第33話
「ジゼル、私も君を愛してるよ。君がずっと恋しくて、愛しかったんだ…。いつも君を支えてあげたいと思ってた。でも、君の苦しみに気づいてあげられなくてごめんね。苦しい思いをさせてごめんねジゼル。君を愛してるのに支えられなくてごめん…」
君の陰りは医者としての使命と優しさによってできていた。いつも使命に駆られていたのは焦りからだったんだね。
これ以上奪わないように、これ以上殺さないように、これ以上失わないように。
人の死が愛の終わりだと言った彼女は強い罪の意識に苛まれながらも医者の道を進んだのだろう。
耐え難い思いに蝕まれながらも道の歩みを止めなかったのは失くしたものが多いから。
苦しんでいるのに、彼女の優しさは全て人のためのものだった。救っているのに誰かのために何も望まずに傷ついて生きてる彼女が健気で、私は彼女のために何ができていたのか分からなかった。
「……あやまらないで……」
彼女は弱々しく笑ってくれた。
「あなたに、想ってもらっただけで……嬉しいの。あなたには……いつも、救われていたわ。……こんな私を、想ってくれてありがとう……」
ジゼルは微笑んで焦点の合わない目で私を見つめた。もう彼女は、私が捉えられていないようだった。それにますます涙が溢れて認めたくなかった。早く逃げよう、そう言おうとした私より先にジゼルは小さな声を発した。
「ロー……レン」
「なに?ジゼル」
ジゼルの声を聞き逃さないように顔を寄せる。ジゼルはまた涙を溢した。
「……どこにも……逃げないでいてくれる?…まだ、死にたくないの…。…あなたと、一緒にいたい……」
君の本当の想いに胸が苦しくなって、私はジゼルの手を握りながらしっかりと答えた。
「勿論だよ。ジゼルは置いて行かない。逃げる時はジゼルも一緒だよ。そばにいるって約束した。愛してるのに置いて行く訳ないじゃないか…!」
「……じゃあ……離さないで?…私も、…離れないから……おねがい…」
「うん…。離さないよ。離さないに決まってる…!ジゼルは私が助けるから……!だから、大丈夫だよ…」
絶対置いていかない。約束したんだからずっと一緒だ。だから、だから私を置いていかないでくれ…。ジゼルの息が弱々しくて、笑いながら閉じ掛けている目が虚ろで、私は涙が止まらなかった。君に伝えたい事があったのにまだ何も伝えられていない。否定をしてしまう君自身を愛していて大切だって、君が自分を否定しないくらい伝えたい。
「……ジゼル、愛してるよ。君を愛してる」
「……」
「最初から私はジゼルを愛してたんだ。この気持ちはずっと変わらないよ。君が私を嫌だって言っても私は君を愛し続けるよ」
「……」
「愛してるよジゼル。……君の全部を愛してる。……本当に、愛してるよジゼル……」
何も言ってくれないジゼルを抱き締めて私は何度も伝えた。返事なんか無くても良かった。ただ、君に伝えたかった。君はもう手すら握り返してくれないけれど君を離すなんて絶対にできなかった。
「ジゼル……。ジゼルごめんね。……愛してるのに、ごめんねジゼル……」
ジゼルの血に濡れた身体をしっかりと抱き締めた。ちゃんと伝えておけば良かった。君を愛していると理由を並べずにはっきり言っておけば良かった。
そうすれば、君の心の苦しみは取り除けたかもしれない。最後の最後まで君を苦しめずに済んだかもしれない。
「……ジゼル……」
「何故悲しそうな顔をしているの?」
ふと、あの女の声が聞こえて顔を上げる。突如現れたカベロは額から青い血を流しながらこちらに歩いてきた。
「その子がもう死にそうだから?それとも自分の不甲斐なさ?…いえ、どっちもかしら」
微笑みを浮かべるカベロの音しか聞こえなかった。他の音は一切遮断されたこの空間に一気に張り積めた空気を感じた。
「ねぇ……」
それはカベロによってもたらされた。
「あなたいったい何を差し出したの?」
「え……」
彼女の微笑みは消えて、青い瞳にじっと見つめられる。全て見透かしているような目だった。
「その子のために、あなたは何を犠牲にしたの?生きるのも守るのも愛するのも、何かを差し出して成立するの。この世に存在すると言う事はそれを強制的にしなくてはならない事なのよ。それなのに失くしたような顔をするのは止めなさい。虫酸が走るわ…」
表情はないのに激しい怒りを感じる。青い瞳が私を射抜くようで恐怖すらも感じたのに私はカベロの言葉に目を覚まされたような気がした。そうだった。私は、彼女のためになにもしていなかった。
「これは当然の結果でしょう?だって何もしていないんだから。あなたは何もせずにただ己のために生きていただけなのよ?大切だと言って、愛情を持っていたくせにこの子のために差し出す事をしなかった。何をするにも自分のものは差し出さないといけないのに、あなたはその世の中のルールを破って当然の報いを受けているのよ?なのに、何で泣いているの?」
言葉の全てに思い出したような錯覚をする。忘れていたんじゃないのに、生きるために人を殺していたのに、私は何故、何もしてこなかったんだろう。彼女を愛しているからこの身を差し出しても良かったのに、私は何で己のために生きていたのだろう。
今更思い知って、後悔も何もかもがどっと自分に押し寄せた。
