第26話


医術師会を出て倒壊した街を歩く。襲撃があってもディータに貿易船は変わらずやって来て通りはそれなりに賑わっている。襲撃直後よりも落ち着きを取り戻している街並みを眺めているとまたしても不快そうに話し掛けられた。


「貴様、名は何と言う?」


気に入らなさそうに鋭い視線を向けられる。名を尋ねる態度ではないがまだ疑っているのだろう。


「ローレン」


「姓は?」


「ないよ。私は孤児だからない」


「ふん。そうか。私はファドム=ガンドレアムだ。医術師会ではジゼルの次に権限があるのを覚えておけ」


「…分かった」


それには正直とても驚いた。つまり彼はジゼルのように相当優秀なようだ。食って掛かっていたのはジゼルが気に入らないのもあるのだろうか?どの道今も機嫌が悪そうな顔をしているので察するのも聞くのもできない。


「あ、そういえばあの人は大丈夫だった?」


私は彼がその場で治療をすると言っていた怪我人を思い出した。色々あって忘れていたがあの人は重体だった。


「当たり前だ。誰が治療したと思っている。まだ安静にしていないとならないが容態は安定している」


「そうか、良かった。あの時は偶然だけど助かったよ」


「貴様に感謝される覚えはない。不愉快だ」


「……あぁ、うん。ごめん」


全て当たり前のように言われてしまって苦笑してしまう。お礼なのに不愉快と言われたのは初めてだ。あまり刺激しないようにしなければ。


「それよりも…貴様ジゼルに何かおかしな事はしていないだろうな?魔術でも掛けようものなら今すぐに殺すぞ」


「いや、私は魔術師じゃないから魔術は使えないし、何もしてないよ」


また疑われている。彼には私の存在そのものが刺激のようで頭が痛い。


「どうだかな。私は貴様を信用している訳ではない。ジゼルは許しているかもしれないが行動に気を付けろ」


「ジゼルは親しい真柄だから何もしないけど…。分かったよ」


「全く……貴様は全く気に入らん。ジゼルは何時も何でも肩入れする。だから貴様にも肩入れしているのだろうが得たいの知れないものにまで手を出されては私も何も言わない訳にはいかん。私は立場的にもジゼルを守る務めがある。ジゼルは貴様なんかより貴重な人間なんだ。常に私の監視があるのを忘れるな」


「……うん。分かったよ」


とにもかくにもファドムはジゼルを危険な目に遭わせたくはない、と言う事だろう。マークされるのは致し方無いがとりあえず彼はジゼルが気に食わないのではなく私がとにかく気に食わないのが理解できた。

彼の前ではジゼルとの接触は避けた方がいい。話しているだけでも何かしら思わせてしまいそうだ。


「……それで、貴様はジゼルとどの程度親しい真柄なんだ?」


続く質問の意図が読めない。態度は変わらないのになぜこのような質問をしてくるんだ。疑問に思いながらも私はそれとなく答えた。


「えっと……私は、ベシャメルでジゼルと偶然知り合ってそれからずっと一緒に行動してるけど……友人位には親しいと思うよ…?」


「……そうか」


「……?」


「……」


答えたのに気に入らなさそうな顔をされた挙げ句説明もしてくれなかったファドムに聞こうとしてやめた。機嫌を損ねては厄介だ。黙っていた方がいい。それから話しもせずに歩き続けるファドムに付いて行くと一番賑わいのある市場に来た。船や近郊から来た商人によって常に様々な物が売っているここは品揃えが豊富で飽きない。ファドムは何かを買うつもりなのだろうか。彼は迷いなく市場を歩いて行くと一件の店に入った。


「いらっしゃい。ああ、ファドムか。今日も同じ物かい?」


甘い菓子の香りが漂う店内は焼き菓子や紅茶の茶葉が沢山売られている。店員の初老の老人にファドムは頷いた。


「ああ。何時ものクッキーを頼む。それから……女性が好みそうな新しい物があればそれも頼む」


「分かったよ。少し待っていてくれ」


ここが目的で間違いはないだろうが彼は菓子を誰かに渡すのだろうか?相手は私じゃないのは間違いないが、それならなぜ私は付き合わされているのだろう。


「誰かにあげるの?」


彼が贈り物等想像も付かない。いったい相手は誰なんだ。好きな人がいそうにも見えないファドムは煩わしそうな顔をした。


「当たり前だ。だから買っている。私は菓子等食わん。甘い物は苦手なんだ」


「へぇ……」


見掛け通りだね、とは言わず送る相手を尋ねようとしたら手際よく菓子を摘めてくれた老人がファドムに菓子を手渡した。


「ほら、ファドム。新作のラスクも入れといた」


「ああ。何時もすまんな。代金はこれで」


「ああ、丁度いただくよ」


金を払ったファドムと共に店を出る。包まれた菓子を持っているファドムは大層不釣り合いで笑いそうになるが笑わなかった。笑ったらきっと怒るだろう。あんな剣幕で怒鳴られては私も困る。まだ何処かに寄るのかと思いきやファドムは店を出て菓子を付き出してきた。


