第14話
翌日ふと目が覚めるとジゼルはまだ眠っていた。彼女は呆気ない顔で安らかな寝息を立てている。私は少し体を離して慎重に起こさないように上半身を起こした。
時計を見るとまだ起きるには早い時間だった。私はそばで眠っているジゼルに目を向ける。寝顔は普段の聡明さなんかなくて、年相応な可愛らしい顔をしている。少し乱れている髪を優しく整えてやると私は彼女の手に自分の手を重ねた。
柔らかくて優しい手を本当に優しく握りながら私は穏やかな表情で眠るジゼルを見つめる。
彼女には自分の為の道はないのだろうか。ジゼルの普段の言葉からは強い使命感と責任感を感じるが、昨晩のように話すとジゼル本人の在り方が見えない。彼女は彼女自身として生に何かを見出だしているのだろうか。
ジゼルの生き方が逞しくて強く感じるけれど、同時にとても壊れやすく思う。彼女の中には苦しみが多いから昨日のように笑ってくれるなら私は彼女のそばにいよう。辛さから逃れさせてあげたいのだ。私はそう考えながら優しく握っている手を指で撫でた。
彼女の穏やかな表情を見ているだけで胸が落ち着いて嬉しいようなよく分からない気持ちになる。これは何なんだろう?しばらくそうやってジゼルの寝顔を眺めていたら急に掌に傷みが走った。
痺れるような、焼けるような疼きはあの印によるものだ。私は咄嗟にジゼルから手を離して掌を見つめる。声を出すような痛みではないが疼きは掌だけでなく腕までも広がる。しかし腕を捲っても何もなっていない。
何もないのに熱いのだ。まるで腕の中から焼かれているかのようだ。今までと違う痛みに困惑しながらも噛み締めて痛みに耐えていると、魔女がつけた印から黒く無数の線が延びてきて私の腕に絡みついた。まるで刺青のようなそれは蛇のように腕にくっくりと痕を残しながら腕の付け根まで続く。一体どういう事だ?黒く延びた魔女の印が痛みを強くさせる。
「……いっ!」
「……ローレン?…どうしたの?!」
思わず漏れた呻きにジゼルが慌てて起き上がって私の腕を見ながら顔色を窺う。
「印が疼いたと思ったら腕にまで広がったみたいで痛むんだ…」
「魔術をかけるから動かないで」
状況をすぐに理解したジゼルは私の黒く無数の線が絡み付く腕を迷いなく両手で掴む。するとジゼルの手がうっすら白く光った。それと同時に焼けるような痛みが和らいだ。
「……ありがとうジゼル。和らいだよ」
「他に痛い所はない?」
「うん。腕だけだから大丈夫だよ」
彼女のおかげで少ししたら痛みは完全に消えた。しかし、私の腕には腕の付け根にかけて無数の黒い線が入り交じりながら延びている。まさしくステイサムが言った呪いのように。
「……これはこうやってあなたを侵食する魔術なのかもしれないわね」
ジゼルは私の腕を見つめながら呟いた。彼女もきっと私と同じように思ったのだろう。呪いとは言わないのが彼女らしい優しさだが。
「魔女の伝承が本当なら、これが広がれば私は操られるようになるのかもね」
あの魔女の様子から私を殺すのは考えにくい。そもそもあの時私の事なんか簡単に殺せた筈だ。それをしなかったのはあいつが言った通り私を気に入ったからに過ぎない。
「……そんな事させないわ」
ジゼルははっきりと私を見据えながら言った。普段の医者としての冷静な言葉よりも言葉には感情が乗せられている。反論するかのような言いぐさは彼女らしくなかった。
「まだ判らない事だらけだけど、そんな事は絶対にさせない。私が、……私がどうにかしてみせる。あなたに助けられてるのに、あなたを見捨てるなんて絶対にしない」
「ジゼル…」
「大丈夫よローレン。不安はあるかもしれないけどまだ時間も頼る宛もあるわ。だからまだ恐怖を感じて焦ったりしなくていいのよ」
私にも責任を感じている彼女は医者としてよりも個人的な感情に動かされているようだが、言い切る彼女の気遣いは素直に嬉しく思った。それでも私の腕に目を向けるジゼルは何時も浮かべる穏やかな表情に悲しいような、辛いような色を見せる。
この魔女の印に関しては私よりも彼女の方が思っている事は多いようだ。こうなってくると成るようにしか成らないと思うが彼女の中では違う。彼女の方がはるかに不安や恐怖があるのだ。
「ありがとうジゼル」
私は彼女を安心させるように囁いて手を握った。この陰りはこの印が無くならないと完全には消えないと思うが私は彼女の前では明るくいてあげたい。
「私も一人宛があるから訪ねてみるよ。ディータには世話になった医者がいるんだ。それに、ジゼルがいてくれるだけで心強いよ」
「……ええ」
浮かない表情をして私の手を弱々しく握り返すジゼルの顔を覗き込む。責任を感じさせたくはないし、私は自分がどうなろうと受け入れているので不安はない。
「ジゼル、そんな顔しないで?」
「ええ、ごめんなさい。少し、自分が不甲斐なく感じて」
「そんな事ないよ」
技術や才能はあるのに自己評価は低い。ジゼルは私の否定にありがとうと笑みを作った。
