第30話「拝啓、地獄より」

 ベクターフィールドの技量は皆、知っている。


 劣等とはいえない、と。


 時男ときおと対峙して生き延びたどころか、時男をたおした悪魔などベクターフィールドの他にはいないのだ。


 ベクターフィールドは足りない頭を駆使して運頼み、相手のミス待ちをしたという。


 だが、それが決して運否天賦うんぷてんぷのギャンブルに勝った負けたという話でない、と皆生かいきホテルのスタッフならば頭に叩き込んでいなければならない。


 それらを心得て、スタッフが動く。


 先頭の男が右手できらめかせているのは、鉄よりも強くマイナスに帯電する白金のメッキ加工を施した剣だ。


 霊を両断する必殺の一撃を生む武器に対して、ベクターフィールドは大上段に振り上げた剣で真っ向から対抗する。


 ――他に手がねェんだよ! 馬鹿の一つ覚えというならいえ!


 自身の膂力りょりょくと剣の重量にモノをいわせて一刀両断にするといえば聞こえはいいが、悪魔の戦い方としては劣等だ。人間が操れない魔法や、それに類するものではなく、誰でもできるといっていい力任せの攻撃なのだから。


 時男の居合いに匹敵するスピードを誇るベクターフィールドの一撃は、白金メッキの剣など問題にしない。


 だが、もう一人のスタッフが脇から突き出してきた拳への対処は遅れてしまう。


「!」


 グローブのナックルパート部分に白金メッキを施したプレートを縫い付けている拳は、ベクターフィールドにとってはハンマーで殴りつけられたに等しい威力を発揮する。


 とはいえ、打撃は必殺の一撃とはならない。を貫通させるには、剣や矢が必要だ。


 打撃で怯んでも、決して膝を折らないベクターフィールドは、鬼神の如き表情と共に、その膝で男を蹴り飛ばす。


 皆生ホテルの班長が叫んだ。


「全員でやるぞ」


 時男を斃したベクターフィールドなのだから、過小評価は命取りとなる。当然、スタッフも心得ているとはいえ、1対1で楽勝は有り得ないと今一度、心に叩き込む。


 その声とスタッフの連携した動きに、ベクターフィールドは一瞬、意識が離れた。


 ――仲間……仲間か……。


 体勢を崩しながらも間合いの外へ逃れたベクターフィールドは、半包囲している皆生ホテルのスタッフではない光景を見てしまう。



 在りし日――人間だった最後の日だ。



 小学校の校門を潜って教室へ向かう道々、頭上から降ってきたのは、教室にあるべき自分の机と椅子。後50センチも先を歩いていればクリーンヒットしていた。


 見上げた先にいる顔は、担任であるたに 孝司こうじ自慢の「素晴らしい4年白組の仲間たち」だった。


 それを思い出したベクターフィールドは、今の状況は焦るにも値しない。


 ――あれに比べれば、半包囲? 危機らしい危機じゃないぜ!


 ベクターフィールドが怖れるのは、数に任せてくる者ではないのだ。


 一度は逃れた間合いの中へ、ベクターフィールドは再び突入する。


 それに対し包囲が狭まるが、当のベクターフィールドはそんな事など関係ないとばかりに目についた一人へ剣を振り下ろした。


 狙われているスタッフも心得たもの。だが半歩退き、掠める程度で回避しても、尚、脊椎せきついを駆け巡るような衝撃が来た。


 常に他のスタッフがカバーに入る。


 白金メッキされたグローブがベクターへフィールドの顔面に叩きつけられるが、


 ――不意が突けてないぜ!


 ベクターフィールドに二度の失敗はない。頭部への攻撃も、打撃ならば耐えられる。


 体勢を保ち、振り下ろした剣の切っ先は下げたままだが、おどりかかってきたスタッフの顎先を膝で蹴り上げ、続いて棒立ち同然のスタッフには胸への前蹴りを放った。


 そこで殊更ことさら、大声を投げつけるベクターフィールド。


「半包囲が崩れるぜ!」


 膝蹴りと前蹴りで遅らせてしまった次の一手までの間を稼ぐためだ。片足で立つという体勢は安定しいるとは言い難く、片足立ちでは移動もできない。


 それが分かっているスタッフが二人、半包囲を崩す事になっても動く。一人は打撃、もう一人が刃という組み合わせは、メインとサポート役という組み合わせだからだろう。


 しかしベクターフィールドにも手はある。足をただ降ろすのではなく、ドンッと地面を鳴らすかのように強く降ろす事で踏み込みに変え、一瞬で体勢と思考を防御に変えた。


 打撃は仕方がないと受け、刃はかわす。打撃ならばたおされない。


 ――当然だぜ!


