第3章「死が薫る雷雨」

第16話「追加調査は必須」

 時男ときおが持ち帰った指輪を機材に取り付けた彩子あやこは断言した。


 ――多分、これだろうネ。電磁波の波形が一致しているヨ。


 間違いなくブラッディー・メアリーの発生源だ、と。何でもない指輪であったなら、波形の一致した電磁波など出ていない。


 ――けど杉本サンの話なら、事件はまだ終わってないネ。さてさて……。


 徹夜続きの彩子は、そろそろ頭痛も感じ始めたが、時男が持ち帰った情報は頭痛を気にしていられない。


 当然、悪魔は霊以上に危険な存在だ。


 ――事故・・自殺・・、または殺人事件の被害者・・・・・・・・っていうのは、死神が間に合わない事が多々あってネ。その場合、悪魔が連れて行ってしまう事があるんだヨ。


 孝代たかよへの、彩子の説明はこう。


 ――悪魔に連れて行かれた人間は、冥府へ行けない。当然だネ。代わりの行き先は地獄だっていわれてるヨ。地獄で永遠の責め苦を味わい、発狂してしまうか、責め苦を受ける側から受けさせる側へと変わるって場所らしい。


 彩子の説では、それが悪魔である。


 ――ま、それはいいサ。問題は、この悪魔が契約を司っているとしたら、依頼人はブラッディー・メアリーにだけ狙われていたんじゃないという事になる。


 ブラッディー・メアリーは、この指輪を処理する事で退治できるのだが、事件の依頼そのものは続行だ。


 ――悪魔も排除する必要があるネ。契約者を突き止めるのが先決かナ。


 ただし、これには流石の彩子も時間がかかる。


 孝代が何度も頭の中で反芻はんすうしてしまい、講義に身が入らない程に。


 今も壇上では講義が続いているが、頬杖を着いている孝代は上の空。


「化学変化は、まず状態の変化として現れる。その変化速度がゆっくりならば、誰も気付かないまま進行している事もある。車の底のサビのようなものだな。まぁ、車のサビは、普段、見ていないから気付かないのかも知れないが」


 奨学金を受け取ってまで入学したというのに、今の孝代には余裕がない。


 それを見越している彩子から、釘を刺されているにも関わらず。


 ――しばらくは学業に専念する事だネ。忘れちゃいけないヨ。君は奨学金を受け取る条件として、ホテルの仕事をしている。ホテルの仕事が主じゃないからネ。


 反芻していた彩子の言葉がそこに達した時、孝代はハッと顔を上げた。


 ――いけない!


 高校ならば教師から注意が飛んできたところだが、大学は違う。大学はついてこられない者は無視されるのだから、ついてくる気のない者を待つような事はしない。


「サビは酸化反応だから、反応は熱を発生させる。使い捨てカイロの原理はコレだ。鉄を酸化させる事で熱を発生させている。だが車が錆びても、発熱したと感じる者はいない。変化のスピードが違うからだ。酸化のスピードが速ければ、発熱、発火、爆発に繋がる。これは酸化物から酸素を取り出す還元反応にも同じ事がいえる」


 とはいえ、この講義は孝代でも余り重要性を感じられずにいたのため、もう一度、思考の海へ潜ってしまうが。


 ――分からない事が多いのよ。でんちゃんも、あの子、実はネコじゃないでしょ。


 あきらが連れているネコを思い出す。チンチラシルバーとマンチカンのミックスだといわれていたが、ベクターフィールドとの戦いを見るに、それは嘘だとしか感じられない。初日に聞いた声の事もある。


 そしてもう一つ。どちらかといえば、こちらの方が気になる。


 彩子の言葉から導き出される、あの時、孝代たちと対峙した男たちの出自だ。



 ――自殺者・・・



 特にベクターフィールドには、事件や事故ではなく、その言葉が浮かんでしまう。


 ――色々、聞きたい事ばっかり増えてる。


 皆生かいきホテルから貸し出されているスマートフォンを見遣る孝代は、まだ講義の時間が半分以上、残っている事に大きく溜息を吐かされた。



***



 日本では馴染みが薄く、また警備の一部署に過ぎないが、世界に展開している皆生ホテルには所謂いわゆるホテル探偵が存在している。日本国内での活動は2007年に施行された探偵業法に従うが、それでも彼らは調査のプロだ。


