マザーが聞いた容疑者逮捕の一報
初等部での宗教授業から戻ると、シスター島原が興奮した様子でマザーの元にとんで来た。
「あらあらあら、マザー、マザー」
「シスター島原。名前は一回でわかりますよ」
「テレビをご覧になりますか?」
「いいえ」
「あの、マザー、あの、おいたわしい向山様を殺した、あ、あらあら、わたくし、その、その、とても不適切な言葉を使ってしまい、マザー。どうぞ、お許しくださいませ、そんな、殺すなんて、あ、そんな、イエスさま、2回も、お許しください、アーメン」
「シスター、要点はなんでございましょうか」
「ああ、あの」
「落ち着きなさいませ」
「犯人が逮捕されたそうなんです。これから緊急記者会見があるそうです」
「おやまあ」
テレビのある共同リビングへ向かうと、小学校や教会の奉仕で修道院にいないシスターを除いた全員が集まっている。
『繰り返します。速報です。医学部准教授夫人殺害として世間を騒がせている事件。ついに容疑者が逮捕されました。警察署の前から、わたくし桂木が中継します。ただ今の時間、容疑者は取り調べを受けているようですが』
「いつも外にいらした報道の方々が見えなくなりましたね」と、シスターのひとりが窓のカーテンを開けながら言った。
「最近は、少なくなってはいましたけれどね」
「これで、お外に出るときの緊張感がなくなりましたね」
「あらあら、少し残念な気持ちもありますけれど」と、シスター島原が言うと皆が笑った。
修道院全体に安堵の気持ちが流れた。
『その後、詳しい状況はわかりましたか?』と、スタジオからキャスターが呼びかけている。
『昨日、容疑者自らが警察に出頭して来たとの警察発表です。自首してきたということです。容疑者の名前は国松寛子、四十七歳。被害者の夫が働く大学病院で師長をしていたそうですが、今のところ詳しい動機などわかっていません。警察からの会見が、もうすぐ開かれます』
キャスターの言葉に重なるようにレポーターが興奮気味に叫んだ。
『ただ今から警察署での会見が行われます。これから会見が行われます』
テレビ画面が室内に切り替わり、背広姿の捜査関係者が落ち着いた様子で会見場に入ってきた。マイクをトントンと叩くと、ひとりが擦れた声で話しはじめた。
『はい、では、はじめます。エー、被疑者の名前は国松寛子、四十七歳、独身。昨日の午後七時に自ら管轄警察署に出頭してきました。殺害理由は恋愛によるもつれ』
報道にむかって、彼はいったんカメラ目線で視線をあげ、それから、続けた。
『被害者の夫と同じ時期に大学病院に配属され、仕事をともにする間に、エー、一方的に恋情を抱いたが満たされなかったということです。エー、殺害現場は被害者宅。供述によると時刻は午後三時です。被害者の夫への思いが満たされないのは、妻のためと思い込み、強い恨みから被害者宅を訪問、発作的に殺害に至った。凶器は被害者宅にあった暖炉の火かき棒、犯行後、自宅に持ち帰ったと供述しています。以上です』
周囲を再び見て、顔をマイクに近づけた。
『なにか質問はありますか? エッ、現在の取り調べ室での様子ですか? 落ち着いて、たんたんと供述に応じています』
『自ら出頭してきた理由は何ですか?』と、別の記者が挙手して質問した。
『病院の車に捜査が及び、これ以上は逃げられないと悟ったということです』
『単独犯ということですね』
『そういう自供です』
『聖カタリナータ初等部の聖堂裏に行った理由は?』
『それは』と言うと、彼はとなりの捜査員に何かを相談した。
「あらあらあら」と、シスター島原が叫んだ。
「あの相談されたお隣のかた、こちらに来た刑事さんじゃありません。ねえ、マザー」
「おやまあ。一ノ瀬さんとか仰ってらしたわね」
「あら、マザー、よくお名前をおぼえ……」
「すこしお黙りなさいませ。聞こえませんよ」
あっという顔をして、シスターは口を閉じた。
『犯行後、被疑者は、どうして良いかわからず、エー、被害者を車に乗せたまま走っていたそうです。嵐がひどくなり、明かりが見えたと言っています。聖堂の十字架を見て、被害者がクリスチャンであることを思いだし、罪の意識から、エー、ここに安置すれば被害者の魂が休まるから、と供述しています』
『警察の最初の発表では、被害者宅がきれいに掃除されていたということですが、そこまで掃除した理由は犯行を隠そうとしたということでしょうか? 隠そうとしたはずなのに、なぜ、聖堂のようなわかりやすい場所を選んだのでしょうか?』と、別の記者がメモを見ながら聞いた。
捜査員らが相談してから、別の男がマイクに向かった。一ノ瀬だ。
『あのね、被疑者の話によると、子どもがいることを知っていたので、悲惨な状況を子どもに見せたくないために掃除したらしいです。隠そうという考えではなかったと。現在のところ、慎重に裏付け捜査をしているところですが。予断を持って話すことは控えたいと考えます』
国松という名前を聞き、シスターたちのほとんどが驚きを隠せなかった。シスターには高齢者が多く、東府医科大学病院に通院している者もいる。マザーも定期的に検査を受けに通い。だから、看護師長である国松を知っている。
テレビ報道が終わりCMに入ると、マザーは立ち上がった。
「マザー、どうされたのですか?」
「申し訳ないのですが、今日のお勤めを少し休ませてくださいませ。気分が悪いのです」
「大丈夫ですか? マザー」と、シスター島原がいつものように大げさに心配した。
「大丈夫ですよ。しばらく、お部屋で休みたいだけです。皆さまは通常の活動をお続けください」
マザーは部屋に戻った。彼女は偶然ということを信じない。すべては神の御はからいと考える。国松の人となりについては良く知っている。思いやり深く有能な女性で評判が良かった。
マザーはイエス像に祈り、そして、しばらくしてシスター島原を呼んだ。
(つづく)
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