第31話「悪意なし・敵意なし・殺意あり」

 ベクターフィールドが身に着けている技術は、然程さほどのものではない。霊と同じく物理的法則を超越する存在であるのに、前後左右に出入りする事と縦横無尽に殺傷力を持つ攻撃を繰り出す事とができないのだから。



 執れる手段はただ一つ、真っ直ぐ振り上げて振り下ろす――それだけだ。



 その要点は二つ。


 ――右か左か決めろ。腹くくって踏み込め。


 確率2分の1という、どちらにも転ぶ可能性のあるギャンブルだが、これがベクターフィールドにとって必殺の一撃となる。


 霊や悪魔にとっても思考を司ると鼓動を司る、その二カ所を繋ぐが急所であるが、そこにさえ致命的なダメージを受けなければ構わないと振り切るベクターフィールドは、自らを文字通り必勝の道具にしていた。


 ダメージは確実に蓄積ちくせきしているというのに倒れないベクターフィールドの姿と、対照的に倒れていく仲間が増える度に、皆生かいきホテルのスタッフが懐く焦りの色は濃くなっていく。


 スタッフに広がっていく焦りの根底にあるのは畏怖か。


 ――こいつが雑魚だとは思ってなかったが……!


 ベクターフィールドへの畏怖が、恐怖と共にスタッフへ伝播でんぱんしていった。


 それを見るベクターフィールドは、時男と対峙した時の余裕のなさなど微塵も見せない。


 ただうそぶく。


「右か左か決めたら、腹だけ括ってかかってこい」


 ベクターフィールドにとって時男が恐るべき男であった事は確かだが、眼前の男たちが雑魚だという事ではない。


 ベクターフィールドの打ち下ろしを時男が凌いだ理由は、一対一・・・に近い状況である。


 ――どれだけ統制が取れた集団でも、集団で個人個人が右左を決められる訳がねェぜ。


 今、ベクターフィールドの剣が活きているのは、皆生ホテルのスタッフがベクターフィールドを取り囲んでいるからだ。集団戦に於いて、個人の判断は制限されて当然。自らの行動を自らが決定し、それを得物に乗せられないならば、ベクターフィールドに気圧けおされるのみ。


 ベクターフィールドの剣閃は確実に敵を討っていく。


 皆の視界の中心にいるのがベクターフィールドのみとなった時、トンネルの奥から熱風が吹き荒れた。


「!?」


 スタッフには驚愕を、ベクターフィールドには笑みを与えるその風とは……、


「開いたか!?」


 ベクターフィールドの言葉には主語がなかったが、何を意味しているかは明白である。



 このトンネルにあるという黄泉の門だ。



 その熱風を受け、ベクターフィールドはドンと態とらしい程、大きく足を踏みならす。


「開いたな!」


 ベクターフィールドの勝利は目前だ。



***



 トンネルを駆け巡った熱風は、待機していた彩子すらギョッとした顔をさせる。


「これは……」


 それは、ただならない気配を感じたとか、恐ろしい予感がしたとか、そんな曖昧なものではない。


 乗っている車の金属部分がゆがみ始める光景を見せられたからだ。



 金属部分――即ち霊が苦手とするマイナスエネルギーを持つ部位。



 それが意味するところを知っているでんが、ケージを叩いた。


 ――おーくん、ドアを開けて!


 あきらに開けろと訴えかけるが、孝代は反射的に止める。


「ちょっと待って。これは、かなり危険でしょ」


 しかし危険といわれても、でんはキッと孝代を見返すのみ。


 ――閉めに行かなきゃダメでしょ!


 自分が行くというでんは、霊にとって絶対的な力を持つ稲妻を操る雷獣である。門が開いたという事は、ベクターフィールドとリトルウッドが皆生ホテルのスタッフを全滅させたという事も暗示しており、逆転の一手を打てるとすれば、この子ネコの存在しかない。


 だが如何せん、その身体は子ネコなのだ。


 成獣が全力を出せば、成る程、魔王を平らげる存在なのかも知れないが、でんの全力が如何いかほどか、またどれだけの時間、戦えるのかはわからない。


 迷う。


 ただし大人のみが。旺は違った。


「よし!」


 大人達が迷っている間に、旺がでんのケージと車のドアを開ける。


 ――ありがとう!


 でんが駆け出すが、駆け出すのはでんだけではない。


「僕も行くぜぃ!」


 旺も同様だったのだから、孝代も慌てて社外へ出る。


「おーくん!?」


 それは無茶だと目を剥く孝代であったが、5歳児の足でも虚を突かれれば止められない。


 先頭を走るでんは、旺を止めなかった。


 ――仇を討つよ!


 でんの脳裏に浮かぶ時男の姿が、でんから停止や静止をさせない。時男が初孫の旺へ向けていた眼差し、二人と一匹で行った様々な場所、居心地の良かったスポーツセダンの車内……その幻影を力に変えてまとい、でんが走る。


 暗いトンネルの中に、打つべき姿を捉えるでん。


 ――派手にウェーブ!


 でんから閃光が走る。


「チィッ!」


 わざとらしい舌打ちをしながら、ベクターフィールドは後退させられた。


 したのではなく、させられた《・・・・・》。


 でんは不意も突けたが、今の攻撃は隙を突いた必殺の一撃ではなく、それに繋げる牽制。


 時男を間近で見てきたでんは、この時、正解を引いた。



 ベクターフィールドの恐るべき剣を唯一、凌げるのは、右でも左でもなく、立ち向かう事――



 でんが地面を蹴る。


 ――アタック!


