第5話


ベシャメルから一番近い西の小さな街には馬を急がせたから早急に到着する事ができた。そこで私はすぐに医者に向かいたかったが医者がいないとの事だったので宿を確保するとベッドにジゼルを寝かせて自分で自分の怪我の応急措置をした。明日ジゼルが目覚めなければ医者がいる大きな街に向かわないと。私は眠っているジゼルを見つめた。


ジゼルは穏やかに呼吸をしているがカベロに何をされたのか不安になる。あいつは確かに魔女で間違いないだろう。言い伝え通り悪霊を連れていたし、魔術師と同じような魔術を使っていたがジゼルがやられたのだ。魔術師であるジゼルがやられたのなら、それかそれ以上の者であるのは間違いない。

ジゼルは一体何をされたんだ?私は目を覚まさないジゼルの手をおもむろに握った。身体に傷はないけれど目を覚ましてくれるのだろうか。不安を感じながら私はすぐに動けるように椅子に座って身体を休めた。



翌日、椅子で眠っていた私はジゼルの声で即座に目が覚める。



「ローレン」


「…ジゼル?身体は?痛い所はない?」


椅子から立ち上がって身体を起こしていたジゼルの様子を窺う。顔色は悪くないがジゼルの目が覚めて良かった。ジゼルは頷いて答えた。


「ええ、平気よ。私は大丈夫。助けてくれてありがとう」


「いや、いいよ。無事で良かった。それよりも一体何があった?私が着いた時には何もかも燃えていて人が一人もいなかった。それに、魔女と名乗る女がいた。君は連れて行かれそうになっていて危なかった」


私はベシャメルが壊滅した時にあそこに着いた。魔女が街を襲ったのは理解できたが目的も何も分かってはいない。ジゼルは顔をしかめた。


「私も分からないわ。突然街に火がついて、悪霊が現れて人々を襲い出したのよ。悪霊にやられた者は塵のように消えたわ。私はどうにか応戦して住民を何とか逃がせるだけ逃がしたけれど……魔女だなんて……」


「魔女のカベロと言っていていたよ。信じがたいけど全部言い伝えのままだ」


「そうね…私もはっきりと見たわ。それに見た事もない魔術を使っていた……。私を捕らえに来たとも言っていたわ。魔術師が欲しいと」


「魔術師?何故?」


ジゼルを連れ去ろうとしていたのは分かるが何が目的なんだ?それに、魔術師を捕らえるためだけに街を壊滅させたと言うのか。ジゼルは訝しげる。


「分からない。良い材料が欲しいと言っていたけれど……何をする気なのか……ん?」


ジゼルは急に腰辺りを触り出したと思ったらローブの中からレトが出てきてジゼルの手の上に乗った。


「忘れていたわ。この子に何かあったら困ると思って服の中に隠していたの。無事で良かった」


「あぁ、レトも大丈夫そうで良かった」


レトはジゼルの手の上で呑気に身体を伸ばして可愛らしく一鳴きするとジゼルの指に甘え出した。昨夜は大変な事があったのにこの子と来たら…。私は思わず笑っていたらジゼルは穏やかな顔をしていたのに急に表情が曇った。


「ローレン、怪我をしたの?医者には見せたの?」


レトをベッドに置いて立ち上がるジゼル。昨日処置した時の物を見て気づいたのだろう。そういえば彼女は医者だった。


「あぁ、いや、まだ見せてないよ。この村は医者がいないんだ」


「じゃあ、私が診るわ。ベッドに座って。器具は少ないけど手持ちがあるから」


「いや、でも、大した怪我じゃないから」


「いいから早く座って。侮っていると悪化する可能性もあるのよ」


「…分かったよ」


普段は本当に穏やかで声すらも柔らかい彼女が冷静に強い口調で話すものだから頷いてしまった。私は医者ではないし彼女には従った方が得策だ。ジゼルは脚や腰につけていたポーチを外すと中から何やらいろいろと道具を取り出した。


「腹部をやられたのね。服を捲っていて。魔女と戦ったの?」


言われた通りに服を捲るとジゼルは私の適当にした手当てを取り除いて魔術を掛けながら処置を始めた。それに疑ってはいなかったが驚いた。魔術を使って治療する医者は医術師と呼ばれ普通の医者より崇め奉られているからだ。


「いや、幽鬼だよ。あれは剣が効かなかった」


「……無謀よ。逃げるのは考えなかったの?」


薬品の匂いが漂ったと思ったら傷に染みた。痛みが走るものの私は耐えながら笑って答える。ジゼルの言い分はよく分かるのだが私はそれどころではなかった。


「ジゼルが心配だったから逃げるなんて考えなかったよ。私では全く歯が立たなかったけど助けられて良かったよ」


「……助けてくれたのには感謝してるけど、あんな得たいの知れない相手……死んでもおかしくないのよ?」


声から心配をかけさせているのが窺えた。だが、私はきっとどんな状況でも彼女を見捨てるなんて無理だろう。私を本心で大切に思ってくれる人を置いて等行けない。


「それはそうだけど、私もジゼルを大切に思ってるから心配だったんだ。それに、死んでほしくない」


「……ローレン、私の事はいいのよ。そんな風に思わなくていいの。私は医者であって魔術師なんだから簡単には死なないわ。何かあったとしても医者である以上簡単に死ぬ事は赦されないの」


クリスは私の治療をしながら表情を険しくさせる。強い発言だった。自分の事はいいだなんて、私にはあんな風に言ったくせに。私はそれきり黙って治療を終えてくれた彼女の手を掴んだ。拒むような発言をする彼女こそ大切にするべきだ。


