第3話


それからジゼルとは花が綺麗に咲いている丘で度々会う仲になった。ジゼルは見かけ通りおしとやかであまりペラペラと話す方ではないが私もそこまでお喋りという訳ではないので、会って一緒にいても沈黙の時間が生まれる。だが、この沈黙の時間は嫌ではなかった。無言でもなぜか居心地が良くて時折彼女の様子を窺うも彼女は穏やかな表情で美しい花を見つめている。そよ風が心地好く吹いて花や木々が綺麗に揺れて、レトがじゃれてきたりするがこの時間は癒しのような時間だった。


お互いの話しはあまりしていないのに私は彼女を気に掛けるようになっていた。


そんなある日、私はまた彼女に会いにいつもの丘に向かった。ベシャメルにいる間は酒場等の掲示板に張ってある依頼をこなしつつ周囲を馬で散策している。散策して分かったが近くにとても綺麗な湖があるのを知った。少し距離はあるが木々に囲まれた神秘的な美しい湖だ。その湖周辺は山賊や獰猛な動物がいる様子はないし、ジゼルに予定がなければ連れて行ってあげようと思っている。


だが、今日はいるだろうか?私達は約束をしている訳ではないのでいない時はいない。私は楽しみに思いながら馬で丘に向かった。昼過ぎにジゼルはここに来る。今日は少し早めに来てしまったのでちょっと待つ事にした。それにしてもこの丘の花はいつも綺麗に咲いている。誰かが手入れをしているのだろうか。この丘に咲く花は私でも知っているビレアの花だった。


ビレアの花は帝国の国旗にもなっている。ビレアは三角形のような花弁が何枚か付いた色とりどりの美しい花で、その中でも多く咲いている青いビレアが帝国の国旗に使われている。ビレアは地域によっては一年中咲いていて、とても縁起の良い花として知れ渡っているのだ。そして別名勝利の花とも言われているが、同時に魔女の花とも言われている。それは、帝国には伝説のような言い伝えがあるからだ。昔からビレアの花に魔女が触れると炎となって魔女を焼き殺すと言う言い伝えが。


そう言われるのは帝国には昔、災厄の魔女がいたからだった。子供に聞かせるくらい有名な災厄の魔女がはるか昔に人々を襲い災いをもたらしている。

その存在は伝説のような、まるでおとぎ話のような話だった。青い瞳を持つ魔女は悪霊である幽鬼ゆうきを従えて人間を魂ごと喰らい尽くすと青い炎で全てを焼き付くす。だから夜道は気を付けろ、いつ魔女に喰われるか分からない。青い炎を見たら逃げろとまで言われているが、その魔女はビレアに焼かれて死んだと言われている。


だから勝利の花と、魔女の花と言われているのだが、この美しい花が燃え上がって魔女を焼き殺すなんて、……昔の人はよく考えたものだ。魔女等誰も会った事がないと言うのに。

私はビレアの花びらに触れながらジゼルを待っていた。


「ローレン。今日は早かったのね」


「ジゼル」


声の主に顔を向けるとジゼルの肩にいたレトはささっとジゼルから降りて私の肩に登ってきた。レトはあれからこうやって私の肩に登ってよく首や顔に体を擦り付けてくる。レトとも随分仲良くなった。


「レトは今日も元気だね」


指で軽く撫でてやると嬉しそうに鳴くレト。私は小さく笑ってから早速ジゼルを誘っていた。


「ジゼル、今日は一緒に出掛けたかったんだけど時間はあるかな?少し時間が掛かるんだけど夕方にはここに帰ってこれると思うんだ」


「時間はあるけど……どこに行くの?」


「行ってからのお楽しみだよ。とても綺麗な所なんだ。ジゼルの休暇に良いと思ってね。どうかな?」


教えてしまっては楽しみが減る。私は手短に話すとジゼルは珍しく不安げに顔を歪めた。


「……それは、馬で行くの?」


「え?あぁ、馬じゃないと夜になってしまうし…」


「そう…」


何か嫌だっただろうか?分からない私にジゼルは言いにくそうに口を開く。


「私……馬術は得意ではないの。いつも医者として器具を運んだり、患者を運んだりするから馬には乗らなくて。どちらかと言うと馬車に乗ってるから……」


「……君にも得意じゃない事があるんだね」


私は思わず面食らってしまった。馬は移動手段として欠かせないものになっているから大体の人は乗れると思うが、彼女は職業柄乗らないで生きてきたのだろう。肩書きのある彼女は困ったような顔をした。


「私にもあるに決まっているでしょ。戦時中はさすがに乗っていたけど……馬に乗らなくても生きてはいけるもの」


「そうだね。それはそうだ……ふふふ」


「笑わなくてもいいでしょ。……直そうと努力はしたわ」


普段は穏やかでおとなしいのにちょっとむきになる彼女は少女のようで可愛らしかった。綺麗という印象の方が強かったのに彼女の違う一面が見れた私は普段との違いに勝手に笑ってしまう。


「ごめんごめん。でも、私は慣れてるから平気だよ。一緒に乗れば問題ない」


「でも…」


「大丈夫だよ。おいで」


私はジゼルの背中に手を回して軽く押しながら馬に向かって歩きだした。私はどこでも馬に乗って行くので間違っても落馬するなんてありえない。馬の近くまでくると木に結んでいた手綱をほどいてさっと馬に股がる。そしてジゼルに手を伸ばした。


