第16話



十代中頃だろうか?茶色みかかった髪は綺麗に手入れをされているようで艶やかに見える。傷一つない綺麗な顔も、先程まで変身していたとは思えない小さな身体も彼女が人狼病であると裏付けるには不十分で、今の姿だけ見ていると病気なのか疑ってしまう。


この子はなぜ人狼病になったのだろうか。

ジゼルは詳しく分かってないと言っていた。親族に人狼病患者がいるからではなく、感染病等の類いでもなく本当に突発的になってしまっている人が多くいて分からない事だらけのようだ。

分かっているとしたら狼化している時間には限界がある事、狼化している時は心臓を貫かない限り動き続け死なない事、狼の時の記憶は理性がないとしても断片的に覚えている事が挙げられる。


だからジゼルは狼化したフィナにあんなにも優しく接していたのだろうが、あの状態で友好的にできる者は少ないだろう。人間だと分かっていても、あれを見てしまっては大丈夫なんて言えない気がした。


「……ジゼル」


様子を見ていたらフィナが目を覚ましたようだった。ジゼルを呼ぶ彼女は私に気付くと警戒するようにじっと見つめて身体を起こす。私は警戒心を解くように優しく話した。


「フィナ、はじめまして。私はジゼルの友人のローレン。君に薬を打ってから様子を見てたんだけど身体は平気?」


「……ジゼルは?」


「ジゼルならすぐに来るよ。さっき話しに行ったから」


「……」


か細くて小さな声は私に不信感を抱いている。私を警戒する眼差しは変わらないままフィナは無表情で私を見つめ続けた。私は何もする気はないがこのままなのはよろしくない。思ったよりも無口なフィナに私は少し困りながらまた尋ねた。


「フィナ、痛い所はない?」


「……」


「気分は悪くないかな?」


「……」


問い掛けても答えないフィナ。私の言葉に反応すら示さないのに、目は背けずに私の動きを観察するように見ている。私の存在が彼女にはまるで恐怖の対象でもあるかのようである。これはどうしたものか。笑いかけてみてもフィナは無反応だ。いっそ出て行った方が良いのかもしれないが一人にはできない。私は笑いながら悩んでいると、腰のポケットからクゥクゥ鳴き声が聞こえた。そういえばレトが悪さをしないように入れていたのだった。丈夫な布でできた大きめなポケットに触れると出たいのか中で暴れている。私は椅子から立ち上がるとフィナから離れてポケットから出してやった。


「レト、大人しくしないと……」


直ぐに私の肩にやって来たレトは忙しなく肩から肩を走り回ったと思ったらクゥクゥ鳴きながらフィナのベッドに飛び移った。


「こら、レト……!」


まずい。この子を噛んだりでもしたら大変だ。慌ててレトを捕まえようとするもフィナはもうレトに手を伸ばしていた。注意しないと、そう思って口を開こうとした時、レトは甘えるようにフィナの手にすり寄っていた。


「……」


「クゥクゥ」


意外にもフィナに懐いているレトに安堵する。フィナは無言でレトを可愛がっているが表情は全く読めなかった。警戒はレトのおかげで薄れたような気はするのだが表情に変化がないのだ。ジゼルが言っていた通り心の問題は深刻なのだろう。フィナは無表情でレトを見ていたと思ったらまた私に視線が向く。ショートカットの綺麗な髪も綺麗な顔も年頃の少女のはずなのに乏しすぎる表情に困惑する。普通の少女がこのような反応を示すだろうか。この子に一体何があったのだろう。



「フィナ。起きたのね」


部屋の扉が開いた音と共にジゼルがやって来た。穏やかに微笑むジゼルにすら表情を変えないフィナはそれでも近くに来たジゼルに乏しい反応を見せた。


「……ジゼル」


「ん?どうしたの?何処か痛い?」


「……」


頭を優しく撫でるジゼルの言葉に首を振って否定をするとジゼルに抱き付いていた。もう口を開かなかいフィナはジゼルに心を許している。ジゼルはフィナに笑いかけると優しく抱き締め返した。


「大丈夫よフィナ。私がいるから大丈夫だからね」


「……」


ジゼルは反応をしないフィナに微笑んで近くの椅子に座る。無言でジゼルを見つめるフィナの手を握るジゼルはこれに慣れているようだった。微笑みを浮かべるジゼルは穏やかなままだ。


「仲良くできた?」


私にチラリと視線を送るジゼルに苦笑する。


「いや、ちょっと怖がられてるみたいで…」


「そう。あなたは大丈夫だと思ったんだけどやっぱり難しいわね。フィナは少し怖がりなの。許してあげてねローレン」


「うん。大丈夫だよ」


本当に仲良くできるのかと若干の不安を感じる。フィナはジゼルから私に視線を向けてじっと私をまた警戒するかのように見つめてくる。ジゼルは私とフィナを仲良くさせたいようだが今の時点で関係の発展が見込めない。


「フィナ、ローレンは私の友人だから怖くないわ。ローレンは優しいからフィナともきっと仲良くなれるわ」


「……」


「ふふふ。少し緊張しているのね。大丈夫よフィナ」


何も表情に変わりはないのに、まるで分かるかのように話すジゼルはフィナの頭をまた撫でてあげていた。繊細な子であるのは察してあげられるが私にはフィナが何を考えているのか分からない。


