最終章
親に愛されないソルトという子
阿久道と共に徹夜で調べたデータから雪乃は奇妙なサイトを見つけた。タイトルは『親に愛されない子の相談室♡』となっており、子ども達の悩みがブログ形式になって書かれている。
その中でハンドルネーム『ソルト』が麻衣子だと特定できたのは昨夜、午後十時過ぎだった。
ソルト……、英語で塩、しお、汐緒。可哀想にと思った。
『親に愛されたい子の相談室♡』に、途中から麻衣子は個人的なメールを送っていた。見知らぬ相手に個人情報を与える危険を考えていない。それは三ヶ月前から始まっている。
ブログでは軽い内容だが、個人メールではより具体的になった。メール相手は、あきらかに麻衣子の気を惹こうとしているのだろう、巧妙な返事だと思った。
『今日もひとりだった』
《大丈夫だよ。僕がいっしょだ》
『ママは朝いつも寝ているから、お昼は途中のコンビニで買って、そこのトイレで弁当箱につめるの。だって学校でコンビニ弁当そのままって、恥ずかしいでしょ』
《ひどいな。そんな女、見捨てちまえよ。僕は君を見捨てないよ》
母親ではなく女と書いているところが気になった。この後にも、『女』という言葉が返事でよく使われた。
『まだ十三歳だからって先生に言われるけど、時間がとっても長い。どうやって生きていけるのか……、方法がわからない。麻衣子』と、やりとりが途中から個人メールにかわり、はじめて本名を書いていた。
《麻衣子ちゃんが悪いんじゃない。悪いのは女さ。そんなこと少しでも思わせるなんてさ。ひどいよ。そんな女、見たことないぜ。普通の母親って子どもを愛するものだ。そいつは
『朝も夜も、いつもひとり。学校でも、どこでも、ひとりぼっち、寂しい』
《寂しいね。ママはどこに行ってるの》
『わからない』
《僕の母親も嫌な奴さ。表面ばかり取り繕って愚痴ばかりでさ》
『ママが入院した。おばあさまも理由を教えてくれないけど、麻衣子、知ってる。聞いちゃったよ。自殺未遂だって』
《ママ、死にたいんだよ》
『ママがバイオリンを買ったの。でも家に置いてるだけ。わけわかんない』
《他に男がいるんだ。僕は知っている。ひどいな、母親失格だね。麻衣子のことなんて関係ないんだな》
なんと無防備なのだろうと雪乃は思った。
《そんな親、殺したくねぇ?》
『そんな事考えたらいけないよ』
《どうして? いけなくないよ。普通だよ。だいたい自殺未遂してさ、本人も死にたいんじゃね》
この後のメールは徐々に殺人へと誘導する内容になっている。
IPアドレスからサイトの住所を探ったが、サイトサーバは米国のものを使っており、所在地を調べることができない。
「考えもなく個人情報を与えていますね。そうした危険性を考えてないみたいですね」
「おそらく、それほど、飢えているのだろう」と、阿久道が答えた。
「何にでしょうか?」
「陳腐な解答だが愛情に飢えている。母親は娘に愛情が持てない」
「この母子は特異ですから」
阿久道は鼻の下を擦ると、珍しく雪乃の顔を見たので、少しどぎまぎした。
「そうではない。母の愛情は無償だと世間では思われているが、実際は子どもが母親に対して無償の愛を捧げている。子どもは親がいなくては生きて行けないと本能的に知っている。動物的本能から無償の愛情を母親に持つ。それに対になる形で母親は子どもに愛情を与える」
阿久道の顔に一抹の影がさした。なにを考えているだろうと、ふと思った。
そういえば、阿久道の個人的な事について何も知らない。優秀な成績で警察に入署したということぐらいで、結婚しているのか、あるいは、独身なのか。親はどういう人物なのか。兄弟姉妹はいるのか。どこに住んでいるのか。たとえば、彼が自宅に帰る姿を見た事もない。そもそも自宅があるのだろうか?
三十八歳。特製プロティンジュースは睡眠不足のためのエネルギー源だと、売店のおばちゃんから聞ていた。
「このメールアドレスの住所を調べる方法はないのでしょうか?」
「米国のサーバか」
阿久道は受話器を取った。
「hi! Scott, ……Yap, I wanna know ……」
ドアが開いた。阿久道がいるにも関わらず、板垣が顔を出すのは珍しい。
「いま、無線で聞いたっすが。例の被害者の娘」
阿久道が顔を上げたので、板垣がひるんだ。
「なんだ」
「家出したって、さっき、警察に一一○番通報が」
「それで。緊急手配したのか?」
「それが、普通の家出人としての書類届けだけっす。ちょっち、気になって」
阿久道が部屋を飛び出した。
「花子!」
雪乃も彼の後に続いた。課長の机に行くのかと思ったが、阿久道は留置場に向かった。彼の黒く裾の長いジャケットが、まるで悪魔の羽のように背後に舞っている。
阿久道の姿に留置場の当直係官は怯えた表情した。
「国松は?」
「独房に戻っています」
「鍵」
「あっ、はい」
鍵を受け取ると、真直ぐ国松の独房に入った。ベッドに横になり、天井を見つめていた彼女は驚いて起き上がった。
「師長」
「なんでしょうか」
「麻衣子が家出した」
「えっ!」
ふいに阿久道の顔が穏やかになった。
起き上がった国松の肩を押さえると、彼は催眠術にかけるような、静かな声色を出して顔を凝視した。
「本当のことを言いなさい。麻衣子が危険だ」
「なにを……」
「時間がない。すぐに緊急手配しなくては。あなたは子どもを殺しても、それでもいいのか」
「どういうこと」
「麻衣子が死ぬかもしれない」
「そんな……」
「汐緒を殺害していない。そうだろう」
「あの」
それまでの穏やかだった阿久道の顔が悪魔に変化して、いきなり彼女の頬を叩いた。するどい音に雪乃は凍り付いた。
「殺してないだろ」
国松がごくりと
「あの日、家になぜ行った」
「麻衣ちゃん、麻衣ちゃんから電話が」
「何時に?」
「午後五時頃。助けてと」
「それで!」
「家に行くとドアが開いていて、リビングに麻衣ちゃんが……」
「汐緒は、まだ息があった」
彼女がはじめて
「大丈夫だ、わかっている」
「……」
「それで、心臓マッサージをしたんだね」
「それが……。口から大量の出血があって、手遅れで」
「麻衣子はどうした」
「精神安定剤を与えて、ベッドに寝かせてから、それから遺体を車に乗せて」
「わかった」
「麻衣子ちゃんは、あの」
「大丈夫だ、必ず救う」
阿久道は留置場を飛び出した。
(つづく)
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