マザーの動きに悪魔は驚く


 国松師長は死体遺棄容疑で身柄を検察に送検されたあと、引き続き取り調べの必要があると判断されて、裁判所に勾留申請されていた。


 マザーに乞われて、シスター島原は勾留所にいた。神の意志とはいえ、なんとなくシスターはこの場所に原始的な恐れを抱いた。一般面会申込書という書類に記入してから、係員に渡すと面会整理票が渡された。


「マザー、このようなものをいただきました」と、マザーに整理票を見せた。

「少し待つのでございましょうか」

「そのようです。あちらの面会室で待って下さいとのことでした」


 ふたりが面会室に向かうと壁に電光掲示板があった。光っている番号もあり消えている番号もある。


「なんですか。この整理票の番号で呼ばれるそうです。それで、検査室に入ってから検査を受けて、ロッカーに手荷物や携帯など預けるそうなのです。わからないことばかりで、あらあらあら、どうしましょう」

「検査というのは金属探知機などを、お使いになるのかしらね?」

「どうしましょうか」

「この十字架を外しておいたほうがよろしいかもしれませんね」


 マザーが胸にかけた十字架を手で触れた。


「マザー、十字架も金属ですものね。イエスさまにお祈りしたほうがよろしいでしょうか」

「お祈りいたしましょう」


 しばらくして番号に光が灯った。二人は寄り添うように長く暗い渡り廊下を歩いて、狭い面会室まで辿り着いた。シスターはマザーを気遣った。マザーも不安を感じているのではないかと想像したが、いつものように表情からはわからなかった。


 国松師長が立ち会いの刑務官とともに面会室に入って来た。彼女は丁寧に腰を曲げて礼をした。


「お身体は大丈夫ですか?」と、マザーが聞いた。


 国松は以前にもまして痩せて憔悴していた。


「三十分です」と、立ち会いの刑務官が事務的に言った。

「何かご不自由していらしゃいませんか?」

「ありがとうございます」と、国松が言った。

「ミトンの暖かい手袋と毛布を差し入れて頂いてありがとうございます。助かりました」

「受け取っていただいのですね」

「はい」と、彼女は細い声で言った。

「今日は麻衣子さんのために参りました。どうしても、あなたに確かめたいことがございまして」

「なんでしょうか」


 国松は警戒するような表情をした。


「最初に、お聞きしたいことは、学校の御聖堂裏に汐緒さんを残されたことですが、なぜ、そのようなことをなさいましたの?」と、マザーが聞いた。

「……? どうしてか、わたしにも分かりません」


 彼女は質問内容に、ほっとしたような表情をした。それから注意深く答えた。


「あの夜、ずっと車を運転していて、とてもひどい嵐でワイパーを早い速度で動かしても前を見ることさえ難しくて……。運転していると、その時に明かりが見えたのです。そこに修道院があったので。あの方がクリスチャンだということを思い出しまして、せめて御聖堂の近くにと」

「そうでございますか、それで麻衣子さんでございますが」

「はい」

「あなたの卵子により、お生まれになったことはご存知でございますね」


 国松は、しばらく何も答えなかった。マザーが相手の心の整理を待っているとシスターは思った。


「マザー」と、彼女が言った。

「わたしは嬉しいのです。もう年齢的に自分の子どもを持つことは不可能です。でも、それでも、私の子がいる。そのことの幸せを私は感じております」

「そう、麻衣子さんを愛していらっしゃるのね」


 彼女は静かにうなずいた。


「あなたに汐緒さんの遺言をお伝えしにきましたよ」

「遺言?」


 遺言? シスター島原は驚いてマザーを見たが言葉をはさまなかった。


「汐緒さんは、お嬢さんが自分の娘でないことに悩んでおられました。そうなったことで向山氏を恨んでもいらした。自殺未遂の後で、あなたの事を知り本当の母親だと思い麻衣子さんをお願いしようとしたのでございます」


 マザーが言葉を一旦切ったので、どうしてと思った。その後の話を聞いて更に驚嘆した。


「あなたに、そのご意志があるようでしたら、もうひとつ、お話しなければならないことがございます」

「わたしは……、自分の罪を償ったあとで、そう麻衣子さんがお望みなら努力したいと思っております」

「正確に申しますと、彼女は、あなたの子どもではないのです」

「え?」と、師長が驚いた。


 あらあらと、シスターも驚いた。マザーは常に予想外の行動をなさるわ。覚悟を決めてお話をお伺いしましょうと、彼女は背筋を伸ばした。


「あなたも汐緒さんもご存知ございませんでした。確かにお生まれになるにあたり、あなたの卵子でなさいましたが」

「どういうことでしょうか? わたしには理解できません」

「このお話を聞いて、あなたは麻衣子さんのために秘密をお守りになられますか? 私は、ある真実を聞き、衝撃を受けました。お人というのは本当に罪深いものでございます」


 彼女がうなずいた。

 マザーは、少しの間、彼女の顔を値踏みするように見ていた。そして、胸を掌で握ると目を閉じて祈った。長い付き合いのシスターでも、マザーがこのように動揺する姿は見た事がない。


「クローンについてご存知でございますか?」

「クローンって……」


 彼女は戸惑った表情で見つめ返した。


「クローンって……」と、シスターも思わずおうむ返しした。


 クローンって、まさか、そんな……、そんな事はとシスターは震えた。クローンと言えば、あのクローンのことだろうか。もし、それが真実なら……、でも、それはありえないことだ。しかし、マザーは真実しか話さない。生命の操作は神の領域であり、カトリック教徒の立場から言えば麻衣子は在ってはならない存在である。


「麻衣子さんは向山准教授が、ご自分のクローンとして誕生させた子どもです」


 痙攣したように頭を振ると、師長は手を唇にあてた。


「クローンの子ども」

「そうです」


 時の流れが急に遅くなった。三人は言葉もなく、お互いを見つめ合った。マザー、そんな事は許されませんと言おうとして、シスターは言葉をのんだ。


「かわいそうな子」と、師長が小さく呟いた。

「ご決心はお変りになりませんか?」


 しばらく返事がなかった。シスターは彼女の返事を予想できなかった。


「わかりました」と、彼女は静かに言った。

「自分の罪を償い、その後で、向山准教授とご相談してから、ふたりで生きていく道をさがします」

「あなたは良きクリスチャンになれますよ。ご出所されたら修道院を訪ねてきてください。お力になりますよ。ご一緒にお祈りしましょうね」


(つづく)

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