「最終です」


 ホテル探偵が彩子へ一冊のファイルを手渡した。


 皆生ホテルでは紙での報告に拘る。タブレットのような携帯情報端末が存在する現代にいては時代遅れともいわれるのだが、電子データは複製が容易い事、ネットを介してしまうと横から抜かれる様々な種類の手段が存在している事などからだ。情報の流出が容易たやすく、挙げ句、気付きにくいなるば、便利さには目を瞑る。


 スタッフの手しか介さないアナクロの手段こそが、現在では流出を守れると皆生ホテルの上層部は判断している。


 そして今、ホテル探偵が持ってきた情報は、万が一にも流出などしてもらっては困るものだ。


「杉本さんの車から録画された映像が役に立ちましたね」


 ホテル探偵はファイルを手に持たない。頭に叩き込むのも、身に着けなければならない基本である。


「相手の車からは追えません。偽造ナンバーでした。杉本さんと直接、交戦した男の素性も不明ですが……」


 ベクターフィールドは名前が売れているという程の存在ではなかった。


 だが、もう一人、リトルウッドは別だ。


「運転席に乗り込んで走り去った男は、記録にありました」


 ホテル探偵の表情が、それがむべき相手である事を告げている。


「魔王リトルウッド。1986年2月の決戦で、杉本さんが撃退しています」


 1986年2月の決戦――彩子も直接、知っている訳ではないが、皆生ホテルの社史を調べれば絶対に出てくるものだった。


 76年周期でやってくるハレー彗星が訪れた時である。


 1910年の接近では、空気がなくなる、病を得るなどのデマが広まり、そのパニックの中で悪魔が跳梁ちょうりょうする隙ができてしまった事をかえりみて、1986年の接近では全力投入の体制で迎えた、と記されている決戦だ。


 しかしそうなると、ファイルに視線を落としている彩子はいぶかしげになる。


「仕留め損なった? そういう事デスか?」


 想像ができない。1986年といえば、時男が最盛期だった頃だ。


 しかし事実と印象が衝突した際、事実を優先するのはホテル探偵の常である。


「そういう事になります。乱戦だったようですしね」


 現実にリトルウッドは跳梁ちょうりょうしているのだから。ホテル探偵も、その1986年の詳細は不明。記録によれば、誰もが軒並み二桁半ばの霊を斬り、時男に関していうならば三桁に達するという。この記録の精度は疑わしいレベルになっている。


 仕留め損なったとしても不思議ではない。余力など残らなかった戦いであったと考えた方が自然だ。


 しかも重要なのは、リトルウッドの肩書き。


 彩子が「ふむ……」と唸りながらページをめくると、それが飛び込んでくる。



 契約を司る悪魔。



 彩子は内心で舌打ちした。


 ――アタリ。


 人と悪魔が関わるとすれば、それは加害者と被害者という関係以外は契約しか有り得ない。


 その契約者の写真も、彩子が目を落としているファイルにある。


「この後ろにいた彼女が、契約者デスか?」


 女の写真を指さす彩子へ、ホテル探偵は頷く。


「そうです」


 そして、この女の調査にこそ、ホテル探偵はディジタルに潜む危険を利用した。


「顔しかないですが、画像検索などネットに色々とありますからね」


 皆生ホテルが情報の流出を防ぎきれないと判断したオンライン上には、個人を特定できる情報がいくらでも転がっているし、場合によっては自分でバラ撒いている事すらある。


 この女も、顔からソーシャルメディアに辿り着き、そこから卒業した高校、中学とさかのぼって突き止めた。


 最後のページに辿り着いた彩子は、「なるほどネ」と静かにファイルを閉じる。


 それを見計らったように、廊下からパタパタと軽いが騒がしい足音が。


 ドアを開けて入ってくる女は、足音も声を軽い印象の――、


「お疲れ様です!」


 孝代だった。

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