「ジゼルに渡せ」


「え?」


「早く受けとれ。これはジゼルにやる為の物だ」


「……あぁ、うん…」


ジゼルの騎士の如く私を警戒していたのに突然の出来事に面食らった。これはつまり……。


「ファドムはジゼルが好きなの?」


そして出てしまった言葉に私は彼を憤怒させてしまうのだった。不味いと思った時には私より先に彼は怒りながら口を開いていた。


「はぁ?貴様は何を言っている?私をバカにしているのか?」


「え、いや、そういう訳じゃ…」


「あのなぁ、私は生涯を医学に捧げているのだぞ?まだまだ救えない患者もいると言うのに色恋等と府抜けている場合ではない。確かにジゼルは美しいがそもそもジゼルは才能のある優秀な医者であって医術師会の代表だ。大半の医者がジゼルをそんな目で見る訳がないだろう。仮に見ている奴がいたとしたらそいつは私が殺す。私はな、ジゼルを守る責務があるがジゼルの事を先代から任されているんだよ」


「先代?」


険しい表情のままファドムはイライラしながら答えた。


「ジゼルの姉だ。ジゼルから聞いていないのか?」


「あぁ、聞いてるよ。ラナでしょ?知ってる」


「なんだ、知っていたのか。ジゼルの前はあいつが医術師会の長だったんだ。その時に何かあったらジゼルを頼むと言われているからジゼルを気にしているんだよ私は。今日わざわざ菓子を買いに来たのもそれだ」


「じゃあ、ジゼルに何かあったの?」


あいつ呼ばわりとは腐れ縁の仲なのか、ラナとの絆を話し方から感じられる。ファドムが何故ジゼルに拘るのかは彼の生涯と共に十分理解できたが今朝までジゼルの様子に特に変化は感じられなかった。


「何かあったと言うより……今日はミサなんだ」


「ミサ?あの、教会の祈りを捧げるやつ?」


ミサと何の関係が?と思うのも束の間にファドムは呆れたように鼻で息を付く。


「そうだ。医者は祈るよりも頭と手を動かせと言われているが……ジゼルはミサによく参加して祈りを捧げている。ジゼルは熱心な宗教家ではないが、去年までずっと戦争をしていたから今やミサは神に祈るよりも死者に祈る為のものになりつつあるからな……。今日もミサに参加したら死者の弔いの為に魔女の襲撃で死んだ者達の墓まで行くだろう。…ミサの日のジゼルの顔色はよくない」


「そうだったんだ」


「ジゼルは人の死を自分の事のように哀しんでいる。その度にあいつが寄り添っていたが、あいつはもういない。だからジゼルの好物を買ったんだ。私が渡しても良かったが貴様が渡した方がジゼルも喜ぶだろう」


気に入らなさそうな態度も話し方も刺があるように感じるが彼なりの思いやりには優しさを感じた。厳格だが怒りやすいから直情的でもあるやつだとは思っていたがジゼルを大切に思っているのは同じだ。私が気に入らないのはジゼルが大切だからだ。


「じゃあ、ちゃんと渡しておくよ」


「ああ。それはあいつがジゼルの好物だと言っていたから必ず喜ぶだろう」


「ファドムはラナと仲が良かったんだね」


何にも優劣を付けないと言われていたジゼルの好物をまさか彼が知っているのは意外としか言いようがない。ファドムはぐっと眉間に皺を寄せる。


「別に仲良く等ない。聞いてもいないのにあいつが勝手にぺらぺらと話して聞かせてきただけだ。あいつは全くジゼルとは似てもにつかん位よく喋る騒々しい女だ。何度私がジゼルの話を聞かされたと思っている。腕は認めてやっていたがあいつは煩くて敵わん」


「でも、ちゃんと約束を守ってる」


「当たり前だろう。約束は守るものだ。一方的に託されたが医術師会は代々メルグレイス家が長を務める。だからジゼルが長になるのは最初から決まっていた話だが、私は医術師会に名を置く者として託されなかったとしてもジゼルを守って支え続けていたに決まっている。ジゼルは長として充分に才能と実力があるからな。精神面では気にかかる点はあるが、尊敬と敬愛すべき対象であるのは変わりない」


「そっか」


ジゼルを認めているのは充分に理解できた。しかしやっぱり何だかんだジゼルが好きなのだろうなと話を聞いて感じた。恋愛等の気持ちではないと言っているが彼はジゼルを良く思っているようだ。となるとこの威嚇するような突っ慳貪な態度は飼い主を守る犬のようだ。


「なに笑っている?」


ファドムについてよく知れた所で口角が上がっていた私をぎろりと睨んできた。これは勘に触ってしまったようだ。私はそのまま誤魔化した。


「いや、思い出し笑いだよ」


「くだらん。もう私は行くぞ。それはちゃんとジゼルに渡せ。いいな?」


「うん。分かったよ。ありがとうファドム」


「貴様のためにした訳ではない。じゃあな」


最後まで鋭い視線を向けてきたファドムは大股で歩いて行ってしまった。まぁ、あの態度は変わらないだろうがそこまで気にするものではない。私は貰った菓子をしまって一息付いた。最近はあの陰りのあるような表情は見受けられなかったがファドムが気にするならきっと色々考え込んでしまうだろう。ラナのようにはできないがジゼルに寄り添おうと思った。唯一の寄り添ってくれるラナがいない今、ジゼルは以前よりも思い詰める筈だ。


なんだかジゼルを思うと心配がどっと押し寄せてしまった。ファドムが買ってくれた菓子以外にも何か買おうか。歩みを進めようとしたら不意に呼び止められた。

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