第17話「1986年の残光」

 駆け込んでくるのだから、孝代たかよにあるのは強い焦りだ。


「今日は、何か分かりました?」


 ここ数日間、進展がない事に溜め続けていたストレスが声を上擦うわずらせているくらい。ブラッディー・メアリーこそ排除したが、「依頼人を守る」という視点で見れば進展していないのだから。


 そしてドタドタと廊下に足音を響かせているといえばもう一人、あきらもいる。


「わかったー!?」


 しかし旺の大声には、足音もなく部屋に入ってきた三人目がたしなめた。


「これ。あまり騒がしくするものではない」


 時男ときおは、こつんと軽く孫の頭にゲンコツを当てる。彩子あやこしかいないのならば兎も角、今日は他部署から来ている馴染みの薄いスタッフもいるのだ。杉本班はいちいちうるさいと思われるのは恥である。


 ただ孝代は、それを差し引いても焦りを訴える方を選ぶが。


「でも、杉本すぎもとさん……。落ち着かなくって」


 大学の講義にも身が入りにくいと訴える孝代へ、時男は「やれやれ」と呟きながら自分の禿頭とくとうに手をやった。


 だが頭にやらなかった方の手に持っているもの・・を孝代へ向け、


「これで少し落ち着くかな?」


 それは時男が持っているものと同じ帆布はんぷ製の竹刀袋。


 中身は――、見ずとも分かる旺が駆け寄ってきた。


「あ、お姉ちゃんの剣? できたの!?」


 孝代の刀は、時男が満足そうに頷く出来である。


「あァ、できたよ」


 帆布製の竹刀袋ごと孝代に手渡す時男。


「本来、柄は山脇やまわきさんの手に合わせて作るのじゃが、ちょっと持ってみてくれんかの?」


「あ、はい!」


 孝代も不安が消し飛んだ顔を見せていた。とはいっても、中に入っているのは水道用の耐衝撃性塩化ビニール管を切って作ったもの。コスプレ用品に過ぎず、決して武器ではない。


 霊の切り裂く事にしか用を為さない代物であるが、赤い鞘から抜いた刀は、むねみねしのぎも、全て真剣さながらに作られている。


 真剣を握った事こそないが、演劇に使う小道具の手本にするため、博物館で穴が空くほど見てきた孝代には作り込みがわかる。


「凄い」


 その一言が、時男の自信を程良く刺激した。


「常時10キロの水圧がかかり、その上、ウォーターハンマーが起きた場合にも耐える事ができる素材じゃから。日本刀であろうと、角度によっては両断できぬ」


 ならば時男の足下で、旺が「いーなー、いーなー」と連呼する。そういわれると、孝代は自分の不覚でベクターフィールドに両断された剣を思い出してしまう。


「あ、おーくんの剣は、私が壊しちゃったね。ゴメンね」


 ベクターフィールドに破壊された剣を思い出すと、孝代も表情を曇らせてしまう。そもそも旺の剣とて、霊のを切り裂くには向くが、武器ではない。対するベクターフィールドが持っていたのは剣――武器だったのだから、挑むのは無謀だったといえる。


 しかし旺は心配無用と白い歯を見せた。


「あ、大丈夫だぜぃ。僕の剣も、お祖父ちゃんが直してくれたぜぃ」


 ニカッと笑った旺は、でんのケージを床に降ろし、背負っていたリュックサックを開ける。


「ほら!」


 そこにはEVA樹脂製の鞘と一体化している盾と、その中に収まっている剣とが見えた。


「今度は頑張るぜぃ。でんちゃんもね!」


 と、旺がケージに向かって屈むと、孝代は「あ」と呟く。


「そういえば、でんちゃん。お話しできるわよね?」


 一瞬で沈黙し、孝代を見上げる旺は、


「……」


 普段からは想像できない、控えめな言葉を出す。


「んーん」


 饒舌な旺にしては珍しい一言だけなのだから、孝代も「でも……」と追求してしまう。ただアキラの答えは変わらない。


「んーん」


 ただし変わらなかったのは旺のみ。声が聞こえる。


 ――おーくん、もういいよ。山脇さんは大丈夫だから。


 その声は、ケージの中から聞こえてきた。


 旺はケージを見下ろし、ぷくっと膨れっ面。


「いいの? でんちゃんが、他の人にお話できるって教えちゃダメっていったんだぜぃ?」


 でんが目を細めて旺を見上げて、


 ――動物と話が出来ると言いふらせば、必要ない衝突が起こるからだよ。話して良い人には、僕がいいっていってるでしょ?


「そか」


 旺は納得しがたい様子であるが、孝代も旺を慰めるよりも先に、ケージの中の伝へ顔を向ける。


「どういう事?」


 ネコではなかったのは分かったが、ではでんは何者であるか、それも大事だ。


 ――こんな成りだけど、僕はネコじゃない。説明は省くけど、おーくんを守護してる雷獣らいじゅうって妖怪。今回の事件は、あまり大きくなったらおーくんに被害が出て来そうだから口出ししたの。


 時男が旺を連れて悪霊退治に出られるのも、でんの存在があるからだ。稲妻を操るでんは、霊にとって天敵ともいえる。それが旺を守ってくれるという点は、非常に大きい。事実、ベクターフィールドを撃退したのも、でんの力があった。


 妖怪と聞くと孝代は身構えてしまうが、時男は心配無用と片手を上げる。


「昔、戦争をしていた頃、軍に捕まってしまったらしいのじゃよ。儂が助けた時は、恨みに凝り固まった悪霊のような状態で、封印するしかなかったのじゃが……」


 時男が若い頃の仕事を思い出していた。今の姿からは想像がつかないが、凶暴な雷獣だった事だけは目に焼き付いている。


 その凶暴な雷獣は、当初も凶暴な存在ではあったのだが、今のでんは穏やかに話す。


 ――何かの拍子に封印が解けて、これはしめたと思って、近くにいた赤ちゃんに取り憑いたら、それがおーくんだったの。


 穏やかな口調であっても、話すのはとんでもない話で、孝代も眉をしかめさせられるが。


「それ、大事おおごとになるでしょ?」


 しかし眉根を寄せた孝代に対し、でんは首を横に振る。


 ――でも赤ちゃんの無邪気さに、邪気を無くされちゃってね~。だからボクは、おーくんを守ろうって決めたんだ。


 今はご覧の通り、人畜無害じんちくむがいの存在だ。昼寝と旺が大好きなミニェットが正体なのだから、孝代はくすりと笑ってでんの頭を撫でようとするが、


「そっか、でんちゃん、偉いね」


 でんはザッと後退り。


 ――触られるの、嫌なんだ。


「え? 叩こうとか思ってないんだけど……?」


 鼻白む孝代に、でんはフンと強く鼻を鳴らす。


 ――じゃあ山脇さんは、知らない男の人におっぱい触らせてくれっていわれたら平気なの? それと同じだよ。


 そもそも思春期以降の人間でも接触することは稀で、それは特別な好意を持っている者同士の間だけだ。


 そして孝代がでんを撫でられるかどうかは、今、重要ではない、と彩子が口を挟む。


「でんが心強い仲間だという事はわかったかネ?」


 会話が途切れるのを待っていたのは、せめてもの気遣いである。その気遣いで、もう孝代に焦りはなくなった。


「あ、はい」


 向き直る孝代へ、彩子がホテル探偵から預かったファイルを差し出す。。


「契約を司る魔王リトルウッドと、その契約者の情報が載ってイル」


 そこに載せられた名前は……、


「契約者は、続木つづき律子のりこだヨ」

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