第34話



カベロはそれから私に力を与えてくれた。

私の目をあげると言って施された魔術によって私の視界は変わった。


空間を越えて様々なものが見通せるようになったのだ。その中でも魔術師や魔女は色が変わって見えるようになった。

人によって魔力の色が違うらしいがこの目はそれだけではなかった。


目そのものに魔力を凝縮している仕組みであるこれは強い魔力によって人を支配できるのだった。通常魔力を身体の一部に必要以上に宿すのは不可能なのだが、カベロはそれを成し遂げて相手の目を見る事で間接的に人を操ったり心や記憶を覗いたりする事が可能なのだ。



私は契約している身であるがために常に彼女の魔力を供給されているからこの目が使えるが、彼女が死んだら魔力も契約も切れて死ぬ運命にある。

だが、カベロが死なない限り不老不死として血肉になったとしても永遠に生き続けるのだ。


そして彼女は笑顔で断言した。


「あなたは魔女にはしないわ。魔女になれば私と同じになれるけど、あの儀式はあなたにはしたくないの」


「なぜ?私は……もうなんでも差し出す覚悟はできてる」


魔女になれば守るなんてもう造作もなくなるだろう。ジゼルを永久に命つきるまで守れるのに。彼女はダメよと否定した。


「魔女になるには霧の樹海にある精霊の泉で全て差し出す必要があるのよ。あれは、覚悟があっても死ぬ可能性があるの。私と契約していても精霊の前ではそれは無意味なのよ」


「なんで?何をするの?」


「生きたまま死ねない苦痛を味わうの。心臓を貫いて全ての血を流して精霊を呼ぶのよ。それから泉の中に捕らわれて力を貸すのに相応しいかどうか試される。身体中に走る痛みに苦しんでね。あの痛みは…耐え難いわ。強い精神力がないとただ死んで終わりよ。だから、あなたには私が作った力を与えようと思うの」


もう人間とはかけ離れてしまった私に彼女は誘惑するように笑った。


「私が作った狼達を見たでしょう?争うなら内乱を起こした方が楽だと思わない?人間が殺せるけど人間では操れなくて、化け物のように見えて元が人間だと人間は躊躇うのよ。敵じゃないから。あれは内輪揉めを起こすのに最適だったわ。以前はよく使っていたの。今は役に立てばと数を作っておいたけど彼等にあげたら喜んでいたわ。良い人間がいれば私も連れ去って完璧なものにしようと思っていたけれど……あなたなら完璧な狼になれるわ」


カベロは私の頬を優しく撫でてきた。あの獣は彼女が作ったのか。しかし、気にかかる事があった。


「…彼等は皆、我を失ってた」


「ええ。それはただの人間だからよ。魔女の魔力に抗えるとしたら魔術師だけよ。魔術師と魔女はとても近い存在だから。…まぁ、あなたは私と契約している身だから私の魔力に同調して自我はそのまま残るでしょう。自由に身体を変化させられて人間も魔女も凌駕するような身体能力を得るわ。そしたら殺すなんて造作もなくなるんじゃないかしら?」


「……何を差し出せばいい?」


ちゃんとした力なら何になったって構わなかった。貰えるものは貰う。力はあるに越した事はない。ないと彼女を守れない。カベロは美しく笑った。


「いい返事ね?あなたには……そうねぇ、騎士にでもなってもらいましょうか?私とビレアの。案内するから来てくれる?」


私は黙って頷くと歩きだしたカベロについて行った。彼女はなんの変哲のない普通の屋敷を拠点にしている。歩きながら窓の外を見ても木々しか見えなくてここがどこだか分からない。そしてこの屋敷は外に繋がりそうな出入り口がないのだ。彼女は私をここに捕らえておくつもりなのだろうか。


カベロはある部屋の一室の扉を開けた。


「ビレア。遅くなってごめんなさい」


優しげにそう言ってベッドで眠っている小さな少女に話しかける。肩辺りまである綺麗な白髪をした可愛らしい子供だった。カベロは愛しそうに少女の頭を撫でると私に向き直った。


