悪魔 VS 聖女 その1


 被害者の実家である宜永家。その応接間で阿久道警視正と新米巡査が待っていた。

 緊張して挨拶を受ける典子の背後で、マザーは二人を観察した。


 男と目があった瞬間、ひやりとしたものを感じた。


 この世で、悪というものがあるとすれば、このような形をしているのではないか。きっちり着こなしたスーツは高級品で一分のスキもない。細面の顔は正面から目を見ても逃げることをしない。その上、表情はうすっぺらで感情が見えなかった。


 この若さで警視正。キャリア警官にちがいない。若くして地位があり、しかし、地方にいる。ということは本庁から左遷されたキャリアだろうか。いや、そうでもない、事情がありそうだ。


 もう一人は部下。どこか人の良さそうな顔をしている。しかし、彼の下にいるということは優秀かもしれない。茫洋とした表情の奥に知性のきらめきを感じる。


 マザーは、そこまで観察してから。「失礼しますよ」と、言った。「年を取りますとね、良いこともございます。先に席につかせていただきますね」


「学校関係者は来ないようにと警察から連絡があったはずだが」と、阿久道がいきなり言った。


 マザーはそれには答えなかった。それはいつもの手段で、いずれにしろ相手はマザーにひざまづく。


 全員が席につくとすぐに阿久道が口を開いた。


「ご主人にはお伝えしたが、正式に殺人事件として捜査することが決定した」

「まあ、そんな。汐緒さんが、そんな」


 典子は叫ぶように応えている。卒倒するんじゃないかとマザーは危ぶんだ。いや、いっそ倒れたほうが楽かもしれない。相手の男は典子の感情など気にもしていない。


「花子」と、阿久道が言うと、側に控えた新米巡査が汗を浮かべながら、しどろもどろに説明をはじめた。


「あ、あの、お伺いしたいことがあってこちらに参りました。お義妹さんを恨んでいるような人を、ご存知ないでしょうか?」


 新米巡査は誰でもほっこりするような間延びした話し方をする女性だった。


「義妹を?」

「そうです」

「恨むって? 普通に気の合わない人とか」

「そ、そうです、どんな些細なことでもいいのですが」


 典子は黙った。そして、ゆっくりと首を振っている。


 マザーは阿久道を観察していた。彼もその鋭い視線で周囲を観察している。ふたりは同時に同じことをしているようだ。


「さ、さあ、わたくしは存じ上げませんが」と、典子は丁寧に断ったが、視線が泳いだ。


 典子は被害者である義妹と相性が悪い。そして、阿久道は典子の微妙な変化を見逃さなかったのに気づいた。


 典子の実家は自営業をしており金には困らないが、名門という意味では嫁ぎ先の宜永家に遥かに及ばない。そこが彼女の屈託くったくになっている。


「修道長さま、あの、学校の関係者でも、あの、仲が悪かった人とか」と、新米巡査に聞かれマザーは質問に質問で答えてみた。

「なぜ、恨んでいる方をお探しなのでしょうか?」

「あの、物盗りという訳ではないようなので、あ、阿久道警視正」

「何も盗まれた物がない。頭部の右側を強打されている」


 口笛のような悲鳴が典子の口から漏れた。


「まあ、なんてこと! そんな、なんてこと」


 典子はソファから立ち上がって、すわり、また立ち上がろうとした。身体が勝手に動いているようだ。


「典子さん」と、静かにマザーが制した。

「でも、でも、このようなことが起きるなんて考えた事もございませんから」

「典子さん、お静かになさいませ……」

「でも、マザー、そんなことが、息子にも、そんなことで、悪い噂になったら。マザー」


 典子の大事なひとり息子賢一郎は東府医科大学病院で研修医をしているはずだ。


「お祈りしましょう。神様があなたのために、なさるようになさってくださいます」

「で、でも」

「アメリカに電話して許可をいただき、ご主人の宜永氏には自宅捜査の立ち会いをお願いした。今も家宅捜索をしている途中だ」と、阿久道が遮った。

「家宅捜索?」

「事故とは状況から思えん。学校と自宅から初動捜査をすると同時に捜査員が聞き込みにまわっている」

「聞き込みって、そんな、近所にも」

「そうだ」

「ま、まあ、な、なんて、外聞が悪い。ああ、マザー。お助けください。ご近所がなんて噂されるか、いえ、するか、あの、してるか」

「しっかりなさいませ」と、マザーが力づけた。


 阿久道の声は容赦ない。


「害者は前日の早朝四時頃、米国からの夫の電話にでた。その後は不明。娘は、いつものように学校へ、四時頃に帰宅。その後、娘は何か話をしたのか?」


 阿久道の話し方はぶっきらぼうで無礼で、どこまでも冷たかった。スタイルもよく、顔も人並み以上、もう少し愛想がよければ、もったいないことねとマザーは考えていた。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る