「何かのせいにするのは簡単よね?そうやって泣くのも簡単にできる。……あなたは理解していると思っていたわ。私が教えた時も、その火傷を負った時にも理解したと思っていた私の勘違いだったようね。……でも、いいのよ?」
打ちひしがれた私の前にカベロはゆっくりと膝を付いて笑った。
「生きるとはそういう事だもの。そうやって経験をして、もう二度と同じ思いをしないように己の道を確立していくの。もう理解したでしょう?自分の愚かさと傲慢さを。そして…意思がないとどうなるかを」
カベロの言う通りだった。涙なんかもう出なかった。ただ死にたくなるくらい惨めで情けなかった。やっと大切なものができたのに、自分のせいで無くしてしまった。ジゼルは私のために約束をくれて、使命を全うしながらも私を想っていてくれた。彼女は今まで口にしようとしなかった想いの全てを私に教えてくれて死すら拒絶してくれたのに、そんな彼女を助ける事すらできなかった。
「ふふふふ…ねぇ、ローレン?」
カベロは笑いながらも真剣な眼差しで私を見つめる。
「あなたの意思を聞かせてくれる?あなたはこの子のために、いったい何を差し出せるの?」
血濡れのジゼルに触れたカベロの問いに、考える事はなかった。もう私の意思は決まっている。
「何だって差し出せる…。私の身体も、心も、命だって差し出す!望むなら私にあるもの全て差し出して何だってやってやる!ジゼルのためなら…私は何も惜しまない!」
もう己等どうでもよかった。こんな身体も、命もどうなってもいい。ジゼルのためなら何もいらない。ずっと自分のために生きていたけれど、死にたくないという思いだけで生きていたけれど、彼女のためならば全てどうだってよかった。死ぬような思いをしたって、死んだっていいとさえ思った。だって自分を差し出せば愛している彼女が手に入る。私には他に何も欲しくなかった。それだけ私にとってジゼルはかけがえのない存在だった。
「……そう」
カベロは満足そうに笑った。
「それがあなたの道なのね。……ふふふ、素晴らしいわローレン。その気持ちよ。それがあなたを確固たるものに変えるの。それがあれば、あなたは迷わない。失う事もしない」
カベロはまるで愛しそうに私を見つめると徐に自身の手のひらに息を吹き掛けた。掌はそれだけで縦に切り傷ができて青い血が滴る。カベロは微笑みながら私にその掌を向けた。
「意思があるのなら私の血を啜りなさい。あなたの身体と引き換えにこの子を助けてあげる。私と生と死を共有し共に永遠の時を生きる代わりにこの子の命を繋いであげる。…あぁ、でも、安心して?あなたの心までは奪わないから。私はあなたの道を尊重しているのよ」
まるで誘惑のような取引だった。きっと血を啜れば私はカベロと共に殺戮を行う。ラナディスの奴らと手を組んで罪のない人を殺す。そしてブレイクや他の魔女とも対立するだろう。そしたら、そしたらジゼルはきっと喜ばない。喜ぶはずがなかった。……でも、だけど、それでもジゼルを失いたくなかった。
自分はもういいから失くさない道があるのならば、私の何かを差し出して助けられるなら、私はその道を進むだけだ。
その選択に迷いも後悔もない。
彼女にどう思われようがジゼルが生きられるならいいんだ。愛しているから君の想いは私が叶えてやる。
「本当に助かるのか?」
「ええ。私は魔女よ?災厄の魔女とまで言われた私に不可能なんてないわ」
妖美な微笑みを浮かべるカベロを見つめて私は差し出された掌から垂れている血を啜った。無様でも何でもいい、情けなくても惨めでも彼女のためなら幾らだってそんな思いはしてやる。
「ふふふ…あなたは間違っていないわ」
無様に血を啜る私にカベロは優しげに言った。
「愛する事に間違いなんてないのよ。それがあなたの道で、あなたの愛ならば貫き通しなさい。あなたがどんな事をしようとも貫き通せば信念になる。信念になれば…それが揺らぐ事はない」
掌を離したカベロは直ぐ様その傷を再生させると血だらけのジゼルの身体に手を置いた。すると青い光に包まれて彼女の致命傷だった傷がみるみる再生していった。まさに神のような力だった。
「人間は脆い生き物だわ。脆いくせに意思が強い。この子は人間のくせにそれが誰よりも強いからあなたは惹かれたのね。ローレン、今度こそ失くしてはダメよ?あなたはこの子を何を差し出しても守るの」
ジゼルの致命傷を完全に再生させて治したカベロは立ち上がった。
「さぁ、私と来なさい。意思を貫くのがどういう事なのか教えてあげる」
数歩歩いたカベロは空間に黒い渦を作り出して私に顔を向ける。
私は命の保証がされたジゼルを今一度しっかりと抱き締めて自分のマントを掛けてやった。
よかった。本当に、助けられてよかった。こんな私の命で救えてよかった。もう君と会えなくなるだろうが私は私の道を生きよう。君のそばにはいられなくなるけれど、君を愛しているのは変わらない。
私はジゼルを置いて立ち上がった。
「ついて行くよ。どこまでも」
「ふふふ。いい心掛けだわ」
私を導くカベロと共に私は黒い渦に入って行った。
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