第12話


「…ローレンは何を言ってるんですか?」


表情がころころ変わる彼女は本音を言ったのに何故か呆れていた。


「あの先生を馬に乗せたんですよ?しかも、部屋に籠りがちの先生を湖に連れ出すなんて仲が良くなかったらできませんよ。私が言ったら絶対断りますし、馬に関しては断固拒否されてるんですからね?馬車を毎回手配してる私の身になってください」


「そうなんだ…」


「そうですよ!馬は置いといても気になる症例があるからとか読んでおきたい医学書があるからってたまの休みは全く部屋から出て来ないし、部屋にいないと思ったら研究室に入り浸ってるし、……もう兎に角ローレンは嫌われていないと思いますから安心してください」


「うん、ありがとう」


彼女に此処まで言われると自然と笑ってしまった。ジゼルの苦手はかなり酷いもののようだが私は信頼を得ているみたいだ。そうと決まれば夜のお茶の時間は気合いを入れなくては。カーラとジゼルの話をして打ち解けた私はジゼルの好みについて訊いてから医術師会を出た。



カーラの話を思い出すとジゼルは基本的に外に娯楽として殆ど出掛けないみたいだった。それに、彼女は好みが殆ど無いようだ。何を食べても飲んでも甲乙付けず同じ様な反応をするらしく、これは何か形に残る贈り物をしても同様らしい。カーラは先生は医学以外には関心が薄いと困ったように言っていたが成る程と納得している私がいた。



彼女は確かに医学以外に何かに頓着している様子がなかった。寝る前に分厚い本を読んでいたり、医療器具を磨いたりしているのは見たがその他は本当に何かを気にしている様子はなかった。だからと言って彼女のために何かしてやりたい気持ちは消えない。

私は悩みながら市場まで向かうと色々な店で物色をした。私も食や嗜好品に関してはどうでも良かったので分からないが彼女が癒されるような物を買った方が良い。

しかし、これが考えれば考える程悩んでしまって市場を何度か巡っていたが良い香りのする茶葉と菓子を買った。無難な物になってしまったのは申し訳なく思うも私にはこれが限界であった。


日も暮れてきたので私は医術師会に帰るとジゼルの部屋で主の帰りを待った。寝る準備を済ませレトと遊んでやると疲れたレトが丸くなって寝てしまったが、ジゼルは中々帰って来なかった。

夜も更けたと言うのに彼女はこんな遅く迄何をしているのだろうか?一瞬考えて医者としての勤めを果たしているのだろうと自然に答えが出て疑問は消えた。


それに魔女の事もあるのだ。私を考えてくれていての事でもあるのだろう。私は疼く魔女の印を見つめた。

夜になるとじわじわと痛みが掌から感じられる時がある。我慢はできるが痛みに顔が歪むのは抑えられなくて私は痛みが引くのを待った。

これがもし治らなかったら私は死ぬのだろうか?魔女の印等未知のものを付けられて先が読めない。


カベロは私の印と言ったがそれはどういう意味なんだろう。

疑問は募るばかりだが今はどうする事もできない。協力を仰いでいるのだから待つしかないのだ。

鈍い痛みが引いて私は溜め息をついた。ジゼルが何時になるか分からないがソファに背を預けて私は静かに待ち続けた。



「ローレン」


いつの間にか眠ってしまっていた私はジゼルに肩を揺すられて目が覚めた。彼女を待っている間に眠ってしまったようだ。


「あぁ、ジゼル。ごめん眠ってたよ」


「いいのよ。遅くなってしまってごめんなさい」


今が何時か分からないが謝るジゼルは普段よりも疲れた表情をしていて私は首を傾げた。


「何かあったの?疲れた顔をしてる」


「緊急の患者を診ていたのよ。少し休めば大丈夫」


「そっか。じゃあ、今日はお茶を止めよう。また時間の在る時にして今日は寝た方がいい」


「え、でも……」


「いいから。また今度にしよう」


私はソファから立ち上がってジゼルをベッドに向かわせようとした。彼女のためにやりたかったが疲れているのに無理をする事はない。私はベッドにジゼルを座らせると申し訳なさそうな顔をするジゼルに笑い掛けた。


「また誘うよ。私の印の事もあったし疲れただろうからもう横になった方がいい」


「ええ。ごめんなさい」


「気にしてないよ。君が忙しいのは知ってる」


次は忙しくない時に誘わないとジゼルが気にしてしまう。先になりそうだなと思いながらまた菓子を買い直さないとなと考えた。次は何を買おうか、私はおやすみと言ってソファに向かおうとしたらジゼルに手首を掴まれた。


「ローレン…。その、ソファで寝たんじゃ体が痛くなるわ……」


ジゼルの恥じらいの籠ったような言葉に私は思いがけず内心困ってしまった。昨日から私は此処にいるがベッドが一つしかないのでジゼルに使ってもらって私はソファで眠っていた。ジゼルは私に使わせようとしてきたがこの部屋の持ち主を差し置いてそんな図々しい事ができる筈もなく断ったのに彼女は気にしていたようだ。


「…いや、私は大概何処でも寝れるから大丈夫だよ」


「でも、私が気になるの。……少し狭いけど一緒に寝ましょう?その、あなたが嫌じゃなければ……だけど…」


恥じらいに困ったような表情が混じって断るに断れない。それにこんな言い方をされてはこちらが折れるしかなくなる。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


