第15話


「ローレン。ファドムの事なんだけど、彼は度々あなたに暴言を言ったりするかもしれないから先に謝っておくわね」


朝の一件を彼女は私より気にしていた。穏やかな表情は少し困っているようにも見えた。


「それはいいよ。彼が言っていたのは……まぁ、合ってはいるし、……その、それより私を帝国に引き渡さなくても良いの?」


彼は我を無くしているかのように怒っていたが言っている事は正論で、私は危険人物と捕らえられてもおかしくない。ジゼルは私の身を案じて言い返していたのだが先は何も見えていないのだ。


「ええ。引き渡すのが帝国の魔女に対する調査には良いのかもしれないけれど、安全とは言いがたいの」


迷わずに言葉を発したジゼル。ジゼルは一瞬私に視線を向けると微笑んでから教えてくれた。


「人狼病の保護と治療が医術師会に任される前は帝国が秘密裏に行っていたのよ。人間に施されるとは思えない所業を彼らは人狼病患者に行っていて、それは人権を侵していると言ってもいいくらい酷いものだったの。狼に姿を変えてしまうけれど、人を人とも思わずに治療だと言って殺してしまう事もあって……私はそういう考えには賛同できないの」


ジゼルは私の手綱を握る手に優しく手を添えてきた。あぁ、まただ。私は彼女の話を聞きながら苦しくなるような思いを感じた。言い表せないそれはあの戦争に参加していた時の、私が軍人を辞めようと思った時の声を蘇らせる。




……マリア、……愛している


その言葉が嫌に鮮明に、はっきりと耳に聞こえてしまった。


「私はね、死んでいい人間なんてこの世にはいないと思ってるの。勿論、命を懸けた闘いになったらそんな事は言えないのは分かっているし、死が救いになるのならその考えを尊重するべき時もあるけれど、命があるのなら人として生を全うすべきだと思うわ。誰にだって大切に思ってくれる人がいるし、いないのであれば私が大切に思うから生きてほしいのよ。こう思うのは馬鹿馬鹿しくて我が儘かもしれないけどね、私はできたら辛い思いをしてほしくないの。死ぬ時は皆苦しんで、嘆いている事が多いから…」



ジゼルの慈愛の精神は私を訳も分からず息苦しくさせる。彼女の考えは馬鹿げて等いない。我が儘でもない。だって生かすも殺すもしてきたのだ。医者として生きながら戦争にまで参加して、そして最愛の家族を失っている。だから彼女がそうやって思うのは必然のように思えてならない。


優しい彼女の思いは正しい。間違っているとは思えない。甘えた考えと言うやつはいるかもしれないが彼女は戦争に参加していたのだからきっと割り切る部分は割り切っている。勿論、哀しみを抱えながら。


でも、なんだ?なんで息苦しくなる?なんであの言葉が頭から離れない。戦って殺した中のただ一人の言葉がどうしても消えてくれない。身体を切り裂いて致命傷を追わせた。身体から剣を引き抜いて次を殺そうとした時私はふと掠れた声を聞いたのだ。



……マリア、……愛している


嘆きも苦しみも、哀しみすらも感じられない声だった。ただ男は本当に心を込めて救われたかのように笑って、焦点の合わない目でどこかを見つめながら呟いたのだ。


私はそれに酷く動揺した。動揺なんか今までした事すら無かったのに訳が分からなかった。もう死ぬのに、痛みを感じているはずなのに……なぜ笑った?なぜそんな事を口にした?なぜ嘆きもせず苦しみもしないのだ。


そして私はこの男に感じる気持ちと同様に自分自身にも動揺していた。


生きるためには殺せばいい。目の前にいる敵を殺して息の根を止めて、また殺せばいい。殺そうとしてくるやつは皆敵なのだ。そして、殺す事は生きる事なのだ。そう思って疑いもしなかったのに、私は敵を殺していたのに、分からない言い様のない不安が渦巻いた。私はいったい何に不安や恐れを感じているのか分からなくて自分の感情に戸惑っていた。



それからだ。私が人を殺すのに躊躇してしまうのは。殺すのは正しい事なのに、私の生きる道でさえあったのに、不安がどんどん溢れて焦燥感に駆られた。

分からなくて、不安で、何かに戸惑って、焦って、迷いさえした。だから戦争が終わってすぐに軍人を辞めた。こんな思いをしていては近い未来に死ぬだろう。


死ぬくらいなら流れの傭兵のように暮らして、できるだけ殺さない仕事をすればいい。幼い頃に火傷で死ぬ思いをした私はあのような痛みを味わいたくはなかった。



そうやって分からない不安から逃げていたのに彼女の言葉に突き付けられてしまった。


私は、私の今までの生き方は……。

もう私の中で答えが見えた時、ジゼルが私の顔を覗き込むように見てきた。それに緊張して、言葉が出なくて、恐怖を感じた。

優しい眼差しが今の私には怖かった。


「ねぇ、ローレン?あなたの事は私が守るから安心して。私は医者だけど闘うのもちゃんとできるのよ?剣を振るうのは苦手だけど魔術なら小さい時から鍛えられてるから何が起きても大丈夫よ」


「……うん。ありがとうジゼル……」


彼女の言葉に心臓が冷えるような思いをする。咄嗟に笑った私にジゼルは微笑んで前を向いてくれた。これ以上彼女の優しさに触れていると何かに押し潰されてしまいそうで安堵した。彼女の言葉も微笑みも嬉しいはずなのに、私はなぜこんな思いをしてしまっているのだろう。


