悪魔 VS 聖女 その2


 被害者の義姉典子の話を聞きながら、阿久道は目の端でマザーの顔を伺っている。彼は唇の端を二ミリほど上にあげた。

 

「い、いえ。ご存知ないのでしょうか?」と、典子は、品の良さをムダに作った話し方に戻った。「昨日、警察の方からご連絡をうけて、すぐに向山の家に参りましたの。息子もいましたので一緒に付き添ってくれて……。麻衣子さんは自室で寝ていて、それで、母親の、あ、あの汐緒さんのことをお話しましたのよ。ショックを受けてでしょうが、あれからほとんど反応がないのでございます」


「寝ていた」と、阿久道がもらした。


 わかっていることを、わざわざ言葉にしているとマザーは考えた。典子はそれに気づいていない。


「母親が一晩中いなくて、ひとりで十三歳の子どもが寝ているものか?」

「そうなんですございますよ。あの人は、よくそうで」


 典子は阿久道の誘導に乗って、愚痴ぐちをこぼしはじめた。


「わたくしは主人に申していたのですが。汐緒さんは、よく麻衣子ちゃんを一人にして、それで気にならないようなの。わたくしから見れば母親失格ですよ。麻衣子が自立できるからって」


 汐緒には舅や姑と同居する彼女にはない自由があった。典子の表情にはあきらかに不満と優越感が同時に現れている。おやおやとマザーは心のうちで思い、そして、阿久道も同じことを感じていると考えた。


「わたくしだったら子どもを一人になんてできませんわ。息子の賢一郎に、そんなことをするなんて考えられませんもの。お家で小さい子が一人なんて、マザーのお教えにも反しますでしょう?」

「それでは、なにをしてた」

「なにと申しますと」


 彼女は話し過ぎたと気づき、うろたえた表情で唇を噛んだ。マザーは得体の知れない、漠然とした嫌悪感を覚えた。奥歯に物が挟まったような、この違和感はなんだろうか。


「そう、何をされていたのですかね。夜遅くに」

「さ、さあ、……存じません」

「その事を夫の向山氏は知っているのか?」

「あの方は忙しい方で。学者として名の通った方ですから。夫のような開業医とは違って、でも、ただ、家庭的にと申しますとね」と、卑下ひげするように同意を求めた。


 彼女は言葉こそ丁寧だが、話し方が偽善的ぎぜんてきだ。自分は常に正しいと反省することのないタイプで、言い換えれば自分の見たいものしか見ない。


「妻が夜に家にいないとなんて許されないことでございましょう? それは夫としては問題だとお思いになりませんか。どうか、義弟がアメリカから帰って参りましたら、お聞きなさってくださいませ」

「形式的な質問だが、一昨日から昨日にかけて、どちらにいたか?」と、阿久道が無視した。

「わたくしですか?」

「ご家族全員についてだが」


 自分が疑われていると驚いたのか、典子はソファから腰を浮かすと、必死になって説明をはじめた。


「まあ……。わたくしは、いつも通りに夫を病院や息子を大学に送り出してから、息子は東府医科大学大学院で学んでおりますのよ。とても優秀で」と、子ども自慢をはじめ、はっと言葉を止めた。


「……それから、ずっと家におりまして、お手伝いの関さんは午後五時まで家に。義父は午後からゴルフ練習場に行きました。主人は病院です。帰ってきたのは八時過ぎでしたか。そうそう、わたくしは義母の病院に午後から付き合っております」

「ご主人は宜永病院の院長ですね。息子さんは?」

「私立東府医科大学病院で研修医をしております」

「ほう、被害者の夫である向山さんと同じ大学ですな。将来はご実家を継がれるのですか?」

「ええ、家業を継ぐ事があの子の夢でございます」


 阿久道はしばらく無言でいて、マザーに気付いたという顔で振り向いた。


「修道院長、あの聖堂に通じる裏門は施錠されていないのかね?」

「いつでも簡単に開けられると存じます。そうしたことがなされるとは誰も思っておりませんから」


 応接間のドアがふいに開いた。振り返ると怪訝な表情の若い男が顔を出している。


「あっ」と、彼は言った。

「まあ、賢一郎さん。病院は?」

「いや、あの、今日は休みをもらって」

「今、警察の方とお話があるから」

「そう、ママ。じゃあ」


 痩せて頬骨が高く、ひょろっと背の高い男だった。過剰に甘やかされて育った者特有の甘い雰囲気がある。


「一昨日の夜、聖堂の近くで物音を聞いたという話は?」と、阿久道は彼を無視してマザーに聞いた。


 背中でドアの閉まる音がした。


「あの晩は、ひどい嵐で外の物音は聞こえませんでしたよ、でも」

「でも?」

「御聖堂のお外で亡くなられた訳ではないでしょう?」

「なぜですか?」


 阿久道は新米巡査と顔を合わせた。わざとらしい振る舞いだった。


「そうでしょうとも」と、マザーは応えた。

「お顔のまわりに血液がついておりましたが、お顔から落ちた泥に血液が混じってないようでしたからね」

「どういう意味かな」

「わたくしは専門家ではありませんが、お顔から流れた血液が黒く固まっていたのを見ました。でも、地面には血液がまったくついておりませんでしたので。あのようなお顔になるまで、ひどい事をされたのでしたら、たとえ雨で流されたとしても、お顔の下の泥に、全くついてないというのは奇妙だと存じます」

「お調べになったのですか?」

「イエスさまの命ずるままに」


 彼らの心に浮かんだであろうことを考えて、マザーは心のうちで笑った。


(つづく)

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