第4話


「……そうね。あなたのおかげで充実はしたわ」


湖ではなく遠くを見つめる彼女は目を伏せた。


「でも、仕事を今はしていないからいろいろ考えてしまって……。忙しく仕事ばかりしていたから、いざそれが無くなると考える事ばかりしてしまうの」


「そっか。それは、仕方ないのかもしれないね」


「ええ、……そうね……」


暗い影は穏やかなのに見て取れる。でも、何がそうさせているのかまでは読めない。彼女は少しミステリアスでもあった。穏やかで柔らかく優しい印象なのに多くを語らないから尚の事掴めない部分があるのだ。表情からはあまり窺えない気持ちはジゼルを暗くさせているのは分かるのに明るそうに見える彼女からは原因の想像が難しい。


「ローレン。ここに連れてきてくれてありがとう。気分が晴れたわ」


彼女はすぐに影を無くして目尻を下げた。分からない何かをまた分からなくさせられた。こうやって笑うジゼルは何だか放って置けないものがある。私にはまだ分からないような事を考えてはいるのだろうが、せめて今は気分が晴れてくれて安堵する。


「なら良かったよ。あんまり考えすぎるのはよくない」


「そうね。今日は久々に馬にも乗ったし、緊張したわ……」


「ふふふ。そんなに怖かった?」


胸を撫で下ろす彼女に笑いながら問い掛けると彼女は穏やかに微笑む。


「いいえ。あなたのおかげで怖くはなかったわ。一人で乗る時の方が怖いもの」


馬に乗っている時を思い出すと彼女はそれはそれは危うい乗り方をしていたのだろう。想像するとジゼルには申し訳ないが笑ってしまう。


「じゃあ、私がいない時は馬車の方がいい」


「ええ、そうね。間違いないわ。馬に乗る時はよろしくねローレン」


「勿論」


笑うジゼルと私はそこでゆったりとした穏やかな時間を過ごした。そよ風を感じながらとてもゆっくりと時間が流れる気がして心地好く、ジゼルも終始気分が良さそうだった。

そんな彼女を見てここに連れてきて良かったと思うが、考えすぎてしまうのであればまた気分転換になるように何処かに連れて行ってあげよう。


流れ者の私は生きる以外に然して目的はないので時間はある。ジゼルとの関係はまだ浅いが私はもっと彼女と接点を作って彼女の分からない影を払ってあげたかった。

誰かに対してこうやって思うのは初めてだからお節介と思われるかも知れないが、私には彼女が気になって仕方なかった。



私はそれからも丘に通いながら適当に依頼を受けて生活をしていた。新しい依頼が終わったらまたジゼルを何処かに連れて行こう。そう考えながらベシャメルから少し離れた村に荷物を届ける依頼を終えて帰ってきた時だった。

すっかり日が暮れて暗くなってしまったがそろそろベシャメルが見えるな、と馬を走らせながら前方を見ていたらベシャメルから青い炎が上がっていた。


鮮やかな位青く見える炎は暗がりを一層明るくしていて幻想的にも見えて、驚きと共に焦燥感に駆られる。あそこは比較的治安が良くて安全な街だった。なのに何で炎が?しかも青い炎なんて見た事がない。賊か、はたまた魔術師か何かに襲われているのか。

それよりもジゼルがあの街にいる。ジゼルは大丈夫なのか?私は馬を急がせてベシャメルに向かった。


ベシャメルに着くと馬を降りて街の中を捜索した。だけど建物が燃えて炎が上がっているのに人の気配が全くなかった。そもそも辺りを見渡して見ても人が一人もいない。これはどういう事だ?私は辺りを見渡しながら走った。誰か、誰かいないのか?争っていてもおかしくないのに何で誰もいないんだ。煙が舞って建物を燃やす青い炎は激しくなる。

それなのに人はいない。ベシャメルを出る時は沢山いたのに何故?


静けさに焦りと疑問は大きくなる。

おかしい、おかしい、そう思っても視界には炎のみ。


「誰か……いないのか?」


思わず足を止めて言葉が漏れた。ジゼルは、彼女はどうなった?何処を探せばいいんだ?そう広い街ではないから一通り見たはずだ。なのに、なんで……?

それでも辺りを見渡す。すると突然腹部に痛みが走った。


「いっ……!」


何だ?何が起きたのか分からない私は咄嗟に前に距離を取りながら痛みの先に目を向けると脇腹を斬られていた。人の気配なんかなかったのに一体誰だ?私は直ぐ様振り向いて剣を抜くも目の前にいたのは白いぼろぼろのドレスを着た気味の悪い白骨化しかけている幽霊のような女性だった。

骨になっている所はなっているが肉がついている部分もあるし、何より薄汚く黒い長い髪が絡まるように乱れていて気味が悪い。そして顔は半分以上は白骨化しているのに、左目あたりは人間の面影を残していてギョロギョロと動く眼球に悪寒がした。


私は腰に付けているナイフを投げるもナイフはすり抜けて地面に落ちる。

攻撃が通じないのを瞬時に悟った所でなす術がない。これは、魔女の言い伝えに出てくる幽鬼ではないか。満た事がない青い炎も幽鬼もいると言う事は……、でもあり得ない。魔女は確証のない昔話だ。頭は冷静にそう思うも私は近寄ってくる幽鬼に後退りながら策を考えた。


