警視庁キャリアの悪魔、ついに登場
新堂雪乃は直立のまま、課に残る二人の好奇に直面した。
そして、雪乃は厄介者が昔から嫌いではない。
「今日は、ほとんどが出払ってるすよ」
「
「たぶんね。彼の居場所は常にパラレルワールド。ちなみに僕は事務方をしてるんだ。ところで、君の居場所はここじゃあないっすよ。あ、そ、こ」
板垣がリズムを取って指差した先に扉があった。捜査一課の入り口前にあるカウンターの左奥だった。
「仮にも警視正さ、大部屋じゃないっしょ。部屋はあそこ」
「ありがとうございます」
雪乃が行きかけると、「ちょっと」と、まだ言い足りないのか再び声をかけられた。
「へこまないように、最初に教えとくけどさ。彼、阿久道って、自分の部下を名前で呼ばないんだ。すぐ変わるから、名前を覚える暇もないんっしょ」
小首をかしげた。
「女の子だとハナコ、野郎ならタロー。ハズいよね。だからさ。花子って呼ばれてもテンパラないでね。最初の太郎は、それにブチキレて、三日で飛ばされたっすよ」
「花子……」
「そう、君は第二号の花子さ。ガンバね」
「ありがとうございます」
二人の視線に見守られながら、雪乃は指示された扉をノックした。返事はない。二回、ノックしてから扉を開けた。
予想はしていたが、無人だった。
部屋はタタミに換算すると8畳くらいか。狭くも広くもない。壁一面に棚があり、書籍や書類ファイルで埋まっている。棚の手前にかなり頑丈で大型のデスクがあった。その上に大型のパソコンが三台、三面鏡のように置かれている。全体にこざっぱりとして、整頓されていた。
扉の横に別のデスクがあり、パソコンが一つ置いてある。
窓から外の景色が見えた。警察署のコンクリート塀の前に楓が数本植えられている。学校に似ているといえなくもないと思っていた。
一時間ほど、そのまま立っていたが誰も来ない。足が痺れてきたので椅子に座った。こっそりと机の中を見たが文房具以外に何もなかった。主がいないデスクという訳か、と考えた
扉が大きく開いて、疾風が入ってきた。
気がついたときには黒っぽい服を着た背の高いやせた男が、大型のデスク前にすわっていた。同時に、手に持っている書類をめくっては入力しはじめた。右手で高速入力しながら、左手で書類の束を繰っている。しばらくすると、背後にあるプリンタが音を立てた。
「花子!」
雪乃は周囲をみて、それから、板垣の言葉を思い出した。
「はい」
「印刷した人物の背景を調べろ」
彼女はプリンタに歩き、印刷物を取った。その間、阿久道は一度も顔を上げない。そういう方なのだと思った。雪乃は順応性が高い。それを見越して、ここに配属されたのかもしれない……。書類を手に立っていると、
「ぐずぐずするな」と、低く響く厳しい声が飛んだ。
「はい」
雪乃は書類を読んだ。人の名前が書かれている。なんの書類か聞きたかったが声をかける雰囲気ではない。
パソコンで隠れ、雪乃から見えるのは頭頂部だけ。髪が多いのか、あるいは、セットしないのかグシャグシャな髪型で、実家で飼っていたペルシャ猫みたいだ。
集中してパソコンに向かう阿久道。
そうかと雪乃は思った。この人は職人なのだ。職務に没頭すると他は見えなくなる、そんな種類の無口な職人なのだ。
書類に目を落とす。
書類の一番上に向山
他殺だったのか?
雪乃は、普通サイズのデスクに座るとパソコンを立ち上げた。するとパスワードを入力する小窓が出た。どうしようかと迷っていると、
「HANAKO2」
「はあ?」
「はなこ2と、ローマ字で入力、大文字だ」
パスワードだと察した。HANAKO2と小窓に入力すると通常画面が現れた。
「できました」
無意識に言ってしまったが、沈黙がかえってきただけだった。
二秒ほど阿久道の様子を見て、諦めて画面を眺め、警察署のデータ情報にアクセスした。所轄が地域住民をデータ化しているはずである。そこから、まずは彼等の情報を取り出すことができると交通課の二年間で知った。
三人の名前のデータはすぐに見つかった。
向山汐緒 四十歳 無職。
向山雅仁 四十六歳 私立東府医科大学准教授。
向山麻衣子 十三歳 聖カタリナータ中等部一年。
全員に犯罪歴もないので、他には生年月日と住所、電話番号しか記載はない。
リストにあるその他の人物は聖カタリナータ初等部のシスターや教師。それから、被害者の両親や親戚などで、全員が犯罪歴なし。つまり、大した情報はない。ついでに阿久道のデータを開いてみた。
その瞬間、「できたか?」と声が飛んだ。
驚いて顔を上げたが阿久道は相変わらず、パソコンに向かっている。
「はい、どうしましょうか」
「メール」
「は?」
「メールを開いて私のアドレスに添付」
「はい」
メールを開くと受信画面になり、一つだけアドレスが入っている。そこに添付して、よろしくお願いしますと書いた。
返事はなかったが受信音がした。
『情報ファイルが共有フォルダに入っている。サンプルファイルあり。同様にデータ化すること。今後、データを更新時、共有フォルダに入力。以上』と、書かれていた。
顔を上げたが、阿久道はパソコンに没頭している。そして、ふいに立ち上がると、書類を彼女のデスクに投げ捨てた。
「入力」
「はい」
返事が終わる前に、彼は部屋から出ていた。張りつめていた空気がなごみ、呼吸ができた。その時、はじめて阿久道の顔を覚えてないことに気付いた。確かに同じ部屋で同じ空気を吸い、顔を見たはずだった。しかし、その輪郭はぼんやりとして確たる映像を結ばなかった。
(つづく)
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