第13話「その翼を追え!」

 ベクターフィールド自慢の愛車は白いクーペ。最新型ではなくバブル景気に沸いていた頃に走っていた古い車である。しかしボディカラーが白で、マニュアルミッション、ツインターボを搭載したモデルは希少車で、その中でもサンルーフをつけていない車を探すのは、骨が折れる。


 それだけこだわっている愛車であるから、当然、大事に乗っている。ボディーコートを施工し、洗車も毎月、欠かせないのは基本的な事だというくらい。


 だからこそ、ベクターフィールドは乗せる相手は選別したいのだが、今、後部座席に乗っている相手には嫌な顔を隠すのに苦労させらる相手だった。


 後部座席に乗っているのは、ベクターフィールドがフランクフルトを持っていた手を払いのけたリトルウッドである。


「阻止された。そして、阻止してきた奴らがマズイ」


 その隣には、ベクターフィールドへあざけるような視線を向けていた女で、その女へリトルウッドは忌々しい口調で説明していた。


皆生かいきホテル。あそこは面倒・・だ」


 腕組みをしているリトルウッドにとっても、この名前は特別であり、標的にしていた女が、皆生ホテル傘下の病院に収容されたというのも問題である。


「ブラッディー・メアリーを送り込む訳にはいかなくなった」


 無策に送り込んだのでは、ブラッディー・メアリーが返り討ちに遭うのみ――とまで匂わされると、女も気になる。


「どういう相手?」


 それに対し、リトルウッドは醜悪な薄笑いを発した。


「知ってるホテルチェーンなんぞ、精々、ブティックホテルだけか」


 隣に座っている女へ向けられた嘲笑は、思わずベクターフィールドも笑ってしまう。


「ははは」


 ベクターフィールドの笑いは、決して出来がいいとはいえない冗談に対してか、それとも便乗したくなる気分だったのか。


 笑いの代償は背中から尻に掛けて走った衝撃だった。


「ッ」


 ベクターフィールドは革張りのシートに蹴りを入れられた事に腹を立てるタイプだが、苛立った視線をルームミラー越しに後部座席へ向けても、視線で人を殺せるような魔法を持っている訳ではない。


 シートを蹴った女も、ベクターフィールドを睨み返した。


「何?」


 その女も視線で人を殺すような事は不可能であるが、不機嫌さ隠そうともしないのは、ベクターフィールドの気分を悪くするとくらいの効果はある。


 そしてリトルウッドも女の側だ。


「ベクターフィールド」


 リトルウッドの低い声がベクターフィールドを黙らせる。


 それはチンピラがボスに一括されたように見えるのだから、女も溜飲りゅういんが下がる思いがした。気を取り直して訊ねる。


「で、皆生ホテルって?」


 無論、聞いた相手はリトルウッド。ボス・・なのだから。


「昔は、霊を操ったとなると死神が来ていた。死者を速やかに送る。冥府ってところは、そういう仕事をしているところだが、ここ30年、その死神に非正規・・・がアホ程、増えた」


 最後の単語には、女も吹き出してしまう。


「非正規? 派遣社員とか契約社員とかって事? 何、そのギャグ」


「あぁ、ギャグだ」


 リトルウッドも笑い、


「元々、この世で起こったものは、この世で解決しなければならない、なんてものがあった。それを拡大解釈し、だったら霊を操る人間や冥府の法に従わない人間も、この世で起こった事だといい出した」


 ギャグだ、ギャグだと繰り返すリトルウッドは、女へ向けていたものとは比較にならない程、強い侮蔑の色を浮かべている。


「だから、そういう場合だけ、人間を死神にするんだ。ただし仕事の間に、例え死んだとしても、冥府は一切、関知しないとしてな」


 冥府とて役所、死神とて公務員、とはいうのだが、現実の市役所や県庁ではないし、そこで働く一般行政職でもない。


 一般行政職ならば、もっと身分の保障があるし、任命責任も明確だが、それらがない冥府を指し、リトルウッドは小馬鹿にする。


「学級会レベルだ。決める内容も、決める奴らも」


 だがリトルウッドの嘲笑が強まっても、女の疑問は何一つ解けていない。女の声は不機嫌さを増していく。


「で、その非正規の死神の集まりだとでも?」


 皆生ホテルという単語が、ただ一言も出て来ていないのは、その説明をリトルウッドは嫌がっているからだ。リトルウッドの口調も苛立たしさや、歯がゆさを増していく


「非正規化が進んだ30年、死神が間に合わない、または撃退されるような事態が増えている。それもそうだ。技量も劣る、装備も権限も限定的。そんな奴らなんだからな。お陰で、こっちの商売は順調になったが。しかし問題になってきたのが、その皆生ホテル」