このままでは殺される。でも、刃物が効かないなんてどうしようもない。

ゆらゆら不気味に揺れながらこちらに迫る幽鬼に分かっていながらも剣を構えた。意味がなくても私にはこれしかないのだ。



「やめなさい」


一言で幽鬼の動きが止まる。剣の柄を強く握りしめた私の耳にはとても優しげな、それでいて艷めいた声が響いた。声の方に顔を向けると純白のローブを着た美しい女性が立っていた。しかし、その女の傍らにはフードを深く被った顔の見えない輩がジゼルを腕に抱いている。


「ジゼル!おまえ達がここを襲ったのか?!」


ジゼルは意識が無いのかぐったりと抱かれたまま動かない。こいつらはジゼルをどうする気だ。幽鬼が美しい女の元に戻るように移動すると煙と共に消えた。


「あなた、本当に綺麗な髪をしているのね。白髪なんて中々いないわ」


剣を女の方に構えるも女は美しく笑って此方に歩み寄ってくる。なんだこいつは?疑問と例えようのない恐怖心が沸いて、異様にしか思えなかった。そしてあの話が現実味を帯びてくる。この街を襲ったのはこいつだ。でも、こいつはただの人間じゃない。言い伝えは身を持って分からせてくれた。青い炎と幽鬼、それにこの女は美しい銀髪を靡かせながら青い瞳で私をうっとりと見つめた。


「瞳は金色だなんて……、美しくて綺麗だわ…とても。ビレアみたい。……ねぇ、私、あなたがとても気に入ったわ。あなた名前は?」


「いきなり何を……!?」


優雅に近付いてくる女に斬れる距離まで来たら遠慮なく斬ってやろうと思って握る柄に力を込めるも、私は急に腕を下ろして剣を落としてしまっていた。なんだ?理解できない。勝手に攻撃の姿勢を止めてしまった身体は構えようとしても動かない。脚も何もかも固まってしまったのかと言うように私の意思で動いてくれない。


「あぁ、そうだったわ。ごめんなさい。私は知っていたわあなたを。あなたはローレンだったわね」


「何故名前を……」


もう目前までやって来た女は教えてもいないのに私の名を口にした。こいつは本当に何なんだ?何故私の名が分かる?妖美さを感じる微笑みは不気味な程美しく見えるが、青い瞳がこの世のものではないような雰囲気を醸し出す。


「簡単な事よ。そんな事よりも、本当に美しいわ…。私のものにしてしまいたいくらい」


目と鼻の先に来た女は感嘆の溜息を漏らすと私の白い髪に触れた。体の動かない私はそれをただ受け入れた。よく分からない不気味さに身震いしそうになる。


「ねぇ、ローレン。あの子が欲しい?あの子、とても意思が強い子だったわ。ちょっと嫌な思いをさせたけど泣きもしなければ叫びもしなかったの」


髪に触れてから私の頬をまるで愛おしむように触れる女はジゼルの事を言っているようだった。ジゼルは血に濡れているようには見えないが何かをされたようだ。思わず眉間に皺が寄る。


「ジゼルに何をした?」


「ふふふ。怒らないでローレン。何も切り刻んだ訳じゃないわ。私は嫌なものを見せただけよ」


「嫌なもの?」


「ええ。随分嫌なものがあるみたいだったわ。選ばれた血筋は違うわね。あの子はいい材料になると思ったんだけど、……あなたにとって大切なものみたいだから残念だけど置いていくわ。でも、あなたにそんなに想われているのは癪ね。少し嫉妬してしまうもの」


ジゼルは何か魔術を掛けられたようだが大丈夫なのか。今すぐにでもジゼルを助けたいのに身体が動かない。女は上品にクスクス笑うと私の首に腕を回して抱き着いてきた。抱擁と同時に女から花の甘い香りがする。


「ローレン。今度お茶をしましょうか?あなたとはゆっくり語らいたいの。だから私を忘れないようにして?」


「おまえは……さっきから何を言ってる?」


意図の読めない話しは困惑でしかなかった。意味不明な話に付き合って等いられない。何故私にこんな事をする?身体を離した女はにっこりと笑うと私の手を取って掌にキスをした。その途端、突然腕に痺れるような痛みが走る。


「おまえ……!」


「大丈夫。私の印をつけただけよ」


掌を見やれば女の言った通り何かの紋章のような印が黒い刺青のように浮かび上がっていた。もう痛みはないが、これは何かの魔術を掛けられたようだ。すぐに女に目線を戻すと女は私の髪にそっと手を伸ばして触れる。肩に触れる位ある私の髪を首や頬を触りながら触れる女は上機嫌そうに笑った。


「おまえじゃなくてカベロよ。魔女のカベロ。また会いに来るわね?今度はあなたに贈り物をあげる。それまで待っていて私の可愛いローレン」


カベロは私の頬にそっとキスをすると片手を伸ばして掌を広げる。そして黒い渦のようなものを空間に作り上げるとその空間に入って行って、黒い渦と共に消えてしまった。


あいつは、本当に魔女だったのか。魔女と名乗ったのは衝撃の他無かったが、全てが一致している。私はカベロがいなくなった瞬間身体の自由が解かれた。動かなかった体がやっと自分の思い通りに動く。今はあいつよりジゼルだ。私は直ぐ様ジゼルの元に駆けた。カベロが消えたと同時に煙のようにジゼルを抱いていたやつも姿を消したせいで地面に倒れているジゼルを抱き起こして顔や身体を確認する。見た所傷はないし息もしている。それに安堵するもこのまま此処にいる訳にもいかない。私はジゼルを抱いて馬に乗って一番近い街まで急いだ。今は兎に角ジゼルを安全な場所で休ませてやらないといけない。私の傷も深くはないが処置しておかないとまずい。


私は馬を急がせて夜道を駆けた。

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