 痛みはベクターフィールドに「あの日」を思い出させるが故に、攻めきる手段にさせない。


 ベクターフィールドの顔に苦い者を走らせるのは、打撃ではなく、常にあの日・・・


 教室に入った時にベクターフィールドへ向けてきた、クラスメートたちの目つき――ニヤニヤと笑っている視線の先にあるのは、ぽつんと空いた空間だった。ベクターフィールドは呆然と、その前で立ち尽くし、


 ――僕の……席は?


 誰にという訳ではなく訊ねたのだが、返ってくる言葉はない。


 ――僕の席は!?


 流石のベクターフィールドも怒鳴り、それでようやく声が返ってくるも、


 ――知らねェよ。とっとと取ってこい。


 自分たちがしでかした事であるのに、まるで他人事のような言葉だった。


 その時の衝撃は、この打撃に勝る事、数十倍だとベクターフィールドは思う。


 ――耐えれるぜ! それに比べたらよ!


 二人がかりの攻撃も、ベクターフィールドは片膝すら着かなかった。


 そしてベクターフィールドが繰り出す反撃の拳は、正確にスタッフ二人の鳩尾をとらえる。


 それによって完全に半包囲は崩れるのだが、ベクターフィールドの眼前が大きく開いたのは――明暗を分けた。


「!?」


 ベクターフィールドの目を見開かせたのは


 アクセルを床まで踏み込んだ彩子だ。


「掴まってるんだヨ!」


 ベクターフィールドを跳ね飛ばす、遠慮会釈えんりょえしゃくのない体当たり。


 さしものベクターフィールドも跳ね飛ばされ、リトルウッドと律子が入っていったトンネルへと転がり落とされた。


 車も鉄とアルミの塊であるが、彩子も必勝の手応えはない。


「これで斃されてくれればいいんだけどネ……」


 自信も同様に。



***



 とはいえ、ベクターフィールドも車の体当たりはこたえる。


「ッッッ!」


 坂を滑走したベクターフィールドは、ここで初めて苦痛を口にさせられた。


「痛ェ……」


 それで済むのは、ベクターフィールドが作るに充填されたエネルギー密度の高さ故である。


 ――剣は……あるな。


 得物が手の中にあるのだけが確認できればいい。鞘はどこかへ行ってしまったが、戦力とは関わりない。


 そして痛みではベクターフィールドの繊維は不変だ。


「痛いのは我慢できる」


 何度でもいうベクターフィールドには、あの日・・・がのしかかっている。クラスメートの声だ。


 ――知らねェよ。とっとと取ってこい。


 ニヤニヤと笑いながら怒鳴るクラスメートの声は、語尾とチャイムが重なる。


 教室へ入ってきた担任の谷は、教室内にぽっかりと空いた空間を一瞥し、


 ――またお前か!


 ゲンコツを振り下ろしたのは、ベクターフィールドの脳天だった。



 クラスで何が起ころうとも、全ての責任はベクターフィールドにあると定められたのが「谷先生の4年白組」である。



 10歳のベクターフィールドに刻まれた苦痛は、どんな打撃――例え自動車に跳ね飛ばされるような痛みであろうとも、蚊に刺された程にしか感じない。


 スロープを駆け下りてくる足音を聞きながら身体を起こしたベクターフィールドは、剣を構える。


「手が足りてねェぜ!」


 10人少々の足音に、ベクターフィールドは腹の底から怒鳴った。平らげた4人を加え、半包囲していたのは14人。魔王リトルウッドがいるため、後から来る援軍もあるのだろうが。


 狭いトンネルであるから車輌を入れるのは躊躇ためらわれたのだろうが、この躊躇いをベクターフィールドは油断と取る。


 ――車をぶっ壊されて、爆発させられたら窒息しかねないからか? そんな遠い未来の心配なんぞ、する必要はないぜ!


