第29話「敵ならば、敬意を示せ!」

 魔王という称号を持っているリトルウッドの愛車がワイド&ローのミニバンというのは、イメージに合わないかも知れない。黒塗りのドイツ車にでも乗っている方が魔王というイメージに近いのは確かだろう。


 しかし高級感という点ではドイツ製のセダンに劣るものの、2.5リッターのハイブリッド車で7人乗りというリトルウッドの愛車は、車輌価格のみで730万という代物だ。リトルウッドの嗜好は「デカい車に乗りたい」と、ベクターフィールドの嗜好とは真逆である。


 そんなミニバンの向こうから迫る車群に、ベクターフィールドは目を見開いて舌打ち。


 ――まだ黄泉の門は開けないぜ……! ギリギリかよッ!


 皆生かいきホテルのスタッフだというベクターフィールドの直感は当たっている。


 こんな海辺の何もない場所にスポーツバイクやセダンの集団が来るはずがない。


 それはミニバンの運転席にいるリトルウッドも同じ。


「チッ」


 舌打ちするのだから、リトルウッドも、その集団が夕まずめを狙って釣りに来た一団だとは考えない。


 まずはベクターフィールドを怒鳴りつける。


「止めろよ、今度は絶対に!」


 怒鳴りつけてから、リトルウッドはミニバンを急発進させた。トンネルの中は広いといえども、霊を動員して開けた入り口はリトルウッドのミニバンではギリギリ。当たらずに擦り抜けられたのは、運が良いという類いだろうか。


 排ガスの臭いにまでイライラさせられながら、ベクターフィールドは剣を抜く。


「全く……!」


 前へ出て構えるベクターフィールドに、先陣を切るスタッフはアクセルを開いた。


「手下を集めてなかったのか」


 跳ね飛ばすつもりで加速させられていくバイクは甲高い音を立てるが、スタッフの声はベクターフィールドに届く。宿敵たちの声だ。ベクターフィールドは聞き零さない。


「零細でな。いないんだ、手下」


 ベクターフィールドは霊すらも、リトルウッドから貸し与え・・・・られなければ使役できない。それも時男ときお孝代たかよの乗ったスポーツセダンを事故らせた時に使役した少女のような、戦闘に向かない霊だけだ。


 ――足りない頭を使って、運と相手のミスに頼るしかないのが俺だぜ!


 若干の自嘲混じりに、ベクターへフィールドは剣を振り抜く。


 短く鋭い交叉が起こり、スポーツバイクは転倒した。この打ち下ろしは、時男の居合に匹敵する。


 しかしいとも簡単に倒せてしまっても、ベクターフィールドの評価を上げるのではなく、相手の評価を下げるのが律子のりこという女。


「杉本時男をなくして、もう打つ手がないんじゃないの?」


 トンネルから響く嘲笑混じりの声は、皆生ホテルのスタッフも誰の声かくらい想像がつく。


 リトルウッドの力なのか、律子の声はよく聞こえる。


「今、杉本時男は苦しんでる。だって、一番、やりたかったことが出来なくなったんですもん。やりたかった事は――」


 嘲笑に次ぐ嘲笑。


「リトルウッドを殺す事。だけど、安房あぼうが……ああ、誤字じゃないわよ。安房あぼうが、揃いも揃って安房あぼう過ぎて、見え見えの罠に引っ掛かって死にかけて、杉本時男は、大して助ける理由もない山脇やまわき孝代たかよのために、逆に命を売り渡さなきゃならなくなった」


 その声は、ケージを突き破らんばかりに、でんも怒りをあらわにする。


 ――止めろよ!


 しかし、でんの声は律子には届かない。


「悔しかったでしょうねェ~?」


 いいたい放題、一方通行のあざけりは、でんだけでなく孝代の憎悪も買うのだが、彩子が鋭い声で二人を制する。


「落ち着くんだよ!」


 いつもの彩子とは全く違う口調で。


「安っぽく切れるんじゃない。腹を立てても、頭に血が上るのは意地でも止めるんだ」


 彩子は、時男がこの場にいたならばと考え、確信した言葉を出していく。


「怒りは胸で燃やさず、両足に込めて自分の立ついしずえにする! 相手を憎むな。憎むべきは、敵を怖れる自分の心!」


 この二点こそ、時男が自分の支えとしてきた思考法だと告げる彩子の声は、直弟子であるあきらと孝代を打つ。絶対に身に着けなければならない境地なのだから。


 そうして冷静さを取り戻すのが、律子を最も強く苛立たせた。


「ハン、何よ――」


 律子は更に侮蔑ぶべつ侮辱ぶじょくの言葉を並べようとするのだが、それをさえぎるようにベクターフィールドは声を荒らげる。


「早く行け! 門を開くんだろ!」


 無駄口に時間と労力を割くなというのは、ベクターフィールドからいわれると、律子もリトルウッドも頭に来るだろうが。


 しかし幸か不幸か、ベクターフィールドはリトルウッドや律子からの罵詈雑言を気にしなくていい。皆生ホテルのスタッフは、ベクターフィールドを取り囲むように動くのだから。


 そんな敵へ視線を一巡させながら、ベクターフィールドはもう一度、口を開いた。


「最初にいっておく」


 全員の動きを制する響きを持っていたヘクターフィールドの言葉は……、


「さっき、あの女がいっていた言葉は、全部、嘘だ」


 律子の嘲笑は、信じる価値などないという事。


「今も、杉本時男は耐えているぜ。俺が耐えられなかった所を超えて、悲鳴一つあげずにな」


 ベクターフィールドにとって、杉本時男は軽蔑する男ではない。



 恐るべき敵――ならば敬意を表する態度を、この悪魔は持ち合わせている。



「ありがとう」


 車外に出た孝代の返事がベクターフィールドに届いたかどうかは、分からないが。

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