「フィナ、近いうちにまた街に遊びに行かない?フィナに見せたいものがあるの」


「……」


「あなたも一緒に付いてきてくれる?ローレン」


「それは、いいけど…」


二人で行った方が良いのではないかと思うが水を差すような事をするべきではないか。反応を示さないフィナは一回ジゼルに視線を向けるも私を見つめたままで何か落ち着かない。そんな空気の中でジゼルだけは楽しそうだった。


「フィナ?ローレンはね、馬の扱いが上手なの。フィナも馬に乗せてもらうといいわ」


「……」


「馬車よりも風を感じて楽しいわよきっと」


「……」


楽しそうに笑うジゼルにフィナは無言で頷いて見せた。私は急に反応を示したフィナに驚いた。馬等特別なものではないのにフィナは馬が好きなのだろうか?分からないけれど彼女の一部が覗けたようで少しだけ嬉しく感じる。私はその嬉しさにフィナに笑って話しかけていた。


「絶対に落とさないから大丈夫だよフィナ」


「……」


反応はないけれど私をじっと見つめてくるフィナは私の動きを把握するよりも目を見ていてくれる気がする。この繊細故の態度はもう気にならなくなった。フィナは言葉が出ないだけで、反応があまりできないだけなのだ。


「ふふふ。よろしくねローレン」


更に微笑みを深めるジゼルはフィナの代わりのように嬉しそうに言う。ジゼルが狼になったフィナにあんなに優しく話しかけていたのが何故なのか私は今更理解した。



その後もフィナは話さなかったけれどたまに反応を見せてくれた。ジゼルが色々話しかけるのを彼女はじっと聞いている様子で相変わらずの無表情は考えを汲み取る何て不可能だった。それでもジゼルはフィナの気持ちを容易に汲み取って穏やかに笑っていて、彼女の優しさを実感した。フィナも私と同様に大切に思われているのだ。あの獰猛な狼になった姿を見ているのに彼女の視線も態度も慈愛に満ちていた。ジゼルは恐怖も何も感じていないのだ。それは彼女らしいとすら思えた。



ジゼルとの帰り道、馬に乗ってゆっくりと帰っていたらジゼルは嬉しそうに微笑んでいた。


「ご機嫌そうだね」


「ええ。今日のフィナは嬉しそうだったから。あなたとも打ち解けたみたいで良かった」


「うん」


フィナの気持ちが分かるのはジゼルだけだろう。だがフィナが嬉しかったならば私も喜ばしく思う。一方的に話していたので打ち解けたとは言いにくいかもしれないがあの病気では心に負担がかかるのは当然だった。


「薬は見直して改良してみたからあれなら大丈夫だと思うけど……まだ少し心配ね」


穏やかな顔色がやや曇るのは気がかりになる。


「心配?」


「ええ。フィナはあんまり話さないでしょ?あの子は繊細だから話すのも笑ったりするのも難しいのよ。フィナは帝国の保護下にいた時に惨い扱いを受けてね、私が保護した時からあの様子なの。何も言わないから詳しくは分かってあげられていないんだけど、皆気にかけてはいるの。……でも、中々心の問題は上手く行かないわ」


「そうなんだ」


あれが病気だと認知される前であれば想像を絶するくらい酷い扱いをされたのだろうか。フィナは硬く心を閉ざしているようだ。


「でも、今日は嬉しそうだったわ。フィナは動物が好きだから馬に乗ったらきっと喜ぶと思うの」


「そういえばレトを可愛がっていたね。懐いてたし」


レトは本当にあまり懐かないのにフィナには進んで近寄っていた。以前カーラの検査を受けていた時に可愛がろうとするカーラに威嚇して噛みつこうとしていたのだ。カーラは昔から可愛がっているのにこの有り様だと悲しんでいたがレトには何か好みでもあるのだろうか。


「そうなのよ。レトはフィナが好きみたいで、フィナは何時も遊んでくれるのよ。あの子はレトに優しいの。ふふふ、何だか出掛けるのが楽しみになってきたわ。仲良くしてあげてねローレン」


「もちろん」


微笑むジゼルに笑って頷く。ジゼルの忙しさを考えると何時になるかなんて分からないのに今から楽しみに思ってしまう。ジゼルがこんなに嬉しそうなのは初めて見た気がする。フィナを本当に大切に思っている彼女の表情は見ているだけでこちらまで和んでしまう。美しい微笑みを浮かべる彼女は絵になるくらい綺麗で可愛らしくてつい見入ってしまった。そして、ふと思ってしまう。秘めている辛い思いや使命がある彼女の微笑みは自分じゃなくて医者としての幸せになっているのだろうか。


「なあに?」


視線に気付かれてしまった私は取り繕う暇もなく優しい視線に捉えられた。ジゼル、私に向けるその目も医者としてなのだろうか。ジゼルは、ジゼルは何時になったら自分を表してくれるのだろうか。君はどうしたらジゼルとして生きてくれるのだろうか。沢山の想いが私の心を占めてきた。


「ローレン?どうかしたの?」


「ジゼル……今日も、夜は遅い?」


今言葉に出してもジゼルを困らせるだけだ。飲み込んだ気持ちを隠すように話を逸らせばジゼルは苦笑いを浮かべた。

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