「ほら、行こう?絶対落とさないから大丈夫だよ」


「……ええ」


ジゼルは躊躇するように自身の手を握りしめるも小さく頷いて私の手を握った。一先ずは行く気になってくれて良かった。ジゼルが乗りやすいようにあぶみに足を乗せてから引っ張ってやるとジゼルを前に乗せた。


「……久しぶりに乗ったわ」


「ふふふ。馬の首に荷物をつけてるからそこに掴まってもいいし、鞍に掴まってもいいからね」


「ええ」


「じゃあ、行くよ」


私は手綱をもってジゼルの後ろから馬を操ると馬を走らせる。しかし、走って早々ジゼルは揺れる馬に不安そうに声をあげた。


「ローレン……!揺れるわ……!」


「そりゃ馬だから揺れるよ。怖かったら私の腕を掴んでてもいいよ。落とさないから」


「え、ええ……」


怯えているジゼルは不安そうなのでぴったりとくっつくように後ろからジゼルの身体を支えて密着するとジゼルのお腹に抱きつくように手綱を握る。これならそこまで揺れないだろうが、こんなに密着するのは初めてでジゼルは本当に華奢だった。彼女は女性らしくしなやかな体つきでかなり小柄だと思っていたが、とても細くて驚いてしまった。


「怖い?これならさっきよりましだと思うんだけど」


手綱を握る腕を控え目に握られて私は声をかけた。


「大丈夫よ」


「そう。私に寄り掛かってもいいからね」


「ええ」


さっきよりも声は落ち着いている。私の腕の中にすっぽりと収まったような彼女の顔色をちらりと窺うとジゼルと目が合ったのに何故か逸らされてしまった。怖がっている様子はないけれど、彼女は品格があるから何か不敬だったのかもしれない。教養が殆ど無い私には分からないが後で謝っておこう。


私はそのまま馬を走らせて少しだけ寄り掛かってきたジゼルに話しかけながら目的地まで向かった。今日は天気が良かったから馬を走らせやすくて良かった。湖には難なく着けたが次は馬から降りるのが問題だった。


「……ジゼル、降りられる?」


「…降りられるから大丈夫よ」


馬から先に降りてジゼルが降りるのを待っているが一向に降りようとしない。ジゼルは見るからに困っている様子だった。乗る時も、乗ってからもあんなんじゃ降りるのもこうなって当たり前だ。


「ジゼル、受け止めてあげるからおいで?落とさないよ」


私は不安を拭うように声をかけて腕を広げた。ジゼルはそれに困ったように顔を歪めたものの諦めたのか私を不安げに見つめる。


「落とさないでね、ローレン」


「任せてよ」


やっと意を決したジゼルは小さな悲鳴をあげて降りてきたので、私はジゼルを抱き締めるように受け止めて丁寧に地面に降ろした。


「平気?」


「ええ。ありがとう」


「いいよ」


ジゼルを無事降ろせて安心したのも束の間、ジゼルは少し乱れた髪を整えていた。そういえばさっき目を逸らされたし、今のもちょっと失礼な行いだったかもしれない。私はジゼルに先に謝っておく事にした。


「ジゼル、失礼な事をしていたらごめんね。私は恥ずかしいけど教養や学が無いから、ちゃんとしたマナーはからきしなんだ。だから失礼だと思ったら言ってくれて構わないからね」


私は高貴な身分の人の知り合いはいないし、孤児だったのできっと色々おかしい部分があるだろう。でも、彼女とは親しくなっているからあまり不快な思いはさせたくない。私の気持ちとは裏腹にジゼルは控え目に首を振った。


「私は失礼だなんて感じた事ないから大丈夫よ。ただ……」


「?」


言いかけるジゼルに目で問いかけると申し訳なさそうな顔をされる。


「…酷いでしょ?私、もう乗らないって決めていたから終戦してから乗ってないの。だから、私の方がごめんなさい。あなたに手間を掛けさせてしまって」


「そんな事気にしなくて平気だよ。私は気にしてない。それにジゼルの苦手が知れて嬉しいよ」


誰にでも得て不向きはある。彼女の肩書きからするとそんなものは無さそうなのに、彼女を知れて好ましく思う私にジゼルは穏やかながら少し困った顔をした。


「そう言われると困るわ。……あんなだったのに」


「ふふふ。一緒なら馬に乗れるんだからいいじゃない」


「それはそうだけど……」


「それよりもうすぐだから行こう。こっちだよ」


私の不安もジゼルの不安も拭えた所で私は馬を引きながら歩く。少し森林の中を歩くと目的の湖が見えてきた。


「ここだよジゼル」


「綺麗ね。こんな湖があるなんて知らなかった」


太陽の光に照らされて水面が輝く湖は水が青く澄んでいる。木々に静かに囲まれている事もあって神秘性が増して見えるそれは美しかった。私達はやっと到着した湖の近くで腰を下ろして休む事にした。レトは初めて来たこの場所に喜んでそこら辺を走り回って遊んでいるし、ジゼルは湖を眺めながら朗らかにしている。


「休暇は充実したかな?」


ジゼルが喜んでくれているようだから口から出た言葉だった。だけどジゼルの表情にはあの日のように影が射した。

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