信じれば、いつか飛べるはず。

「お母さんはいつ帰ってくるの?」

「あなたが良い子にしていたら帰ってくるわ」


 黒で塗りつぶされた幼い子供と母親らしき女性。女性は玄関の戸を子供との間に挟んで会話していた。


 ページが捲れる。



「お母さん、遊ぼうよ」

「お母さんは忙しいの、良い子にしていたら遊ぶから、良い子に留守番していてね」


 扉の音が鳴りそうな程、絵の中の扉が勢い良く閉まる。


 ページが捲れる。



「ねぇお母さん、アタシ良い子にしてたよ」

「……そうね、確かに良い子にしてたわ」

「! それじゃ――」

「今日もこの調子でおねがいね」

「……嘘つき」


 幼い少女の影が、朧げに狼の姿をしていた。


 ページが捲れる。


「俺、良い子にしてたよ。だから母さん――」

「行ってくるね」

「……嘘なら、愛してくれるんじゃないの?」


 少女は少年となりました。影はより濃くなり、狼の長い耳が垂れる。


 ページが捲れる。


「何で! 何で嘘なんて吐いたのよ!!」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 母親が子供を殴っていた。何に怒ってるかは分からない。けど、影の狼は忠犬のように座り、尻尾を、振っていた。嬉しそうに。


 これは……。


 止めろッ! 俺を! アタシを知るなッ!


 □■□■□■


「ハァハァ……」


 肩で息をする高岩。巨狼は完全に白煙と消え、大群を成していた狼達はどこかへと消え失せた。

 声をかけようと身体が一歩前に進むと、途端、パラパラと世界が暗転し静かな暗闇をもたらした。


「ここは」


 体育館だった。いつの間にか戻ってきていた。

 竹は消え失せ、舞台上で葛城が呆然と仁王立ちし、引き出しの中には春野がいた。

 目の前には、顔をくしゃくしゃにして泣く高岩。


「うっ……なんで、なんで読まれたんだッ!」


 目の前の少女が、絵本の中の少女と重なった。

 ゆっくりと近づき、肩に手を置こうとすると、「やめろッ!」と抵抗され、手が虚空を握りしめる。

「望月君」暗闇を舞う蝶のような存在感。後ろにいる彼女へと視線を動かす。


「あなたは彼……いえ、彼女の物語ストーリーを読んだのね」

「はい……」


 そう。

 空気なんて通ってないのに、織姫の長い髪が揺れたように見えた。

 カツンと、床に響く音色は前に進む。織姫が子供のように泣きじゃくる高岩を見つめていた。


「高岩さん、あなたの負けよ。今すぐ望月君の前から消えなさい。それと、能力で反撃するのは無理。読まれた以上、望月君はあなたの能力を把握してるわ」

「……ああ」


 よろりと立ち上がり、何をするわけでもなく出口へと向かっていった。


「待てよッ!」


 葛城が叫んだ。


「妹はどこなんだよ!」

「……妹の部屋のタンス」


 覇気の無い声は耳を澄まさなければ聞こえない程小さいのに、葛城は舞台から飛び降りるとすぐ様体育館を後にした。

 残ったのは、狼少年だった者。


 月明かりによって異様に伸びる影が、とても淋しく、存在を掠めていくようだった。


 望月は、影を踏み越え胸の内を叫んだ。


「高岩さん、俺楽しかったよ! ショッピングモールで遊んだことや、交換日記を書いたこと。嘘のためだったけど、でも、楽しかったよ!」


 針のように影が細くなる。


「バスケットゲームの時! 本当にカッコ良かった! あの時最後にシュート決めた時の笑顔、凄く可愛かったッ! だからさ、だから――」


 扉に立つ影に、猫のような耳が生えた。


「また遊ぼう! 予定いつでも空けてるから、絶対にまた遊ぼうッ!!」


 次に眼を開けた時には、猫を被った少女は消えていた。


■□■□■



 その後、俺達は春野さんの拘束を解いて事情を説明し、それぞれ帰る場所へと帰った。


 学校では2つの事件が起きた。1つは体育館が荒らされるという事件だ。竹も狼の死骸もないけれど、館内の壁や床に黒い焦げや損傷跡がいくつも見つかり、学校側が調査のために1週間程の休校指令が生徒全体に発令された。


