第9話



朝の支度を済ませると私達は宿を出て馬に乗ろうとしたら見知らぬ若い女性が寄ってきてジゼルに声をかけた。


「先生!昨日はありがとうございます」


「あぁ、いいえ。私も様子を診れて良かったわ」


笑顔を向けるジゼル。昨日診た患者と思われる女性はにこにこ笑いながらジゼルに何かを渡した。


「また来た時には是非寄ってください。それと、これを。ディータまでまだ掛かるだろうから食べてください。娘と一緒に作ったんです。あの子自分で渡すって言ってたのにまだ眠りこけてて」


「そう。わざわざありがとう。これはサンドイッチ?大切にいただくわ」


「はい。まだ治安は良いとは言えないので気を付けてくださいね」


「ええ。また来た時には伺うわ。ありがとう」


少し頭を下げたジゼルは大切にサンドイッチをしまうとこちらに顔を向けたので私は馬にひょいと股がるとジゼルを引っ張って馬に乗せた。治療をしている時は厳しい顔付きをしていたのにこうやって話すジゼルは最初に会った時みたいな顔をする。

私は密かに嬉しく思いながら馬を走らせた。


北部の海に面したディータまで急げば今日には着くだろうか。草原を太陽の光を浴びながら走り続けて、私は前を見据えるジゼルに話し掛けた。


「今朝話し掛けてきた人は酷い怪我だったの?」


「怪我をしたのはあの人の娘よ」


腕の中にいるジゼルは私に少し視線を向ける。


「戦時中に瓦礫の下敷きになって足を粉砕骨折したの。普通に歩くのは難しいかもしれない症例だったんだけど、昨日診た限り日常生活を送るには問題なかったわ。走るのは少し難しいけれど、あの回復力は目を見張るわね」


「そうだったんだ。君は本当に凄いね」


「凄くはないわ。私はできる事をしただけよ」


さらっと答えるジゼルは本当にそう思っているみたいで特に反応を見せなかった。盗賊の脚を切った時のように迅速に判断をして的確に処置をしたのだろうに。彼女の医者としてのスキルは高いに決まっている。手元にも言葉にも、まして態度にも迷いがないのだから。


「ローレン、しばらく行くと川が見えてくるのだけど川沿いに欲しい薬草があるの。少し寄ってくれない?」


「うん。いいよ」


昨日よりも顔色がいいジゼルに私は返事をした。あの涙の理由は分からなかったが心の内は垣間見えた。だからもう私は言葉に迷うつもりはない。彼女は私を本当に拒絶はしていないのだ。だから今のように気持ちを穏やかにさせていたい。



川沿いまで暫く馬を走らせると休憩も予て薬草を取る事にした。木々が生い茂っているものの危ない雰囲気はなく私達は先にジゼルが貰ったサンドイッチを食べた。とても美味しく綺麗に作られたサンドイッチは多めに作ってくれたようだがジゼルは少食なのでほとんど私とレトが食べていた。


ジゼルは一緒に行動していた分かったが食が細い。いつもスープに小さなパンを何切れか食べて食事を終わらせてしまう彼女は食欲がないんじゃないのよ、と言っていたがあまりにも食べなさすぎて心配になる。かと言って心配してもお腹がいっぱいで食べられないと穏やかに笑いながら断られてしまうから本当なんだなと思い知るだけなのだ。


今日も食事をすぐに終えてしまった彼女は少し休んでから薬草を摘みに行ってしまった。ジゼルと違って小さいくせによく食べるレトはパンの部分を美味しそうに噛っていて、ちょっと空笑いしてしまう。飼い主とは全く似ていないな。

私は残りのサンドイッチを頬張ると立ち上がった。ジゼルはゆっくり食べていてと言っていたが私も手伝いに行こう。私はジゼルが向かった方に歩いて行くと何やら言い争っているような声が聞こえた。

もしかしてジゼルが襲われているのかもしれない。何もいないと思っていたのに。私は焦って歩みを早め声の方に向かうと思っていた状況とは違っていた。



「何を言っているの?まだ今なら助かるわ。今治療すれば命は助かるのよ」


「やめろ!!俺はお前なんかの世話になんかならない!!触るな!!」


木々の中で言い争う、と言うより一方的に剣幕で怒鳴る地面に座り込んだ男は先の戦争で負けたラナディスの紋章が入った鎧を着ていた。ラナディスの残党が傷を受けたのであろう、血が所々に付いていて逃げてきたのが見て分かる。息を荒くしながら座り込んでいる男をジゼルは膝をついて様子を窺っている。男はジゼルにまた怒鳴った。


「俺は誇り高きラナディス王国の人間だ!お前ら帝国の人間になんかに情けをかけられる覚えはない!!」


「今は怪我をしているのよ。何もしなければこのままじゃ死ぬわ」


「うるさい!!」


ジゼルは怒鳴られて嫌がられていると言うのに顔色を変えずに真剣な表情をしている。私はそんな二人に近付くと気付いたジゼルは私に顔を向けた。


「ジゼル」


「ローレン、治療をするわ。傷はそこまで深くなさそうだから今ならまだ間に合う。悪いけど私の鞄を持ってきてくれない?」


残党を助ける等、戦争をしている時じゃあり得なかった。だが今はそれも終わっている。彼は元ラナディス王国の人間だろうがジゼルには関係無いのだ。私はそれを汲んで分かったと言おうとしたら男はジゼルを睨み付けて頬を殴った。


