第27話「コドナたち」

 地下駐車場は、コツコツとやけに足音が響いた。


「チッ」


 その音に苛立って舌打ちをしてしまう程、今のベクターフィールドは強くストレスを感じてしまう。


 眼前の駐車場に、バブル期に生まれた名車、ベクターフィールド憧れの真っ白いクーペはない。リトルウッドに奪われた日、時男を止められなかったととがめられた結果――、


「あそこまでボコボコにされたら、直すのも一手間ひとてまだぜ」


 溜息と共に吐き捨てさせられる程、今、ベクターフィールドの愛車は無残な姿を晒す羽目になっている。


 ――買い換えた方が早い? いや、有り得ないぜ。


 走りに徹しているかといえばそうでもなく、高級セダンの乗り心地があるかといえばそうでもないというクーペは、出回っている車の殆どがATだ。ベクターフィールドが求めているのは、中古車市場では稀なモデル。


 ――ルーフみたいな余計なモノがついていない白で、マニュアル、ツインターボ搭載……見つからないぜ。


 しかし簡単に見つかるから直さないという選択肢も、ベクターフィールドにはない。



 愛車は、余程の状態にならない限り、手を入れていくものだ。



 ――直す……か。


 修理が必要な車といえば、ベクターフィールドはもう一台、思い出してしまう。


 ――杉本すぎもと時男ときおの車は、どうなる?


 勝つためだったとはいえ時男の愛車を潰してしまった事は、ベクターフィールドにとって痛恨である。多くが四気筒である国産の水平対向エンジンの中で、六気筒を搭載した時男の愛車は、ベクターフィールドの目で見れば間違いなく名車だった。


 クーペを修理するまでの、いわば繋ぎの愛車に薄いブルーの軽自動車を選んだのは、その痛恨の思いからかも知れない。


「悪くはないんだぜ」


 ベクターフィールドがドアノブに手を掛ける軽自動車は、もう半世紀以上も前に製造された軽自動車。現代の目から見れば明らかに古い車であるが、手を入れるならば遣り甲斐もある。


 身長が189センチもあるベクターフィールドには車内こそ狭いが、エンジンスペースは相当な余裕を持っていた。


「これなら、ターボ付きのロータリーが載るだろう。足回りも含めて移植だな」


 クーペをボコボコにされた苛立ちは消え去りこそしないが、ベクターフィールドの車に対するストレスは車が軽減してくれる。


 シートに座り、エンジンを始動させようとするベクターフィールドは、思わず笑みを浮かべかけてしまうが、それを追い出すように自分の頬を張った。


「ふん」


 笑いなど、追い出さなければならない。


 ――笑ってられねェぜ。


 律子のりことリトルウッドの高笑いを思い出すと、吐き気を催すような嫌悪感を憶えてしまう。


 ――後輩・・だからって、こいつは相当、しんどいぜ。


 しかめっつらと溜息が癖になる程……と考えている時は、どちらも浮かべずに済んでいるようだが。


谷先生・・・ね」


 それはベクターフィールドが人間であった頃の恩師・・の名。


「40人程度の集団を効率よく支配するには、犠牲者をただ一人だけ選び、全ての責任を取らせればいい。その一人は、特徴があれば何でも構わない。運動ができる、できない。勉強ができる、できない。家が金持ち、貧乏……」


 ギッとベクターフィールドが歯軋りする。



「別の幼稚園から上がってきた、ハーフの子供」



 即ちベクターフィールドの恩師とは、律子と同じ男だ。


「一人だけでは耐えられなくても当然」


 その点に於いては、ベクターフィールドも律子に同情していた。ブラッディー・メアリーを使って復讐しようとも――道義的、社会的、心情的にはどうなのかは、この際、知った事ではない――許されるともいえる。少なくともベクターフィールドの感情では。


 それ以前にベクターフィールドは契約を司る悪魔であるから、仕事に感情を挟む事など有り得ない話である。


「……」


 もう一度、思考と感情を追い出すために頬を叩いてから、ベクターフィールドはイグニッションを回す。


 それでも消せないモノは存在してしまうが。


 ――杉本時男を馬鹿にできる立場じゃないぜ。どっちもな。


 律子とリトルウッドは時男がすぐに絶望し、悪魔の側に落ちると思っているが、時男は地獄での責め苦に耐えている。地獄では10年を過ごしたとしても、こちらでは一ヶ月程度しか時間が流れないという時差があろうとも。