「私の妹のビレアよ。可愛らしいでしょう?まだ身体が不完全だから眠っているの」


酷い違和感を覚えた。

なんだこれは。どういう事だ?ビレアは死んでいると思っていた。だってブレイク達が死んだと言っていた。なのに、眠っている少女は息をしていて、血が通っているように見えた。


私は内心困惑していた。どう見ても死んでいるようには見えなかった。


「あなたにはビレアを守ってほしいの。私がいない時はそばにいてあげてくれる?」


「……分かった」


「ありがとう。いつも一緒にいてあげたいんだけど中々いてあげられないのよ。この子は寂しがり屋だからローレンがいてくれたら喜ぶわ。良かったわねビレア」


何も言わないのに、死んでいるはずなのに、カベロはビレアに愛情を持って話しかけていた。

理解しているのに訳が分からなかった。


「今日から寂しくないわよビレア。ローレンがいてくれるから安心して?私も時間ができたらそばにいるからね」


カベロはとても優しい顔をしていた。人を殺めてきたとは思えないくらい穏やかな表情だった。


「ブレイク達から聞いているのでしょう?この子は死んでいないわ」


優しげな顔でじっと見つめられる。私の中の違和感を見抜かれたようで緊張する。


「手を握ってあげて?」


そう促されて私は緊張しながらもそっとビレアの手を握った。それでますます私の中の違和感が強くなる。

確かに温もりを感じるのだ。人の暖かさがある。

この子は死んでいるはずなのに、生きている。


「暖かいでしょう?私が長い時間をかけて身体を治してあげたのよ。この子は元々病気で以前建物ごと人間に焼かれてしまったの。だから私が治している最中なのよ。酷い火傷だったけれどもうすっかり良くなって、あとは心を取り戻してあげるだけなんだけどこれが中々上手く行かないのよ…」


「……蘇らせたのか?」


「蘇る?違うわ。ビレアは眠っているだけよ。酷い怪我で身体と心を失くしてしまったから私が目を覚まさせようとしているだけ。ビレアは私の大事な妹なの」


「……」


カベロは冗談なんか言っていなかった。これが、そうなのか。カベロが生きる理由はこれなんだ。愛しているから、終わってないから譲れないんだ。私がジゼルを大事に思うようにカベロはそれ以上にビレアを想っている。この子のために全て差し出している。


「もう少しなのよ。もう少しで、目を覚ましてあげられる。だからそれまでこの子を守ってあげてねローレン」


「分かった」


私はビレアを見つめながら頷いた。


ようやく道がなんなのか見えてきた気がする。

皆自分の大切なもののために生きている。

各々が各々のために生きるのがその人の道であって、それが間違いなんて言えるのか分からなかった。

大切なものは人によって違う。


そのために争ったとしても、相手は敵じゃないんだ。

ただ考えが違う意思を持った自分と同じ人だ。

敵という言葉でみていたけれど、それは違った。

自分も敵だと想っていた相手に成りえたかもしれない。立場と環境が違うだけで、私は敵になっていたかもしれない。

私はカベロを見てそう思ってしまっていた。


だってあの時ジゼルが死んでいたら私はそこで終われたか分からない。





それから私は眠るビレアのそばにいた。

カベロは私に力を授けたけれど私を戦いに連れて行こうとはしなかったから。彼女は一人でどこかに消えて何日か経ってから戻ってくる。そして私やビレアに家族のように話しかけて笑っていた。

ビレアを生き返らせるために生きているカベロは本当にビレアを愛しているようだった。

ビレアのために美しい花を買って来てはビレアの部屋に飾ってあげていて、私は彼女に対する負の感情がなくなっていた。


こうやってカベロは一人のために一人で百年以上生きていたのだろうか。暖かいけれど眠っていて話しもしない少女に毎日話しかけて笑っていたのだろうか。

カベロがビレアに話しかけているのを見る度に私は切なく感じていた。



そんなある日、カベロは私を連れてある場所に向かった。ディータの隣の街アングラム。首都であるディータよりは小さいが賑わいのある街アングラムを一望できる崖の上でカベロは話した。


