第32話


「ジゼルは生きてますよ。あの子の魔力はもう分かります。だけど…魔力の反応が弱くなってきています。私の家族が空から応戦しているから部が悪い訳ではないけれどラナディスのやつらと闘っているのかもしれません」


「よかった。じゃあ、助けに行ってくる。魔術が掛かったやつらは心臓を狙えばいいんでしょ?人狼も、心臓を貫けば殺せるんだよね?」


迷ってなんていられなかった。ジゼルは誰が敵だろうと助ける。私には魔女が作った剣がある。ただの人間で魔術も使えないが殺し方は知っている。例え人間でも今は躊躇なんかしていられない。


「ええ。あれはもう人間には戻せないくらい凶暴化しているけど心臓を狙えば死にます。傷を付けても意味がないから心臓だけ狙ってください。それか、私達の炎を使うといいでしょう」


ミシェルカは馬に付けていたランタンに徐に触れると赤い炎を青い炎に変えた。さっきよりも幻想的だが明るく光るランタンは夜の闇を不気味に照らす。


「この炎があれば焼き殺す事もできます。人狼は本能的に私達の炎には近寄ってこないから肌見放さず持っていてください。私が死なない限りこの炎は消えません」


「うん。ありがとう」


お礼を言いながらなんとなく察しはついていた。人狼については聞きたい事があるが話は後だ。別れを告げようとするとミシェルカは申し訳なさそうな顔をして微笑んだ。


「ごめんなさいローレン。あなたを守れなくて。私にも大切なものがあります。もう家族を死なせたくないんです。お互いに死なないように気を付けましょう」


「うん。分かってる。何から何までありがとう。助かったよ」


「いいえ。さぁ、あなたは行きなさい。鳴き声に耳を澄ませてください。その方向に進めばジゼルの元へ行けるはずです」


「うん。ありがとう」


目を見て頷いて私を馬を走らせた。

案内を用意してくれたようだがあちこちで戦闘音や戦闘による閃光が森に差していていつ襲われるかも分からない。緊迫した中で上空からミシェルカが言った通り何かの鳴き声が聞こえた。この特徴的な鳴き声はフクロウか。上空を見ても姿は確認できないが暗闇の森の中をフクロウが正確に案内してくれているようだった。



馬を急がせながら焦る気持ちに恐怖が増す。あぁ、心が落ち着かない。早くしないと死んでしまうかもしれない。どうか、無事でいてくれジゼル。彼女は失いたくないんだ。まだ伝えていない事がある。

ジゼルを思えば思うほど胸が押し潰されそうだった。手に汗が滲んで怖かった。彼女は魔術師なのに、古の血脈なのに不安が無くならない。


進めば進む程闘った痕跡が目についた。

木々が倒れていたり魔術を使ったであろう跡や血が飛び散っている。不安を抱えながらもう少しだと思っていたら人狼の唸り声が聞こえた。暗がりに気配を感じた。もう、そこにいる。まだ闘っている音がする。私はすぐに馬を止めて降りるとランタンを腰に付けて走った。

人狼は、もう殺す。元はただの人だが殺さないと死者が出る。緊張しながらすぐに闘えるように剣を抜いた。

そして人狼の姿を正確に捉えた時、剣を握りしめたのに唖然として足が止まってしまった。ジゼルが彼女の倍以上ある大きな狼に腕ごと体に噛みつかれていた。腕を曲げて庇ったんだろうがそれは意味もなくどう見ても致命傷だった。


「ジゼル!」


一瞬にして血の気が引いた。彼女は噛まれたまま強引に振り回されて放り出された。そして大樹に打ち付けられてしまった。それはまるで人形のようだった。

あぁ、なんで…?彼女が何をしたって言うんだ。雄叫びをあげる人狼に今まで感じた事がないくらいの殺意が沸いた。殺意なんて沸いた事すらなかったのに私は滲み出る怒りに取りつかれてしまっていた。