 今の勝利が必要なはずだろうという言葉は嘲笑ではなく、敬意――ベクターフィールドが時男に対して懐いていたもの――が欠けているという軽蔑だ。


 追撃に来たスタッフの体勢が整う前に、ベクターフィールドは走り、その切っ先を目に映った一人に突き入れる。


 浅いが、急所だ。


 しかしサポート役のスタッフは、切っ先が同僚に突き刺さった瞬間、即ち自分に切っ先が届かない瞬間を狙って拳を振るう。


 右拳がベクターフィールドの側頭部を捉え、その右を引く反動で左拳を振り上げる。


 自身の身体が浮き上がるほどの反動を伴った左に跳躍力を乗せ、バク宙する要領で蹴りを放つというアクロバティックな攻撃は、全てベクターフィールドを捉えた。


 ――今だ!


 打撃では倒せないベクターフィールドだが、この連続攻撃で身動みじろぎ一つしないなどという事はないはずだ、と空中で一回転したスタッフは目配せする。


 しかし現実は……、


「それがどうした!」


 ベクターフィールドは身動ぎ一つせず、着地したスタッフの脾腹に剣を突き立てた。


 たおれていく同僚に、スタッフの展開が変わる。


「挟み撃ちだ!」


 打撃が二人、ベクターフィールドの前後に散り、挟み撃ちという言葉の通り、前からは喉笛に、後ろからは延髄へ拳が舞った。


 ベクターフィールドも無傷では済まない。何度も攻撃を受け、車に跳ね飛ばされ、トンネル内に転落し、先程の連続攻撃と、今、襲いかかってきた二人の拳――その全てに、並の悪魔ならばへし折られてしまう威力がある。


 しかしベクターフィールドからは悲鳴も、呻き声もない。


「――」


 激痛はあるが、痛いだけだからだ。


 そして、それ以上の苦痛・・を知っている。


 ――もうお前、学校、来んな。


 ――キモ……。


 ――キモいって。


 ――目がキモすぎ。


 ――変質者。


 ――その内、人間をやっちゃうだろ。


 クラスメートの嘲笑に晒されたベクターフィールドに、ただ一人、手を差し伸べてくれた幼なじみの顔が浮かぶ。


ひかる姉ちゃん……」


 思わず口から漏れる幼なじみの名前。


 幼なじみにいったのは、一言。


 ――もう死にたい……。


 本音だったのか、つい出てしまったのか、それは分からないが、ベクターフィールドが泣きながら幼なじみに告げた言葉は、そんな一言だった。


 ――簡単じゃないか。


 その言葉を出したのが、幼なじみでなかった事も憶えている。


 背の高い金髪の外国人だった。ベクターフィールドのようにハーフではない。日本語のイントネーションが少しおかしかった。


 次に感じた焼け付くような痛みは、ナイフが掠めた事と、幼なじみに突き飛ばされて転んだ事の二つだった。


 幼なじみは、事態を理解できていないベクターフィールドの手を掴む。


 ――逃げよう!


 そしてT字路で、文字通り運命が別れた。


 ――別々に逃げるの! たぁくんはあっち!


 幼なじみにいわれるまま、ベクターフィールドは走った。別々に逃げてくんだと幼なじみはいったのだから。


「でもなぁ、逃げる気なかったんだろ、輝姉ちゃんは!」


 ベクターフィールドを逃がそうとした幼なじみはその場に残り、翌日の新聞を賑わせた。


 ――こんな痛みが、他の何より上だって!?


 剣を放し、喉と延髄を捉えた拳を掴むベクターフィールドは、白金メッキが与えるダメージなど意にも介さず、怪力を発揮する。


「イイイッッッ!」


 砕けんばかりに歯を食い縛り、ベクターフィールドは二人の身体を持ち上げ、地面に叩きつけた。


 その目に浮かんだ光景は、翌日、その殺人鬼の前へ向かい、幼なじみを死なせる原因になった自分の命を差し出した時の事。

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