被害者の実家は大豪邸だった


 シスター島原の運転で、殺された向山汐緒の実家をマザーがたずねたのは事件翌日であった。彼女の実家宜永よしなが家は学校から一時間くらい。古くからの高級住宅街がつづくなかでも宜永邸は際立って立派な門構えだった。長い白壁が続いた先に重厚な檜造りの門……。


 ハンドルを握りながら、シスター島原が驚きの声をあげた。


「あら、あら、あら」


 大きな屋敷に驚き運転に集中できているのかと、後部座席に乗るマザーは心配になった。


「シスター」

「はい」

「しっかり前を向いて運転なさって」

「あっ、申し訳ございません」


 シスターがさらに振り返って謝ったので、前を見るように指さした。


「ほら、もう到着しておりますよ」


 はっとして、彼女が急ブレーキを踏み、思わず前のめりになった。急な動作は身体に堪える。シスターが再び、振り返り、青ざめた。


「あらあらあら、大丈夫でしょうか、マザー」

「大丈夫ですよ」

「それにしても、大きなお屋敷です。マザーの昔のご実家にくらべれば小さいでしょうが」


 マザーの実家は旧公爵家であり、戦前には広大な土地を有していたのだが、戦後の混乱でほとんど手放すしかなかった。


「これから伺う向山さんのご実家は代々お医者さまで、記憶では幕府の御典医もなされた由緒あるお宅ですよ。ご存知かしら? 街のほうに宜永病院ってございますでしょう。三階建てビルの、汐緒さんのお兄様はそこで院長をなされています」

「あら、あらあら」


 車を降りて門で案内を請うと、応対に手伝いではなく汐緒の義姉である宜永典子が出てきた。彼女もマザーの教え子である。


「ああ、マザー……」


 玄関先で、挨拶もそこそこに宜永典子はハンカチで目を押さえた。泣きはらしたのであろう、鼻孔が赤く白目が充血している。


「どうぞお入りくださいませ。わたくし、もうどうして良いのかわからなくて」

「お気持ちを確かにいらしてね。神さまが、きっとお助けしてくださいますよ。お祈りしましょうね」

「はい、マザー、どうぞお入りになって下さいませ」


 四十九歳になった典子の小学生時代を思い出すと、マザーは年月が過ぎたことに感慨を深めた。教え子たちに会う度に、子ども達の人生が満ち足りたものか、そうでなかったのかを考える。時間は否応なく過ぎ、幼い子に大人の顔を与える。


 典子は小学生の頃、大人しい子だった。その彼女が良家の主婦となり、ある種の貫禄を持つようになった。良い年齢の重ね方というものは確かにある。そして、典子に、それがないことを残念だとマザーは思った。


 応接室に案内され、ソファに腰を降ろすように勧められた。すぐに手伝いが紅茶を持ってきた。


 マザーの一番の気がかりは被害者の娘、麻衣子であった。今は、宜永家で預かっていると知って訪れたのだ。


「麻衣子さんは、どうなさっているの?」

「それが部屋にこもったままで」

「泣いていらっしゃるの?」


 典子は口ごもり、それから、逡巡しゅんじゅんすると、迷いながら説明した。


「ショックが大きすぎて、泣く事もできないようなのです」

「そう」

「お会いになりますか?」

「呼んでいただける?」

「お待ちくださいませ」


 典子は奥に入ると、しばらくして麻衣子をつれてきた。


「あらあら、まあ、ま、どうしましょう。本当に大変だったわね。かわいそうに」


 シスター島原が麻衣子に駆け寄り肩を抱こうとしたが、一瞬とまどって、のばしかけた手を中途半端に止めた。

 麻衣子は立っていた。その立ち姿が不自然だったのだ。


 感情のない顔で、ロボットのように命令されたから立っている。心がない空ろな抜殻ぬけがらのようで、マザーも言葉を失った。


「ずっと、こんなふうで……。専門のお医者さまに相談しようか、主人と相談しているのですが」と、本人がそこにいないかのように典子は続けた。

「お口を全く開かないので。ともかく、今は義弟の帰りを待っているところで……。麻衣子ちゃん、マザーがいらしてくださったのよ」


 マザーは、そっと麻衣子の手を握ると両手にくるんだ。


「お祈りしましょうね。お母さまは神さまの身許で、あなたを見守っていらっしゃいますよ」


 麻衣子は微動びどうもせず、ただされるままに人形のように立っている。


「お許ししましょうね」


 その言葉に焦点の合わない眼を神経質に動かすと、なにかを言おうとして言葉にならないうめき声をあげた。マザーは、その反応に少し安堵した。まだ心は残っているのだ。


 その時、ドアがノックされた。


「お入りなさい」と、典子がドアに向かって声をかけた。


 手伝いの関がドア越しに顔をだした。


「奥さま、警察の方がおふたりでいらして……、お会いになりたいとの事ですが。お通ししてもよろしいでしょうか」

「警察の方? まあ、いやだわ。マザー、ご一緒にいてくださいますわよね。主人は警察に呼ばれて帰ってこなくて、今日は、わたくし一人ですの。警察の方とお話などできませんもの」

「よろしいですよ」

「関さん、客間のほうにお通して下さい。マザーとご一緒に参りますので」

「わかりました。奥様……。なにかお茶とか、お持ちしたほうがよろしいですか?」

「そうね、どうしたら良いのかしら」

「シスター島原、しばらく麻衣子さんとお話していただけますか? わたくしはご一緒いたしますので」と、マザーが言った。

「はい、マザー」


 麻衣子は周囲に関心もないのか、ただ、その場に立って、誰の言葉にも反応しなかった。


(つづく)

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