フォールスⅠ

「すごい……」


 望月は2人の攻防を感心したように見つめていた。

 火花が飛び散っていてもおかしくないほどに槍と銃は何度も交え、狼少年の嘲笑と織姫の荒い息が接近するたびに交わされる。


 時々甲高い音を足元から鳴らしては織姫は打ち込まんと近付き竹槍での殴打を試みる、その後に鳴る狼少年の靴音、迎える穂先を全て捌き、後退して間合いを確保していた。


 姿勢を低くし、槍の先を向け意思の強さを眼に宿す織姫。

 左手を上着のポケットにしまい、余裕そうに背伸びして銃口を向ける狼少年。


 2人の間には積乱雲のような緊張の厚みと鉄を叩いた際に弾ける火花のような熱い視線の鍔迫り合いが起こっていた。


「本当、頑張るよね。ここまで付き合う気なんてなかったのに。流石に疲れちゃったよ」


「なら、人質を解放して楽になったらどう」


「魅力的だね。でもだ〜め。まだ言わないよ」


 悪戯好きな子供のように意地悪く言うと、狼少年は後ろへ飛んで織姫を囲むように素早く回り始める。

 織姫は四方に神経を張り巡らすかのように竹槍をきつく掴むとせせら笑う狼少年の動向に警戒する。


「さっきから思っていたのだけど、あなたが持っているそれ、おもちゃか何かかしら」


「なんでそう思うわけ」


「発砲音は響くけれど、弾痕も薬莢も落ちてないからよ」


「クックック、流石の観察眼だね。でも――」


 突然止まり、館内に音が轟く。


「くッ!」


 狼がまたしても闇から現れ織姫の竹槍を噛む。


「余裕なその態度がいつまで持つかは別だよね!」


 狼の突進と噛みつく力が織姫の体力をじりじりと削っているようで、最初に対処した時より随分と動作に切れがなくなっている。


 何とか押し返し、槍先で狼の腹を突く、だが狼少年は織姫の健闘を揉み消すように次の狼を召喚する。


 このままじゃ灯明さんがやられてしまう!



 俺にできる事はないか。


 体育館全体に目を通す。しかし逆転出来そうな物がない。

 倉庫からボールでも出せれば話しは別だ、けど鍵がかかって開かない。

 それなら鍵を取りに行けば良いんじゃないかとふと思う。けれど相手は銃を持っている、出る瞬間に撃たれたら終わりだ。



 葉と葉の擦り合う音。


 思考の隙間に入るようにそれが聞こえた。


 織姫が出現させた竹の林だ。


「これ……」


 見ると、竹林は望月と戦う2人を隔てるように端から端へと群生し、高々と成長していた。


 それはまるで、柵のような……、


「まさか、灯明さんがこれを」


 横へと並ぶ竹の列、配置されたそれは不規則ながらに規則的だ。


 見えていたはずの2人の攻防が、竹の壁によって徐々に見えなくなっている。


 竹を左右の手で押しのけ何とか見ようと長い幹をどかす。


 竹は望月の力を押し返す毎に力を増し、背を伸ばす。しかし竹の反発力にも粗があるようで、力の強いものとそうでないものがある。

 何とか竹林から顔を覗かせ、その先に目を向けることが出来た。



 いつの間にか狼が3匹になっていて、煩わしそうに織姫が一匹一匹の接近を阻止していると、狼少年が気付いたようにこちらに顔を向けた。


「いつの間にあんなに育ったんだ。かぐや姫って言うから竹は想像してたけど。それにあいつ……」


 狼少年が訝しげにこちらを見る。


 負けじと睨み返すが鼻を鳴らすに収まってしまう。


「君の彼、まだ逃げてないみたいだよ」


 織姫に話しかけた言葉を望月が拾う。


「逃げるわけないだろ、春野さんと高岩さんを助けるまで絶対に逃げない!」


「君、馬鹿でしょ」


 織姫から自分へと視線が移り、放たれた言葉。


 一瞬こそ怯むが、負けないという意思を言葉に込めて「馬鹿じゃない」と吠える。しかし、狼少年は可笑しそうに笑い出す。


「クックック、おめでたいな。そのにも気付いてないなんて」


 壁の意味……。


 反芻するよりも早く少年が紡ぐ。



「こんなに高いと俺の狼達だって飛び越えるのは無理だよ。噛み千切るにしたって硬すぎるし、俺に手出しは出来ない」


 そう言って、少年が両手をひらひらと振るう。


 でも、と言うまで。


「それは君だって同じだよね。ピーターパン」


 その意味を数回頭の中で咀嚼する。意味が分かって、まさかと天井を見た時にはもう遅かった。

 竹が天井高く伸びていた。


「灯明さんを、助けられない」


 クックック、喉を潰す様な不気味な笑声。


「そう! お前は助けることが出来ない、人質も、こいつも!」


 口調が少し荒くなった狼少年が織姫に向かう。


 狼達は見事な連携で織姫の注意を引き、気付いた頃には狼少年が織姫のすぐ側まで来ていた。狼少年が一直線に蹴りを放ち、足が織姫の腹に食い込んだ。


「灯明さんっ!!」


 鏡のように反射する床を転がり、手にしていた竹槍を手放した。

 美しい顔には苦悶の表情があって、苦しそうに立ち上がる。



 アハハ。



 乾いた遠吠えがした。



「そうそれ! 見たかったのはそれなんだ! 痛みに打ち震えるその姿、やっぱり最高だ!」


 狼少年が右手で口を押さえて笑い出す。それはもう狂ったように。


「灯明さんッ!」


「大丈夫よ、こんなの……」


 言葉とは裏腹に顔が青白くなって、まるで今にも消え入りそうだった。

 立ち上がろうとして1度よろめく、だがすぐに持ち直してスッと狼少年を睨んだ。


「ホント、しつこいね」


「今ので1つ確信したわ」


 フードの下の口が、吊り上がった口角を徐々に下げた。


「……なに」


「あなたは今、とても焦ってる」


 望月は織姫を凝視した。


「なんでそう思うわけ」


「あなたは、やはりその銃で私に止めを刺さない。いえ、


 突如、一匹の狼がその場でのたうち回り苦しそうに喉笛を吹く。その様子に何が起きたのか望月は分からないままでいると、織姫が続ける。


「そもそもおかしいのよ、あなたの物語ストーリーは。狼少年はあなたみたいに狼と共生してるお話じゃない、嘘を吐きすぎたあまり、本当に狼が来た際、誰にも信用されず狼に食べられるお話よ」


 でも、と区切る。


「あなたはそうじゃない。それこそが、あなたの、物語の分岐点」


 一匹の狼がなおも苦しげに身体を床に打ち付ける。しかし他の狼も、その主も、まったく興味を示さない。


 というより、目が離せないという風だ。


「つまり、何が言いたいの」


「少なくとも、あなたの持つその銃は、殺傷能力が低い、または無いと考えてる」


 いえ、と織姫がかぶりを振って、結論を導き出したように苦しむ狼を指差して言った。


「あなたのそれは、音が出るだけのおもちゃよ!」



 ワオォーンッッツ!


 不意の断末魔と共に灰色の狼が床に倒れ、形を成した闇が朽ちていった。


 今までその様子に見向きもしなかった狼少年が初めてそれを見る。

 怒りを滲ませて。


「参ったな、嘘が1つバレちゃったか」

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