「ジゼル、私はそれでも君を大切に思うよ。私は魔術なんて使えないし医者でもないけどジゼルが大切だから今回みたいな事があったらまた君を助ける。命の危険がなかったとしてもジゼルを傷付けたくない」


「……」


ジゼルは私の言葉にまるで困ったかのように視線を下げた。それは、時折見せる彼女の陰りのようで胸がざわつく。ジゼルは一体何を思っているんだ。そして少しの沈黙の後、私の目を、私を大切に思うと言った時のようにしっかり見つめてきた。


「私は、医者は一人で生きていかなくてはならないの。医者は常に人に頼ってはいけない。だから私にはそんな気持ちを持たなくていいのよ。そういったあなたの気持ちは私にとって不要だわ。あなたは、あなたの命を一番に優先して他人よりも自分を大事にして。あなたのような人の命が一番尊いのよ」


私の手を離す彼女は私に背を向けるとポーチをつけ直す。もう話すのを強制的に止めたようなジゼルはこの話をしたくないようだった。しかし、ジゼルの言った言葉は優しい彼女の最初の言葉を思い出すと胸に衝撃的に刺さった。一人で生きていくだなんて、会ったばかりの私を大切に思うと慈愛に満ちた言葉を言うような人が言う言葉ではない。


ジゼルの陰りはこの中にあるような気がした。最初から偽善で、同情で言葉を述べない彼女の優しさは確かなものなのにこの突き放すような言葉は素直に受け止められない。

私は言葉を発しようにも出てこない言葉に悩んで、どうしようもなくジゼルに手を伸ばそうとしたら突然手に鋭い痛みを感じた。


「いっ……」


思わず手を引っ込めて掌を見つめる。掌のカベロにつけられた印は紋章の模様の回りからまるで蛇のように黒い筋が何本か延びていた。


「ローレン?!これは?」


私の異変に気づいたジゼルは直ぐに振り替えって私の掌を掴まえる。じりじりと痛む掌はカベロの印が疼いているかのようだ。


「魔女につけられた。印だと言っていたよ」


「印?魔術だとしても…これは見た事がないわ。痛む?」


「今は少しだけ」


「……そう。見た事はないけれど何か魔術が掛けられているようね。でも、痛みがあるなら身体に何か起こる可能性が考えられる。……ディータに行きましょう。これは医者の専門分野ではないかもしれないけれど知り合いに学者がいるわ。彼なら何か分かるかもしれない」


ディータとはベシャメルから北に向かった貿易の中心地である帝国の首都だった。海に面しているディータには船が頻繁に往き来していて、何でもあるがゆえに人が溢れている街である。ここからはディータは遠いがこの印を解き明かせるなら行く意味はある。だが、ジゼルを同行させるのは悪い気がした。


「ローレン。私を救ってくれたあなたをそのままにしておくなんて私はしないわよ。早く行きましょう」


「うん。分かったよ。ありがとうジゼル」


察したのだろうジゼルに先手を打たれてしまった。ジゼルは当然のように言ってくれたが私も分からないこれを一人でどうにかするよりは心強い。私達は早速宿を出る準備をするもジゼルは渋い顔をした。


「ローレン。悪いのだけどディータに向かう前にベシャメルに連れて行ってくれない?ベシャメルに医療器具を置いているの。特注で作った鞄に入っているから燃えてはいないと思うのだけど、ディータに向かう途中に診たい患者がいるの。道中だから時間は掛けさせないわ」


彼女は休暇で来ていたはずなのに仕事熱心な事だ。私はあぁ、と頷いた。


「それは構わないけど、何があっても不思議じゃないから気を付けて行こう」


「ええ。ありがとう」


外に出ると昨日のベシャメルの一件がもう知れ渡っていた。ベシャメルが襲われたらしいと人々は口にするがベシャメルから無事に逃げてきた者もいるようだ。目的が魔術師だったとしても、何故ベシャメルにジゼルがいるのが分かったのだろう。それに、魔術師はジゼルだけだったのか?疑問は消えないが考えていても仕方ない。私はジゼルと共に馬に跨がるとベシャメルに向かった。


昨日の今日でベシャメルはどうなっているのかなんて遠くから見てもよく分かる。あれだけ燃えて、建物が崩壊して、まるで戦場の跡だ。ベシャメルに着いてから街を見渡しても死体も何も無かった。在るのは人がいたであろう形跡のみだ。これだけの事をカベロ一人で実行したのか、私は運良く生き延びたが次に遭遇したら死ぬかも知れない。会いに来ると言っていたし、語らいたいとも言っていた、あれが何処まで本気かは定かではないが何か対策を考えておかないと今回のように何も出来ないで終わる。ジゼルが鞄を探している間、私は周辺を見張りながら考えていた。



「ローレン。見つかったわ。汚れていたけど中身は無事だった」


そう言って四角い鉄製の頑丈そうな鞄を持ってきたジゼルは一息つく。


「良かった。じゃあ、ディータに向かおう。ここからじゃかなり距離はあるが日が出ている内に進めるだけ進もう」


「ええ。地図を確認しながら行きましょう。地図は私が持っているから……あれは……!」


出発の準備が整ってあとはここを去るだけだったのに遠くから馬を走らせて此方に向かってくる者がいる。遠目で分かる軽装をしている奴らは好意的な奴らではない。私は直ぐに剣を抜くもあっという間に私達を逃げさせないように囲まれた。


「おいおい先客かよ。金目の物を出せ。出せば命だけは助けてやっても良い」


汚ならしく笑う賊は馬に乗りながら私達に剣を向けた。

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