「これからアングラムを襲うわ。彼等が国を取り戻すために潰したいみたいなのよ」


「……ジェイドとは何を取引したの?」


「あら、知っていたの?」


「以前ブレイク達とラナディスの拠点を調べたんだ」


「あぁ、そう。それでジェイドを知っていたのね。勿論血を取引したのよ。ジェイドは古の血脈だからビレアを目覚めさせるにも私が強くなるにも必要なものなの。あの血は魔女や魔術師よりも特別な神に近い血なのよ」


その血で他の魔女よりも一線を越えているのだろうか。簡単に答えたカベロは笑みを絶やさずに言った。


「ローレン?ジェイドはあなたよりも確立した道を歩いているわ。とても執念に燃えた男よ。彼は揺らぎがない。今日はジェイドの補助のようなものだからよく見ておきなさい。ほら、始まったわ」



カベロが街明かりで光るアングラムを指差すとアングラムは空から幾つも飛んできた青い炎に燃え始めた。


「さて、どのくらい人間が喰えるかしら。皆混乱しているわね。本当に……いい気味だわ」


腕を組んで燃える街を眺めるカベロはもう仕掛けているようだった。目で見てみると街には幽鬼が放たれていて逃げ惑う人間を喰らっている。

それを見ただけで、私の心臓は嫌に大きく鳴り出した。


あぁ、まただ。覚悟を決めたのに。何でもやると決めたのに、この気持ちと感覚は失くなってくれない。


「ローレン。目を逸らしてはだめよ?いつかあなたがやらなきゃならない時に迷っていたら失くなるのはあなたじゃなくて大切なものなのよ」


私を見ずに彼女はそう指摘する。

カベロは私の心を知っている。きっとあの時に見られているから私が人を殺す事に戸惑っているのを理解してこう言っている。それでも何でも見えてしまうこの目で見ていたくなるようなものではなかった。


「あの子を失くしたくないのでしょう?なら嫌なものも受け入れなさい。生きるとはそういう事よ」


「……分かってる」


彼女の様子は変わらない。だけど、言葉には重みがあった。嫌なものから逃げていては今までのままだ。私は力を貰った。もう弱いままじゃない。もうジゼルを死なせるような事はしない。ジゼルにあんな思いは二度とさせない。


私はしっかりとアングラムの街を見つめた。ジゼルだけは何を犠牲にしてでも守りたいんだ。そのためであれば自分は捨てる。


アングラムが落ちるのは時間の問題だった。人狼に変えられたラナディスの奴らと街の住人が街を壊して人を襲っているし、青い炎を放っているだろうジェイドは私達のように遠くから攻撃をしているが止める様子は見られない。


しかし、じっと見つめていると急に雨が降りだした。

通り雨のように強く降りだした雨は街の炎を消している。そして何処からか魔女が現れて幽鬼やラナディスの奴らを攻撃していた。


「来たようね。ローレン。戦う準備をしておきなさい」


「分かった」


色が違う。強い魔力を持った魔女が何人か来ている。私は狼に姿を変えて街を見下ろした。この姿になると血がたぎるような感覚がする。感覚が異様に研ぎ澄まされて人間の時より何十倍も早く動けて、何十倍も力がある。それに傷が付いてもこの身体であれば無理にでも動き続けられる。


「ミシェルカがいるんじゃ厄介ね。ジェイドはどうするのかしら」


青い炎を放ち続けていたジェイドは炎を放つのを止めた。それと同時に空から雷を落とし始めた。本当にこの街を一夜で落とすつもりのようだ。



「止めるつもりはないみたいね。じゃあ、加勢しましょうか。ローレン、もう一人ここに来ているわ。そっちはよろしくね」


「分かった」


カベロは空に片手をかざすと巨大な青い炎の玉を出現させて矢のようにアングラムの街に放ち出した。ジェイドが放っていたのとは比べ物にならない位巨大なそれは雨の影響を受ける事なくアングラムに向かっていく。こうなればもう早いだろう。私はここに向かってきている魔女の元に向かった。私達の場所が分かっているように森の中を迷いなく進んで来ている。魔女は私では殺せないが街が落ちるまで足止めをすればいい。

暗闇の中飛んできた青い炎を避けて私は魔女を爪で切り裂いた。しかしそれは突風と共に避けられる。魔女はブレイクだった。


「また人狼を操っているのね……」


あれから数週間経っているが、ブレイクは至る所に包帯を巻いていた。

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