殺す。殺してやる。力強く剣を握って吠え続けている人狼に向かって走った。隙がある今なら確実に殺せる。これで息の根を止めてやる。私は殺す事しかもう頭になかった。


「やめて!殺さないで!」


苦しげな叫びは私を止めた。貫こうとした所で彼女に意識が向く。こんな時にまで君は慈悲を向けるのか。君は致命傷を負わされたと言うのに、殺されかけたのに…。歯を食い縛って、でも思い止まるなんて出来なかった。殺す。こいつは、殺してやる。また剣を強く握りしめた時、吠え続けていた人狼は突然ぐったりと倒れて動かなくなった。そして黒い煙を身体から放出しだした。これは見覚えがある。煙が出なくなった頃、私は剣を手放した。人狼はフィナだった。


「なんで……」


身体に傷を負っているフィナは動かないけど息はある。フィナはジゼルを慕っていたのに、殺そうとしていた自分にも衝撃を受けた。なんて事を……。


「…あぁ、よかった。……ローレン、フィナを連れて逃げて。まだ敵がいるわ……ここにいては危険よ」


木の幹に凭れながらこんな時でも何時ものように笑うジゼルは血だらけだった。頭からも身体からも血を流していて彼女のローブは真っ赤に染まっている。私は慌ててジゼルのそばに駆け寄った。


「ジゼル!もう大丈夫だ!馬を連れてきてるからすぐに逃げよう!」


彼女は重体だった。腕の肉が抉れていて身体にはさっきの引きちぎられたような傷が深く残っている。早く運ばないと命の危険がある。それなのにジゼルは小さく首を横に振った。


「私は置いていって。私を置いてフィナと逃げて。…私は、もうダメだわ。骨も内蔵もやられていて動けないの…」


「……そんなの…、そんなのダメだ!ジゼルは置いていかない!」


理解したくなくて動揺した。彼女がそんな事を言うとは思わなかった。信じられない思いをしている私にジゼルは穏やかに話した。


「ローレン……最後にあなたに会えて良かったわ。無事で安心した。約束を守ってくれてありがとう」


「ジゼル!そんな話は後だ…!早く逃げよう?!君は置いていけない…!」


「…ローレン。あなたに…お願いがあるの」


ジゼルは浅い呼吸をしながら私の言葉を無視して話し続けた。


「フィナを助けてあげて。フィナは何も悪くないわ。悪いのは早く治してあげられなかった私よ。フィナだけは…どうにか助けられたから。…もう狼にはならないから…フィナは殺さないで。もう、辛い思いをさせないでほしいの」


「…分かった!分かったよ…!分かったから、ジゼルも一緒に逃げよう?フィナも君も守るから一緒に逃げよう?」


君の願いに胸が詰まる思いだった。こんな時ですら他人を思うなんて苦しかった。ジゼルの優しさが今まで以上に胸を締め付けた。


「……私は、もういいのよ。この傷じゃどの道助からない。一緒に逃げても…邪魔になるだけだわ」


ジゼルは私に微笑むとまた促してきた。


「早く逃げてローレン。今まで、ありがとう…」


「ジゼル……」


彼女は受け入れてくれなかった。ただ笑って諦めてしまった。それが私には受け入れられなかった。まだ果たしていない約束があるのに、約束をくれたのに、なんで生きようともしてくれないんだ。


「ジゼルは……約束、忘れたの?」


「え……?」


「私とした約束は君にとって希望にもならない?」


彼女ははっとしたような顔をして小さく首を振る。


「…そんな事ないわ。でも、……どうにもならない事もあるのよ…」


「じゃあ、なんで最初から諦めるの?生きたくないから?私はジゼルと生きていたいのに…君は生きていたいとすら思ってくれないの?君は約束をくれたのに、なんで守ろうとしてくれないの?」