 そして、休校中に学校のネットワーク内で、校長がなぜかキレているという噂が広まった。写真も添付されていて、見慣れた担当教師が頭を下げているという様子のものだった。


 そして2つ目は、休校明けに転校生の手違いと新たな転校生が訪れたということ。

 転校生の手違いが発覚して訪れたのは、葛城 みお。なんと葛城の妹だった。

 クラスは馴染み始めていた高岩の存在に憂いと疑問を漂わせていた。それもそのはず、そんな手違いが起きていたとして、なぜ1週間近く判明しなかったのか、誰もが疑問に思いながら口にはしなかった、少なくともお昼休み以外は。



「灯明さん、これもたかい……狼少年の仕業ですか」

「あなたが見た物語ストーリーを考えると、恐らく校長先生が術中にかかっていたと思うわ。嘘1つで転校生に成り済ますとするなら、私もそちらを選ぶもの」

「そう、ですか……」


 望月は、群青に染まる空に手を翳しながら高岩のことを考えていた。

 物語を知られたら殺されちゃう。出会った時に溢した台詞だった。

 物語を読んだ以上、彼女の命は危ない。けど、彼女の物語は嘘つきの話し。結局、確認出来ないんだ。嘘か、本当か。


「彼女は、生きてると思う」


「え?」そよ風に靡く髪をくすぐったそうに抑えて、空を見て、そっと答えた。


「陰湿な手ばかり使っていたし、能力のためとはいえ、学校に悪戯書きまでしていたのよ。今頃、組織から抜け出して彼女なりに生きているんじゃないかしら」

「そうだと良いんですが」

「望月君」


 真珠のように澄んだ瞳が望月の眼を見つめる。


「あなたが信用したのなら、信用し続けなさい。私は、彼女を絶対に許さない。望月君の心を踏みにじって、人生をめちゃくちゃにした。そんな彼女を許す気なんてさらさらない。けど――」


 氷のような表情に、日の暖かさが差し、溶かす。


「あなたがそれでも彼女の無事を祈るなら、私も祈る」


 ほんの少しだけど。


 微笑みがして表情を覗いた。きっと笑っていた。その一瞬を陽から差す光が邪魔して顔を隠す。

 やっと見えた時にはいつもの真顔で、内心でため息を吐き、手すりから離れて、そういえばと残念な思いを上書きしながらあることを尋ねる。


「全部終わったら話してくれる、って約束してましたよね」

「護衛が終わったらね。ええ、確かにしてた」

「灯明さんの物語ストーリーを教えてくれる、って約束でしたけど、もう知っている場合、この約束って意味無いですか?」


 望月の命を何度も守った物語。けど、それとは別にもったいない気持ちを持っていた。

 灯明さんは謎が多い人だから、1つでも多く知りたい気持ちが望月を少しだけお喋りにさせている。


「その、良ければ他の質問とか、良いですか?」

「良いけど、質問にもよるわよ」


 良し! と内心でガッツポーズを取って、望月は無邪気に問うた。


「灯明さんの好きな物語って何ですか」

「望月君」

「はい?」


 織姫が、そっと顔を近付けた。前にも嗅いだ香木にシナモンを振りかけたような香りが、望月の全身を硬直させ、時間を悪戯に引き伸ばした。


「……、護衛はまだ、終わってないのよ」

「え?」


 鼻先を細い指が触れる。まるで、注意しなさいと言うように。


「さて、帰りましょう。宿題も終わらせないと」

「良ければ教えてくれませんか」

「努力したのなら教えるわ」


 男女の生徒が空を駆け、新風と共に降りていった。



 〜第一章 完〜

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