 リトルウッドがやっと出した。


「細々と霊狩りをしていた人間を集め、表で展開させているホテルレジャー事業の従業員にして、裏では霊狩りをしている。冥府とも渡りがつく最悪な奴らだ。諦めも往生際も悪い」


 リトルウッドは文字通り言葉を吐き捨ていく。衝突した数え切れない経験が、プライドの塊であるリトルウッドをさいなむ。


 だが吐き捨てる姿に、ベクターフィールドは思う。



 ――逆の立場なら、逆の事をいうくせにな。



 逆の立場であったならば、往生際が悪く、最後まで抵抗する事に対し、不屈の闘志とか責任感とか、そういう言葉を使うのがリトルウッドだ。それを他者にも強要し、捨て駒になった眷属は数多い。


 だからベクターフイールドは口を挟む。


「ホテルマンだけでなく、送迎運転手から、果ては弁護士や医師まで自社教育、自社雇用してるホテルだからな。裏課業のセクションにいる奴らの組織に対する忠誠心が高いぜ」


 いわずにはいられなかった。


「仕事とはいえない、食う事なんて想定していない仕事を食える仕事にしてくれて、身分をくれたんだからな。あいつらは必死で来るぜ」


 ベクターフィールドから見た皆生ホテルのハンターは、嘲笑の対象でも嫌悪する対象でもなく、恐るべき相手である。その名前を吐き捨てる気にはなれない。


「行く機会があれば、行ってみるといいぜ。記帳の順番待ちをしている客に、サービスで出すコーヒー。微糖のエスプレッソ。あれはカフェで金払って飲むコーヒーでも、そんな美味さにならないくらい美味い」


 誉めたつもりのベクターフィールドは、後部座席の二人にとっては挑発的ですらある。


 また女が革張りのシートを蹴った。


「行った事があるんだったら、何で壊滅させてこなかったの? 何しに行ったの? ガキの使い?」


 そしてリトルウッドも蹴る。


「そういう所だぞ。常識のなさをどうにかしろ。気軽にメシを食いに行ける場所か」


 しかしリトルウッドシートを蹴る理由は、もう一つ。


「何か、変な飛び方をするハトがいるな」


 リトルウッドの直感が告げた。



 集団で飛ぶハトが、明らかにこのクーペを目指している。



「……」


 バックミラーへ視線を走らせたベクターフィールドは、ハトの他にもう一つ見つけた。


 ――ガンメタの車?


 スポーツセダンが、ハトを追跡している。


 ――あれは、ヤバイ!


 一瞬の間を置いて、ベクターフィールドはアクセルを踏み込んだ。



***



 実際に行うまで分からない事がある。例えば、映画では軽々と命中させているが、銃弾を狙った場所に命中させる事や、FRの車を時速100キロを超えるスピードでターンさせる事など、それ相応の能力が必要とされる事だ。この「それ相応」とは、誰でも手軽に身につけられるものではない。


 それを今、孝代たかよは実感させられていた。


「見づらいですね……」


 彩子あやこが持たせてくれたGPS探知機と空を飛ぶハトに視線を往復させる孝代は、眉根を寄せさせられている。この追跡が考えていたよりも、ずっと難度の高い。


「北西へ旋回しました」


 孝代のナビゲーションで、時男は車を左折させた。しかし……、


「いかんな」


 車を左折させた先で、そこでこの追跡が一筋縄ではいかない事を感じさせられる光景に出会でくわす。


 時男にも苦い顔をさせるもの――、


「赤信号か……」


 空を飛ぶハトには交通事情など関係ないが、道路を走っている時男は影響を受ける。兎に角、これが気持ちをささくれ立たせた。あきらくちびるとがらせるくらいには。


「むー、でも信号無視はダメだしなぁ」


 ただ旺の声は、時男を落ち着かせた。


「落ち着いていこう」


 時男の信念でもある。


「ゆっくり。ゆっくりはスムーズ、スムーズは速いという事じゃ」


 車の運転は、アクセルを踏めばいいというものではない事を熟知している時男だ。スピードを出す事が重要でないというのは、サーキットだけの鉄則ではない。


 そしてGPSと首っ引きで、孝代が案内してくれる。


「住宅地に入るかも知れませんね」


 ハトの動きに慣れてきた孝代は、そう予想した。

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