「……」


彼女は何時ものように黙ってしまった。苦悩を思わせる表情を見ても私はもう黙ってなんていられなかった。


「ジゼルは私が信じられないから守る気にもならないの?いつも私に約束をくれるのに……ジゼルは私の約束をちゃんと受け入れてくれる事は少なかったよね。あれは私が嫌だったから?」


「それは…そうじゃないの……」


まだ言葉にしないジゼルに私はずっと思っていた事を言った。思ってるだけじゃなくて君に言ってほしかった。


「君はいつも言ってくれないね。いつも言葉にしようとしない。でも、私はいつもジゼルを知りたいと思ってたよ。私はジゼルの気持ちを知りたいとずっと思ってた。何も理由を付けなくていいから言っていいんだよ?私は君を受け入れてる。君は難しく考えすぎてるだけだよ」


「……」


「ジゼル、何か言ってよ…。せめて、生きようと思ってよ…!絶対私が助けるから…!私は、私はジゼルの全てを受け入れてるよ?君の使命も、君自身も。君が大切だから全部受け入れてる。だから、考えなくていいから…思っている事くらい言ってよジゼル…」


いつも黙ってしまう事が多かった。言葉を飲み込んで多くは語らない君は沢山思っている事があるのを知っていた。問い質したりはしなかったけど私はずっと知りたいと思っていた。君が何を考えているのか、君の本心は何なのか、知ってあげたかった。君が何も言わずに笑うのがずっと切なかったんだ。


それでも視線を下げて何も言ってくれないジゼルに私は俯いた。言わなくてもいいと思っていたのに、言ってくれない現実を目の当たりにして苦しみを感じた。


私は彼女を本当に信じさせてあげられなかった。

愛しているのに、独りよがりになっていた。

そう思ってしまって拳を強く握りしめた時だった。ジゼルは弱々しく血だらけの手で私の拳を握ってきた。




「ローレン……」


そして彼女は私を見つめながら涙を流した。


「私をおいて逃げないで…?どこにも…逃げないで…。私、……まだ死にたくない…!まだ、生きていたい…!あなたと一緒に生きていたい…!…あなたのそばにいたい…。…わたし、…私、…あなたを愛してるの…!」


「ジゼル……」


泣きじゃくりながら心を露にする彼女に涙が溢れた。私は彼女の血だらけの手に自分の手を重ねてしっかりと握った。


「でも……!でも、私は……、人でなしなの。医者と言いながら沢山のものを奪って見殺しにして、医者の名がなかったら……人殺しでもおかしくない。人狼病の患者も……助けると言ったのにほとんど殺してしまった。だから、望めなかった。……私は人のものを奪って生きているのに、自分のためだけにあなたに気持ちを言うなんてできなかった。……ごめんなさい。あなたの優しさにいつも甘えて、逃げて……それなのに、あなたへの気持ちが無くならなくて……本当に、ごめんなさい…」


そうか。君はそんな思いを抱えていたのか。支えが失くなった心は君を追い詰めて自身を否定しないと生きられないようにした。君はそうじゃないのに。人でなしは何も思わずに殺していた昔の私だったのに。


「…そんな事ないよ。君はそんなんじゃない。失くしたものは多かったかもしれないけど、君はそれでも沢山救ったよ。君に想われて救われた人は必ずいる。それに君はフィナだって助けた」


「……助けたって傷つけてるのに……本当に助けたなんて…言えないわ…」


「助けたよ。ジゼルは助けてる。ジゼルはいつだって人のために生きてるじゃないか。その生き様だけでも君は救いになるよ。私はそんな君に想われて嬉しかったよ?…君に想われて、君が何よりも大事に思えてならないんだ」


ジゼルは私の生きる意味になっていた。何もなかった私に君は沢山希望をくれた。君は自分を否定しているけれど、私に希望をくれたように沢山の人に希望を与えてきたんだろう。君の道を見ていたらそう思わざるを得ない。涙を溢す彼女に私は安心させるように告げた。


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