見せると約束した光景。



 師弟が相打つ光景だ。


「確かお前の剣は、霊や悪魔に対し、特攻の効果がある」


「ああ」


 時男は柄に手を添えたまま、フンと鼻を鳴らした。


白木しらきの森の奥深く、伝説の村・むらを経て向かう養老の滝に住む、笑笑わらわらという名の天狗てんぐが打ったとされる秘剣。その名を関つぼ八せきのつぼはちという」


 無論、口から出任せ。自分の行き付けだった居酒屋の名前をもじって並べたに過ぎない。


「バカか!」


 リトルウッドは怒鳴り声で答えた。


「そのつぼ八が、俺を斬ろうとすれば入れ物ごと斬るしかないポンコツだからって話か!?」


 孝代に乗り移った事で時男の攻撃は全て封じた、と自分の有利を誇りたかったのだが、時男の冗談には苛立ちしか掻き立てられない。



 その苛立ちこそが時男が望む勝機であるとも知らずに。



 隙を突く時男は、刀を捨てる。


 刀を捨て、虚を突いた入身にゅうしん。右手の構えはブラッディー・メアリーを貫いた、あの・・衝撃を放つ独特の拳。


「イィィィ、エィ、やァァァ!」


 それが今、孝代の胸へと放たれた!


 ブラッディー・メアリーを撃退した時とは違い、心臓にぶつける殺意の籠もった一撃は――ただ重い。



***



「……杉本さん……」


 目を覚ました孝代が見たものは、寝かされていた後部座席から見上げた車の天井。


「準備不足だった。すまん」


 ステアリングを握る時男からは詫びの言葉。


「それと、しばらくは動かんでくれよ。心臓しんぞう震蕩しんとうを起こした。AEDを持ってきてたから助けられたようなものじゃ」


 孝代の胸を狙った一撃のせいだ。リトルウッドを討とうとすれば、ブラッディー・メアリーのような手加減は出来なかった。しかし心臓震蕩のみで済ませたのは、流石の一言だろう。


 確かに胸に走る鈍痛は孝代の顔をしかめさせるが、それでも暗い顔はない。


「いえ、仕方ないですよ」


 勝利でなくとも、撃退はできた。


「でも、戦えましたね。リトルウッドは、魔王といっても他に悪魔はいない。ベクターフィールドがいなければ、多分、次は勝て――」


「待て!」


 時男が孝代の言葉を遮る。


 暗い夜道の真ん中で、行く手を塞ぐように立つ男の姿があったからだ。



 ベクターフィールドがいる。



 剣を抜き、静かに構えるベクターフィールドは、走ってくる時男の愛車を一刀両断にしようというのか。


 そのベクターフィールドに、時男は加速する事で答える。


「ッ」


 突然、道路上に現れたのだから、まともな感覚ならばブレーキを踏み、ハンドルを切ってしまうところだったが、時男は冷静だった。


 冷静に、ベクターフィールドを倒す行動を選択する。


 車は鉄とアルミの塊だ。それが時速100キロ近くまで加速して体当たりすれば、ベクターフィールドとて無事では済まない。


 ベクターフィールドは目を見開き、顔を強張らせつつも、剣を支える両腕と、己を支える両足の力を高める。


 ――右か左か腹をくくれ!


 ベクターフィールドは反芻はんすうする言葉は、自らのいしずえだ。


 ――ここでしか、こいつを倒す時はないんだぜ!


 命を賭ける事に対する覚悟は、もう決まっている。


 ――仕事は、命賭けでするもんだぜ!


 腹を括ったベクターフィールドは、横っ飛びに跳ぶ。


 こればかりは賭けだ。


 ベクターフィールドの動きに驚き、時男がハンドルを切れば――それがベクターフィールドを避けるためだったとしたら、余計に予想がつかない。


 賭けは――、


「!?」


 ベクターフィールドの勝ちだ。


 時男としてはベクターフィールドが飛び退くなど予想外であり、潜んでいる「罠」にまで気付かなかった。


 次の瞬間、時男はブレーキを踏み、ハンドルを切らされる。



 ベクターフィールドに続いて、真っ暗闇の道路には白いワンピースを着た女の子が立っていたからだ。



 霊なのだ。間違いなく。


 だがベクターフィールドが飛び退いた後に出て来た女の子は、時男ですら誤った選択をさせられた。


 タイヤが悲鳴のような音を立てながら、大きく車線を外れていく。


 ややあってドンッと一瞬の強烈な衝撃音と、深夜の道路に大きくクラクションの音が響いていたのだった。

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