 宙を舞い……、


 ――大!


 稲妻をりったけ、その身に集めた。


 ――爆発!


 自らの身体を砲弾とし、でんが更に加速していく中、ベクターフィールドは剣を構えて迎え撃つ。


「お勉強済みってか!? このガリ勉野郎が!」


 迎え撃つにしても、真っ向からしか手段がないベクターフィールドだ。


 強烈なエネルギーの奔流。


 その中心で、ベクターフィールドは耐える。


 ――甘いんだよ!


 耐えるための言葉が、ベクターフィールドの口から迸った。


「痛みは、一番の親友! 死は、一番のご近所だ!」


 でんの稲妻に耐え、振り下ろしたベクターフィールド剣は、激痛と共にでんの身体を通り抜ける。


 ――そんな……!


 だが流石のベクターフィールドも、雷獣の一撃で万全の体勢は取れていなかった。急所は外している。


「よくやったと、誉めてやるぜ、雷獣……」


 一撃で仕留められはしなかったが、戦闘不能に陥ったでんの身体をベクターフィールドが掴む。


 ――!


 でんは何とか逃れようと身体をよじるが、それは「せめてもの抵抗」でしかない。


 ベクターフィールドは剣の切っ先を、でんの額へ……、しかし、そこへ走り込んでくる旺が。


「待て待て待てーい!」


 剣を抜き、盾を構えて吶喊とっかんする旺だが、ベクターフィールドから見れば不意など突けていない。


「バカか!」


 子供が何の用だと剣を振り上げるベクターフィールドに、でんの目が旺へ向く。


 ――おーくん、ダメだ……!


 でんはかすれ声も上げられなかった。何もかもが限界で、ベクターフィールドの剣に切り捨てられる旺の姿しか想像できなかったのだが、眼前で繰り広げられた光景は少し違う。



 ベクターフィールドに手応えがない。



 旺は開脚の要領で身体を沈ませ、回避した。振り下ろされる剣が殺傷力を持つのは、精々、脳天から股間まで。切っ先は下へ行くずつ威力を失い、膝より下ならば、大根でも切れない。


 旺の左手にある盾でも、ベクターフィールドの剣を受け止めていた。無傷ではないが、今の旺とて痛みで止まるほど、軟弱ではない。


「いいいい!」


 食い縛った歯の間から気合いの雄叫びを上げる旺の剣が、でんを掴んでいるベクターフィールドの左手を捉える。


「――!」


 その一撃は、遂にベクターフィールドの喉から悲鳴をあげさせた。


 ――そいつ、杉本時男の……!


 その一撃にこそ、時男が得意とした純粋な殺意・・・・・が秘められている。


 ベクターフィールドに苦痛を与えようという悪意、敵意が排除された、何もかもを断ち切る意思だ。


 旺にとって、ベクターフィールドが憎むべき仇である事よりも、祖父が残した薫陶くんとうこそが重要だから放てる攻撃。敵を憎んではならない、怒りを胸にたぎらせてはならないという、敵意と悪意の放棄ができるからこそ、旺の攻撃はベクターフィールドを捉えられる。


 ベクターフィールドの左腕が宙を舞う。


「こいつ……!」


 ベクターフィールドは崩れ落ちようとする足を踏ん張り、身体を開いてしまった旺に剣を――、


「ラーッシュ!」


 が、その横っ面を旺は盾で強打する。スポーツチャンバラでいうところの、相手の体勢を崩すための攻撃、シールドバッシュだ。


 打撃では止まらないベクターフィールドも、これだけは別である。


 ――こいつ……!


 純粋な殺意が込められた打撃はベクターフィールドの身体を蝕み、今まで耐えてきたダメージを一斉に襲いかからせた。


 それでも崩れ落ちないのは、ベクターフィールドの意地か矜恃か。


 その隙を、孝代が突いた。


「おーくん、ありがとう!」


 孝代の声と共に、ベクターフィールドを襲う胸部を圧迫される感触。


 孝代が用意した必勝の策が、今、炸裂した。


「これで、お終い!」


 孝代は旺のように純粋な殺意を操れる訳ではないが、旺にはない知識がある。


「な――!?」


 ベクターフィールドを黙らせる火柱が上がった。


 赤い炎ではなく、真っ白い輝きがベクターフィールドに巻き付けられたナップサックから起こる。


 その火柱の正体は――、


「見たか、テルミット反応の威力!」


 ベクターフィールドに聞こえているかどうかは分からないが、孝代は声を張り上げた。ナップサックの中身は、アルミの粉末と酸化鉄を混ぜたものに、発火剤とマグネシウムリボンをセットしたものである。


 火が着いたアルミの粉末と酸化鉄は、酸化還元反応を起こし、摂氏3000度という常識外の炎と化す。


「その火は消えない! 例え空気を遮断しても、酸素は空気中じゃなく酸化鉄から発生してる」


 旺をかばいながら距離を取る孝代。


「炎自体は、悪魔なんだから何でもないかも知れない。でも還元反応で得られる物質は鉄。あんたたちの嫌いなものよね!」

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