阿久道が走り、雪乃が追う。容疑者は中学生か?


 阿久道は走りながらスマホを取り出した。


「一ノ瀬! どこにいる」


 スマホの向こう側から「東京」というくぐもった声が聞こえた。


「バカか! すぐ戻ってこい、麻衣子が行方不明。殺害犯は師長ではない」


 走りながら捜査一課に戻ると課長に緊急手配を指示した。


「花子!」

「はい」

「宜永家に連絡して、麻衣子が失踪した理由を聞け」


 自宅に連絡を入れたが、家族は外出しているのか、誰もでない。典子のスマホに連絡して事情を聞いた。動揺した彼女は要領を得ず、近くにいたマザー天神ノ宮が代わりに答えた。


「マザー天神ノ宮が家にいたときに、飛び出したそうです。どうも母親の話を聞いたみたいです」

「マザーか」と、阿久道は言った。

「近くを探しているそうですが見つからないと」

「何時だ?」

「約一時間ほど前です」


 阿久道は捜査一課で部署中に響くよく通る声で叫んだ。


「情報課!! 麻衣子のスマホをGPSで位置確認」


 捜査一課には情報課という特別部署があった。警察内部のモデル事業でネット犯罪などに対応する部署である。コンピュータ専門家が二名専属でいた。阿久道が始めた事業だと雪乃は以前に聞いたことがある。


「は」

「わかったら連絡」


 部屋に戻ると受話器を取り阿久道が英語で話した。発音が流暢すぎて、なにを話しているかわからない。最後の「thanks」だけが耳に残った。右手はずっとパソコンを操作している。


「なぜ、気付かなかった」と、ふいに彼が呟いた。

「どうしました」

「このサイトの所在地は汐緒が通っていた駅の近くだ。例のヴァイオリニストがいたコンビニ近く。宜永典子の実家と同じ住所だった。今は廃屋になっている。この『親になんたらかんたら』のサイトはアクセス権が麻衣子にしかない」

「えっ」

「つまり、多くの人間が悩み相談をしているが、もともと麻衣子以外は、サイト管理者が勝手に名前を変えて投稿しているだけだ」

「なぜ、そんなことを」

「最初から麻衣子をターゲットにしているってことだ」


 あの場所に汐緒は義姉の実家近くと知って訪れたのか? なぜ? そして、麻衣子がアクセスしていたサイトも同じ住所。


「現在、両親は他界して誰も住んでない。典子には妹が二人いる。相続かなにかに問題があって、この家を処分できないでいるんだろう」

「なぜ、そんな場所に」

「おそらく犯人の使いやすい場所だ。行くぞ、時間との勝負だ」

「はい」


 阿久道は返事もせずに課内を走り、地下の駐車場へ向かった。彼が運転席に滑り込みハンドルを握ったので、雪乃は観念した。


「シートベルトをしろ」と、言われるまでもなく強く閉めた。


 サイレンが鳴り響いた。と、思った瞬間、急発進してシートの背に身体がおし潰される。

 サイレンを鳴らしても、一般車がすぐに止まるとは限らない。世の中には横着者が多く、警察車両がすぐ近くになって、やっと横にずれたり、アナウンスに嫌々、避ける車も多い。


 雪乃はマイクを取って、「そこの車、道を開けなさい」と叫んだ。


 しかし、阿久道の運転は、その間さえも惜しいかのように、わずかな車の隙間をすり抜けるサーキットレースをしていた。


 雨が降っていた。暗闇と結露の曇りで国道がよく見えない。


 雪乃はフロントガラスの曇りを制服の腕で拭った。サイレンの赤い色が道路に反射して赤く滲んでいる。

 すぐ先を自転車が横断しようとした!


「警視正!」


 思わず叫んで、阿久道を見ると、真剣な表情で数字を呟いている。なにを計算しているのか? 早口だった。


「時速八キロ、距離三メートル、三・二秒。時速百十で到達時間三秒。よし」


 阿久道はさらに深くアクセルを踏みこむと、自転車の頭すれすれにすり抜けた。雪乃は恐怖で目を見開いた。


「時速四十八、距離十……」


 阿久道の独り言が続いている。

 その時、彼が対向車や前方車の距離と速度を暗算して、避けるための時間と場所を導きだしていることに気付いた。

 この人は天才なんだ。

 雪乃はスピーカーで叫ぶのを止めた。

『目的地まで、もうすぐです』と、ナビが告げると、阿久道はスピードを落とした。


「サイレンを消せ」

「はい」


 その時、スマホがなった。


「どこ、……そう。調べろ」


 なんだろうと思ったが、阿久道はいつも自分の行動を説明しないので想像するしかない。と、


「スマホは宜永家にあった」


 阿久道が説明したので驚いた。自分が認められたのかと感じた。しかし、すぐに言葉にできないのが雪乃だ。


「そうですか」とだけ返事をした。

「どういうことか分かるか?」

「いえ」

「車に乗って移動した」

「車とは?」


 阿久道が答えなかったので、気になっていることを続けて質問した。


「麻衣子ちゃんが容疑者なのでしょうか」

「愛されたいという気持ちが高じて、憎しみを感じていたかもしれない。あの子は向山自身だ」


 その言葉は、麻衣子が犯人だとも違うとも聞こえた。

 冷たい雨は止まない。サイレンを消し、ナビの地図を見た。

 田んぼや雑木林の間にぽつぽつと家がある地域で、ナビの示す住所には比較的大きな和洋折衷の屋敷があった。


 車が家の手前にある雑木林で止まると、ヘッドライトが消えた。街灯が少なく、暗がりのなかを小走りした。コートを頭から被った阿久道が前を行く。


 冷たい雨がふり続けている。


(つづく)

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