オン年80歳のカリスマ修道女マザー天神ノ宮は祈ります


 マザー天神ノ宮あまがみのみやの身長は158センチ。決して高くはないが、一瞬、身長が伸びたような錯覚に、シスター島原はマザーのスイッチが入ったと納得した。


 マザーを伴って彼女は聖堂裏へと案内した。昨夜の嵐に裏手は飛んできた枯れ葉や折れた枝で荒れている。


 シスターは、あそこにというように、こわごわ指で差した。

 裏手にある鉄門が北風に押されて、ギーギーと耳障りな音をだしている。門が半開きになっていて、あら、あらとシスターは思った。


 門近くに倒れる人に近づき、誰にともなくマザーが呟いた。


「かつて赴任したアフリカでね、わたくしは多くの魂のぬけた人を看取りましたよ。土ぼこりのたつ道端に無造作に倒れていた遺体でした」


 マザーは軽く十字を切っているのをみて、慌ててシスターも十字を切った。

アーメンと声をだすべきか、おろおろして横顔を見ると、


「警備員の森本さんのところへ。警察に連絡するようにお伝えなさい」と、マザーが言った。

「それから、校長にすぐ来てくださいと」

「は、はい、すぐ呼んで参ります」


 シスター島原は大きな身体を持て余し気味に走った。


「あら、あら、あら、あら」と、自然に言葉がでてくる。


 警備員に知らせてから戻ると、マザーは土塊や枯れ葉に汚れた遺体に向かい……。「哀れな迷い子よ、心静かに眠りなさい」と祈っていた。


 マザーの背後に隠れ、シスターははじめて横たわる遺体をしっかりと見た。


 昨夜の嵐で舞った木の葉や土が白い顔にかかっている。その青ざめ土気色になった唇と閉じられた目─。

 マザーは、はっと気づいたかのように息を飲んだ。


「シスター、このお方は、向山汐緒さんですよ」

「む、婿むこさん?」

「シスター」と、マザーが振り返った。「向山さんですよ」

「あら、あら、あら」

「この学校に生徒を通わせているお母さまです」


 マザーの言葉とほぼ同時に背後から足音が聞こえた。

 ドタバタと品のない足音で走り寄ってきたので、校長の秋吉だろう。後に教頭を従えている。


「マザー!」


 マザーはゆっくりと手をついて立ち上がると、ふたりに場所を開けた。彼らは、おびえたような表情で硬直して近づかない。マザー、シスター、校長、教頭の順番に縦にならんでしまっている。


「マザー!」

「校長、こちらに、お人が倒れていらっしゃるのです」


 校長はシスターを押しのけマザーの肩越しに倒れている遺体を見た。


 しばらく、ことが飲み込めなかったのか、数秒とも数分とも思える時間がムダに過ぎ、強く息を吸い込む空気音が寒空に響いた。

 校長が、とっさに手を伸ばした。


「警察がくるまで、なにも触れてはなりません。このままにいたしましょう」

「け、けっ、けいさつ?」


 その言葉の意味がわからないとでも言うように校長がつぶやいた。


「校長、向山麻衣子さんのお母さまですよ」

「けいさつ……」


 校長はまるで理解したくないとでもいうように無意味に同じ言葉を繰り返している。


「けいさつ、ケイサツ?」

「警察のことじゃないですか」と、教頭が注意を促した。

「警察……」


 理解させるなとでも言うように教頭をにらみ、思わず校長が本音で叫んでいた。


「そんな馬鹿な!」


 ああ、どうして学校で、どこか他で倒れてくれたら。


 そんな思いが校長の脳裏に交差しているとシスターは感じた。放っておけば自ら遺体を持ち上げ、どこか別の場所に捨てにいきそうな彼に、マザーが穏やかだが決然とした声で言った。


「学校から隠すことはできません」


 誰も言葉を発せずにいると、遠く校舎から乾いたハンドベルの音がした。

 午前七時を知らせる鐘である。


「生徒が登校する前に、今日は休校にする手配をしたほうがよろしいでしょうね」

「マザー、しかし」

「起きてしまったことです。これから警察の方が来るでしょう。生徒の安全のためにも、すぐに手配したほうがよろしいでしょう」


 校長は、すがるような目をしてマザーを見ると、教頭に指示を出すように怒った声で伝えた。

 校舎に向かって教頭が走り出した。


 マザーは重くなった腰を曲げてひざまずき、御魂が安らかにと、神への祈りを捧げて立ち上がった。

 丘の向こう側から朝日が射しはじめ、雨に濡れた木立をキラキラ輝かせている。


「あれは、あなたの御魂みたまだったのでしょうか?」 


 マザーの声が静かに聞こえた。

 御霊みたま? マザーはまた、なにか奇跡をお感じになったのかしら? 敬虔けいけんな思いに満たされながら、シスター島原は彼女の次の言葉を大切に聞き取った。


「どういうご事情かわかりませんが、このような美しい朝に見送られて神の御許に行く事ができましたね。この事が、ご家族に少しでも慰めになりますようにお祈りいたしますよ」


(つづく)

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