ジゼルの視線から逃れた私は息苦しさを脱却したものの、彼女が軽く握って離さない手から伝わる温もりに罪悪感のような何かを感じていた。



そうして馬を走らせて町外れにある屋敷に着いた。森林の先の街から少し離れたそこは外見からはとても人狼病の患者を保護しているとは思えない普通の屋敷だった。ジゼルに案内されて一緒に屋敷に足を踏み入れるも直ぐに白衣を着た者が現れてジゼルにカルテを見せながら歩みを進める。部屋の作りは医術師会と変わらずに研究室やら患者の病室がある至って普通の作りだが、途中地下への階段を降りるのにそれだけではないのを悟る。


地下へ降りると暗がりにランプの光が漂っていた。本棚や机、医療器具が置かれている先に鉄で区切られた檻が何個か設置されていてその中には二メートルは優に越える黒い毛を生やした二足歩行の大きな狼がいた。口からは鋭い牙を剥き出していて、ヨダレを滴しながら檻の中で暴れているそれは本当に人間だったのか疑わしい程に獣に見えた。


「ローレン、近付きすぎてはダメよ」


威嚇するかのように唸っている狼は柵に身体をぶつけたり檻から爪が鋭く延びた手を出して捕らえようとしてくる。恐怖を感じるそれに私を獲物のように捉えてている紅く光っている獣の目が更に恐怖心を感じさせる。


「狼の時は飢餓状態と一緒なの。迂闊に近寄ると怪我をするわ」


「うん。分かった」


ジゼルの忠告に気を付けながらジゼルの後に続くと一際頑丈に作られている檻にたどり着いた。その中でも狼が激しく暴れている。


「ジゼル、それとローレンもいたのか。今日は来てくれて助かったよ。フィナはこの特注の檻も破壊しかけてな…。私達も投薬を試みたんだがここ数日はあまりに暴れるからできていないんだ。前回投薬した薬も彼女に関しては効果が減少しているし……」


檻の付近にいたのはステイサムだった。彼はここを取り仕切っている身らしくジゼルに暴れるフィナを見ながら説明をする。フィナは病気が悪化しているのだろうか?檻の中のフィナと思われる狼は吠えながら檻に噛みついたり体当たりをしている。


「ええ、分かったわ。私が投薬をするから薬を」


「ああ。ジゼル、気を付けろよ。フィナはいつもより凶暴化している」


「ええ。念のために予備の薬も用意しといて」


「ああ」


注射器を受け取ったジゼルは徐に檻の鍵を開けようとした。私はそれに思わずに声をかけた。こんな狼が暴れている危ない場所に入るなんてあまりにも危険すぎる。


「ジゼル!」


「平気よ。投薬をするだけだから」


「でも……!」


「大丈夫よ。フィナは優しい子なの」


穏やかに微笑むジゼルは止める素振りも見せずに檻の中に入った。大丈夫にはとても思えない私は何時でも応戦できるように剣に手をかける。ジゼルは優しくフィナに話し掛けていた。


「フィナ、私よ。ジゼルよ。そんなに暴れたら身体を痛めてしまうわ」


ジゼルはゆっくりとフィナに近付く。フィナはジゼルに視線を向けると耳をつんざくように大きく吠えた。そしてヨダレを滴しながらジゼルを今にも襲いそうに見据えて唸っている。見ているだけで気が気じゃなかった。あんな大きな狼に襲われたら怪我では済まないはずだ。なのにジゼルは優しい眼差しを向けていた。


「辛いのねフィナ。大丈夫よ。薬を持ってきたから直ぐに良くなるわ。さぁ、おいでフィナ」


足を止める。ジゼルは腕を開いてフィナを待った。しかしフィナはジゼルを前にして後退るとまたしても鉄格子に体当りをして吠え出した。ジゼルを認識して逃げたようにも見える行いにジゼルはついに魔術を使う。


「止めなさいフィナ。身体が傷ついてしまうわ」


手を振りかざす彼女によってフィナは地面から這い出てきた氷により手足が動かないように固定される。それを暴れて振りほどこうとするもびくともしないせいで動きを封じられていた。ジゼルは一瞬目を細めてフィナに近寄ると背中から先程貰っていた薬を打った。その途端フィナの動きは静まってぐったりとしたように動かなくなる。そして彼女から黒い煙のようなものが漂い出すとジゼルは魔術を解いてフィナの身体を後ろから抱き締めた。


「ステイサム。毛布を用意しておいて」


「ああ。分かってる」


檻の外に待機していたステイサムは落ち着いた様子で準備をした。狼を支えていたジゼルは魔術が解けて人の姿になったフィナを抱きながらゆっくりと地面に横にさせた。それを見て本当に人間だったのかと思って驚いた。さっきの姿からは想像もつかないような幼さを醸し出した少女があんな獣になってしまうなんて、この病気はいったいなんなんだ?


ジゼルはその後フィナを病室にあてがって話したい事があると言ってステイサムとどこかに行ってしまった。その間私はというとジゼルにフィナを見ててほしいと言われてフィナの眠る病室にいた。

終わったらすぐに来るからとも言っていたがフィナは眠ったまま動かない。私はフィナのベッドの横にある椅子に座ると黙ってフィナを見守っていた。


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