この印がこうやって腕に広がると言う事は時間制限がある現れである。だから急がないとならない事は分かるのだが、何せ伝説の魔女にやられたものだ。時間はかかるに決まっている。だが、ディータで昔から世話になっているあの医者なら何か知っているかもしれない。昔から世話になっているあの医者は腕が良くて聡明だ。
ジゼルと私は朝の支度を済ますと私は早速世話になった医者に会いに行くと提案しようとしたらカーラが慌てた様子でやってきた。
「先生!フィナの容態が芳しくないようで……」
「フィナが?」
カーラは手に持っていた資料をジゼルに手渡した。ジゼルはそれに目を通すと険しい顔をした。
「薬効が落ちてきているのかもしれないわね。でも、あの子は精神的な問題もあるし……。最近のあの子の様子は?」
「何時も通りですよ。話そうとはしません」
「そう。薬の件もあるし私が様子を見てくるわ。ローレン、申し訳無いのだけど馬を出してくれる?」
「うん。いいよ」
また彼女の患者の話だろう。カーラは申し訳なさそうにジゼルの医療用鞄を渡した。
「先生すいませんがよろしくお願いします。今日中にはローレンの検査結果を出しますので」
「ええ。そちらはよろしく頼むわね。じゃあ…」
「おい!ジゼル!貴様どういうつもりだ!!」
ジゼルが足を進めようとした時、すごい剣幕で怒鳴りながら男が歩いてきた。黒い短髪に眼鏡をかけた背の高い男は鋭い目付きでジゼルを睨む。彼は憤慨しているようだった。
「ファドムさん、先生は…」
カーラはジゼルを庇うように先に口を開くも彼には無駄だった。
「貴様に話し掛けているのではない!!得たいの知れない者を保護したそうだな?!こいつか?!魔女の手先かもしれないんだぞ!!!」
私を睨み付けるファドムと言う男に気迫されるもジゼルは冷静に話した。
「手先ではないわ。彼女は患者よ。魔女に魔術をかけられているの。まだどういった症状が出るか詳しい事は分かっていないけれど、これから身体検査を進めていくわ」
「何も分かっていないのにそばに置く等危険すぎるだろ!!何かあったらどうするつもりだ?!帝国に身柄を引き渡すのが筋だろう!」
「身柄を引き渡した所で彼女の安全が保証されるの?あなたのように調べもしないのに決めつけて殺される可能性も考えられる。人狼病の時を忘れたの?あんな事が起きるなら私が保護をして治療をした方が良いと判断しただけよ。それに問題が起きたら私が如何なる責任も取るつもりだわ。私は医術師会の長なのよ」
「……っ!」
彼の言い分は一理あった。だけどそれ以上に彼女の言い分は彼を黙らせる程的確だったようだ。ジゼルはとにかく私の身を案じているという事だ。ファドムはジゼルをものすごい剣幕で睨み付けるも反論をしなかった。
「行きましょう、ローレン」
「え、あぁ、うん…」
「待て!!」
ジゼルが私の腕を引いて歩き出した時、ファドムにすごい勢いで肩を掴まれる。あまりの勢いに振り向くと彼の怒りは収まっていないようでたじろいだ。
「ファドム…!いい加減に…」
「貴様!何時でも私が殺せる事を忘れるな!!ちょっとでもおかしな事をしたらその首をはねてやるからな!!」
私にそう怒鳴り付けた彼は憤慨しながら大股で歩いて行ってしまった。私は魔女の手先と疑われて警告までされたようだが、今朝の印が広がったのを思い出すと魔女の手先と言うのはあながち間違ってはいないのかもしれない。
「ごめんなさいローレン。彼は何時もああなのよ。あなたの安全は私が保証するから気にしなくて良いわ」
「…うん。分かったよ」
「じゃあ、行きましょう」
ファドムの後ろ姿にため息を溢すジゼルを見ると彼は突っ掛かりやすい質なのだろう。彼女は動じてもいなかったが、ファドムの言っていた事は正しくもあってそうだったと自分の立場を改めて理解させられた。
医術師会を出てからジゼルに行き先を案内されながら馬で移動をする。カーラと話していたフィナに会いに行くようだが移動をしている時ジゼルはフィナについて詳しく教えてくれた。フィナはどうやら魔術師の人狼病患者らしい。人狼病患者は医術師会の権限の元で保護をして治療されているらしいが狼になる比率が高くなっているのと人間に戻す薬の効果が軽減しているらしいのだ。
基本的に人狼病とは人が狼に変身してしまい、理性も何も消失し獣そのものになってしまう病気らしいが、それは一時的なもので人間に戻るとちゃんと自我を取り戻す。
だが、フィナに関しては魔術師の血のせいもあってか、その獣化が深刻らしく人間でいる時間が短くなっているようだった。しかも彼女は他の人狼病患者に比べるととても凶暴化してしまうらしい。
フィナは他にも精神的な問題もあってとても不安定な状態らしかった。ジゼルはフィナをとても心配しているようだがフィナについて一通り話し終わると彼女は思い出したように話を変えた。
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