「ええ……」


早速ベッドに入って肩を触れ合わせながら仰向けになる。あの夜は一緒に眠ったが隣にジゼルがいると思うと何だか落ち着かない。もう目を閉じてしまおう。そして考えるのを止めれば自ずと寝れる。しかし、目を閉じて直ぐにジゼルはそっと私の手に触れてきた。


「ローレン、何か体に変化はない?」


ジゼルの暖かい温もりは私を焦らせる。だが目を開けてジゼルに視線を向けると焦りは消えた。私が何時も気にしてしまうあの陰りが見えたから。


「平気だよ。たまに疼くけど」


「そう。まだ何も手懸かりが掴めなくてごめんなさい」


「魔女に付けられたんだからしょうがないよ。それよりもこちらこそ色々してくれてありがとうジゼル」


「お礼を言われてもまだ何もできてないわ。取り敢えず検査の結果を待ちながらステイサムと中心に調べてみるから痛むようなら安静にしていて?私がいない時はカーラに言えば痛みくらいならどうにかしてくれると思うから」


「うん。分かったよ…」


ステイサムの名前が出るとラナの事を思い出す。ジゼルは墓に行く気は無さそうだった。ラナを大切に思うあまり彼女の足は遠ざかるのだろう。でも、仲の良い姉妹なのにどちらも可哀想に思えた。


「ジゼルはラナには会いに行かないの?」


「……行かないわ」


思い切った問い掛けに瞳の影が濃くなるもジゼルは普段の柔らかい表情をしていた。


「私がラナの墓に行く時は私が死んだ時だと決めてるの。……だから、……行かないわ。……それでなくても、ラナの事は何時も考えてるから……」


「……仲が良かったんだってね。カーラから聞いたよ」


後悔の色も取れる発言は彼女の傷みが触れる手から伝わるようだ。一度自分からジゼルの手に触れて、これだけじゃない傷みを抱えるジゼルに体を向ける。ジゼルはそれにふっと笑うと私に少し体を向けてくれた。


「そうね。ラナは活発的な人だから何時も色んな事に付き合わされていたわ」


「そっか。楽しかった?」


「ええ。私はラナみたいに活発な方じゃないし、好きな物があまりないけど何時も楽しかった。ラナは何でも楽しめる人だから……姉妹だけど私とは全く似てないの」


懐かしむように話すジゼルは穏やかに笑う。彼女がこうやって自分から話してくれるのを嬉しく思って私は相づちを打つ。


「姉妹なのに?」


「ええ。似てるとしたら髪くらいかしら?あとは本当に正反対よ。私みたいに休みの日に医学書を読む何て絶対にしない人よ?何時も休みなさいって怒られていたもの」


「ふふふ。そうなんだ。ジゼルはあまり出掛けるのは好きじゃない?」


カーラの言葉通りの事を本人が言ってきたが湖に行った時は喜んでいた。最初は馬術が苦手だからと断ってきたが、出会った頃は出掛けるのを好まないようには見えなかった。ジゼルは小さく首を振ると少し言いにくそうに呟いた。


「いいえ。外に出るのは好きよ。レトも喜ぶもの。でも、私は馬術が苦手だし、かと言って馬車だと常に人がいて気を使うから出掛けなくなっただけ。それに、私は一人の方が好きだから何時も部屋にいるのよ」


「なるほど。じゃあ、私といるのは嫌じゃない?」


私はただ思った事を訊いていた。一人でいるのが常ならば誰かがいると気を使うのだろう彼女は慌てて否定してきた。


「そんな事ないわ。私はあなたに対してそんな風に思ってない。誤解させるような話をしてごめんなさい。気分を悪くした?」


「いや、してないよ。ただ、ジゼルが嫌だったら申し訳無いと思って」


ジゼルは私に対してはっきり拒絶するような事はしない。拒絶の意は唱えるけれど彼女は私を受け入れて嫌がりはしないのだ。何も信じたいと思えないと言っていたから優しい心は断れないだけなのかと心配になる。


「あなたに対して嫌だと思った時はないわ」


しかし、そんな私にジゼルははっきり言ってきた。しかし、直ぐに彼女は困ったような顔をして視線を逸らした。


「……私、……私は、少し戸惑ってるの。私は何時も何でも一人でやってきたわ。医者は何時も迅速な判断と的確な処置能力が求められるの。誰かに頼ってたらいつか必ず患者が困る時が来るから出来る限り一人でやってきた。医者は常に迷う事なく威厳ある態度でいないと患者の不安を煽る事にもなるから絶対に心の内は見せないように生きてきたわ。でも、……あなたは何時も私を気遣ってくれるから、言ってしまう時があるの。本当は、……医者としては言ってはいけない事なのに……あなたには話してしまいたくなっていて……」


後ろめたさを感じているのかジゼルの声は段々に弱々しく小さくなっていく。彼女の医者としての仕事に掛ける思いは全て患者へ続く。これは医者としての彼女を見ていれば言わなくても判るような話であった。冷徹にさえ聞こえた彼女の医者としての言葉や態度には全て思い遣りが込められている。そう思うと彼女のこういう所には胸が熱くなるような思いを感じる。


「ジゼル。私は君に医者としての在り方は求めてないよ」


私は悩むような顔をするジゼルの頬を優しく撫でた。

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