「いっ……!」


「俺を侮辱してるのか!!このくそ女が!!」


「ジゼル!!」


私は慌ててジゼルの身体を支えるように背を支える。赤くなった頬を見て咄嗟に男に怒鳴ってしまいそうになるもジゼルの表情が全く変わっていない事に口が開かない。


「私は侮辱をしているつもりはないわ。もう戦争は終わったのよ。王国も帝国も関係無いはずよ」


淡々と、正論を述べるジゼルの言葉は間違いも何もない。だが、それでも人の気持ちは違う。


「まだだ!!まだ終わってない!まだ俺は帝国に屈するつもりはない!我らラナディス王国の真の戦士は帝国等に従うつもりはない!」


怒気を放つ男は本気で言っていた。戦争は一年前に終結したと言うのに男は殺気立った眼差しを向ける。各地でまだ争いが起こっているのはこういう思想を持つ者によるものだ。さすがにここまで意見が食い違うと説得何てできやしない。


「ジゼル……行こう」


「……」


ジゼルの気持ちは分かるが、彼には曲げられないものがある。これ以上話していてもまた殴られるやも知れない。何も言わないジゼルに男は鼻で笑った。


「お前らに我等の屈辱の傷みの一部を思い知らさせてやる。どうせ死ぬなら名誉ある死を望むのが真の戦士だ。ラナディス王国に栄光あれ」



「おまえ……!」


男は喋りながら憎らしそうに私達を見つめ爆弾を取り出して線を抜いた。私は咄嗟にジゼルを抱き起こして急いで茂みの方にジゼルを庇うように伏せた。


その瞬間、爆発音と共に突風が吹き荒れる。私はジゼルを抱きながら突風が収まるのを待つと土埃が舞う男の方に視線を向けた。あの男は跡形もなく散って血生臭い匂いに顔をしかめる。愚かとも勇敢とも言える最期は後味が悪く胸に靄が掛かる。私はジゼルと共に身体を起こした。


「ジゼル。怪我はない?」


「ええ。私は平気よ。ありがとう。あなたは大丈夫?」


「私も大丈夫だよ。それよりも顔が腫れてる」


さっき殴られたせいでもう顔が赤く腫れてしまっている。なのにジゼルは動じてもいなかった。


「平気よ。医者をしていればこんな事はあるわ。私のせいでごめんなさい。もう行きましょう」


「うん……」


表情はいつもと変わらないのに、また陰る表情に傷みを負ったのだと知れた。殴られたのなんかよりも命が散ったのに責任を感じて背負ったのだ。


私はジゼルを馬に乗せてまた駆けた。あんな事、ジゼルは何度も経験しているような言い方をしていた。罵られた挙げ句殴られて、終いには命まで目の前で絶たれる等、考えるだけでも胸が潰れそうだ。


何とも言えない気持ちは胸に渦巻いて苦しくさせる。彼女はこんな傷みをずっと感じているのだろうか。

考えながらふと上空に視線を向けると空に黒い雲が広がっていた。こんな時についていない。


「ジゼル、何処かで雨を凌ごう。もうすぐ降ってくる」


「…ええ」


私は馬を急がせて何処か雨が凌げそうな場所を探した。まだディータまで距離があるから無理して行かない方がいい。

そう考えている内にみるみる雲は広がって快晴だった空が覆われる。そして雨粒が降ってきた。

これはまずい。走りながらジゼルに雨が掛からないようにマントを広げて雨が凌げそうな岩影を見付けた。多少濡れたがそれでどうにか雨が凌げた。


「雨が激しくなる前で良かった。火を付けて雨が止むのを待とう。激しくなってきた」


「ええ。ありがとう」


ジゼルを馬から降ろしながら外を見ると小雨だったのにざあざあと強く雨が降っている。これは止むまで時間が掛かりそうだ。私は使えそうな木を集めて火を付けると雨で少しだけ濡れたジゼルを火の前に座らせて荷物や馬を拭いてからジゼルの隣に腰掛けた。


「寒くない?」


「あなたが雨から守ってくれたから大丈夫よ」


「それは良かった」


一先ずジゼルも馬も無事だ。私はマントを取って焚き火の近くで乾かした。ぱちぱちと木が燃える音と雨が降る音が私達を包む。静かなこの空気がまた彼女を思い悩ませそうで私は焚き火を見つめるジゼルを不器用に気遣った。


「……ジゼル、大丈夫?」


「…ええ。…大丈夫よ」


遅れてきた返事はその言葉通りではないのだろう。穏やかだけど影はもう私の目に分かる。あの惨劇に慰め等私の口からは上手く出来ないから私は話題を逸らした。


「……ジゼル、もう少しくっついてくれない?少し寒いんだ」


「ええ」


隣に密着するようにジゼルが座ると私はお礼を言いながら昨日したようにジゼルの握られた手の甲に優しく手を重ねた。


「ありがとう。寒いから助かったよ」


「……お礼なんか良いのよ。私の方こそありがとう」


ジゼルは小さく笑うと私に肩に凭れるように寄り掛かって私の手の上から手を重ねた。彼女は私の気持ちを察したのかもしれないが、こうやって触れるだけでも傷みは癒えるような気がする。


「ローレン」


「ん?」


寄り掛かったまま私の手を壊れ物のように優しく撫でるジゼルの口調は変わらない。


「あなたにはああやって譲れないくらい大切なものはある?」


「……私は……」


言いながら考えて、私の答えはすぐに出た。

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