「他の誰に、そんな真似ができる?」


 少なくともベクターフィールドは知らない。ならば時男は恐るべき男なのだ。死して尚、折れない芯を備えている。



***



 その時男が残した手帳に、皆生かいきホテルの同僚たちも舌を巻いていた。


「現職でも、ここまで調べられるスタッフは少ないかも知れません」


 ホテル探偵たちは特に。


「時間をかければ可能ですが、この短時間で辿り着く結論ではないですね」


 リトルウッドと律子の関係、また律子と被害者の関係から導き出したにせよ、迅速の二文字しか浮かばない。


「黄泉比良坂は状態や状況を示す言葉だと推察されている記述が日本書紀にもあるのですが、地形を表す可能性もあったようですね」


 調査坑ちょうさこうは確かにだ。


「古事記、日本書紀の記述に従えば、この黄泉比良坂は現世から見た場合、下り坂ではなく上り坂であるといいます。黄泉や根の国というのは地下というイメージがありますが、イザナギがイザナミに追い付かれたのは坂を駆け下りてきた時だと書かれていますから。つまり、この地形を考えると、地下トンネルが最も近い地形だといえるでしょう」


 そういう意味でも、時男が調べてきた調査坑というのは適した地形といえる。


 彩子も、よく辿り着いたものだと思う。


「連絡橋の建設が適当とされ、放棄された調査坑ですからネ」


 人目にも付かないはずだ、と見立てる彩子は、もう一つ、別の別のモノ・・をタブレットの画面に映した。


「そしてもう一つ、これですネ」


 それは――、



「10年前の、松嶋小学校の学校裏サイトですヨ」



 裏サイトの性質上、10年もそのままになっている訳がないのだが、この裏サイトは当時と同じURLとレイアウトで存在している。


 その説明は孝代が引き継ぐ。


「まぁ、再開させたのか、作り直したのか、経緯はこの際、問題ではありません。問題は――」


 孝代が示す最新記事は、ここ最近、頻繁に動いていた。


「稼働中という事です」


 孝代がスクロールしていく掲示板の書き込みに、皆一様に苦い顔をさせられていく。ホテル探偵の一人が思わず口にする言葉こそが、全てを物語る。


「匿名効果というが、酷いモノだ」


 書き込みは、日本語にどれだけ罵詈雑言が存在しているのかを競っているかの如き言葉の応酬。


 目を覆いたくなる惨状であるが、彩子はいう。


「子供なんです。仕方がないですヨ」


 大した事ではない、と。


「普通は、成長するに従って経験を得て、怒りに対して心の均衡を保つ保管作業が出来るようになりますケド、できないんですネ、大抵の人が。中学生や小学生なんて、そんなものですヨ」


 世を斜めに見ているのかは分からないのが、彩子である。流石に横に逸れすぎると孝代が口を挟んでしまうくらい。


「……いい大人ができてない事もありますけど」


 しかし孝代が口を挟んだくらいでは、大抵、この変人は止まらない。


「大人じゃないからだヨ」


 ヒヒヒと薄笑いを浮かべ、顔を孝代へと向けた。


「成人年齢が20歳と決めたのは、日本人の平均寿命が60代だった頃だロウ? それに対して、今の平均寿命は70を超えてる。割合から計算したら30手前が以前の20歳という事にならないかネ?」


 独自理論であるが、ねつける言葉は誰からも上がらなかった。


「それに対して身体の方は、この規定が出来た頃の日本人なんて身長は160くらいだった訳ダ。なら、今の170センチくらい普通に超えてる高校生は、昔の成人と同じだけの欲求があってもおかしくない。160センチなんて、小学生でもいるだロウ?」


 彩子の薄笑いが続く。


「つまり、精神的には何も成熟していないのに、欲求だけは人一倍なんて人、ゴロゴロしてるヨ」


「反論の余地はなさそうですね」


 孝代は溜息交じりだったが、白旗を揚げた訳ではない。


 ――逃げるが勝ちだわ、サイコさんだけは。


 口げんかで勝てるタイプではないと心得ている孝代だ。争うだけ無駄と心得ている。


 しかし彩子も持論を語りたいがためにしゃべっているのではない。


「これですネ」


 現状を打破する情報を語りたいのだ。


「この書き込みですネ。添付されている画像は、トンネル」


 風景が写っているだけで、写っている景色で場所を特定する事は難しいのだが、それだけが特定する術ではない。


「Exif情報を解析しました。GPSの座標があり――」


 彩子が示すGPS情報は、この調査坑を示していた。


 しかしミスとは誰もいわない。


 彩子が口にする単語を、皆、思い浮かべた。


「挑発と受け取るべき……でしょうネ」


 挑発・・である。


 ならばホテル探偵の班長が号令する。


「人を集めろ」

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