大袈裟に言えば、初めての友達

 それは全て物語で、今から起きる出来事は物語の合間に綴られる細やかな小話のようなもので、だからきっと、こんな話しは紙の端に綴った落書き程度のものなんだろう。


 消しゴムで簡単に消せるような濃淡。

 吹けば消しカスみたいに散らばる平凡。


 そう、きっと日常はそういうものだ。捲られるページのように次へ進む。


 でも、それは物語ならの話し。


 日常に、定められた役なんて、無い。



 青い服の少年が遠ざかると共に、視界がパラパラ漫画見たく紙が重なって、さっきまでいた部屋の立体を解いて遠く去っていく。

 意識が朦朧と機能を立ち上げる最中、自分よりも大柄な男子生徒が拳を作ってこちらに放つのが見える。


 そうだ、自分のやるべきこと。


 ヒーローは、自分の正義を押し付けるものでも、強い敵を倒すことでも無い。


 そして今、ヒーローは、必要ない。



「春野さん! 来て」


「いっ、いつの間に動いたんだ!」


 春野の手を握って、無理やり起こしてクラスを出る。

 それに続くように男も追いかけるが、それは階段までの話し。


「いない!? さっき曲がって行ったばかりなのに」


「も、望月君ッ、今の何!?」


 前者は男のもので、後者は春野の悲鳴。


「今フワッって、フワッて飛んだ!」


「後で詳しく話すから、今は離れないで」


 昇り階段をエスカレーターの様に浮かんで駆ける。

 春野まで浮かんだことについて気にはなったものの、望月はそれよりも上を目指した。


「どこ行くの」


「屋上」


「でも鍵がかかってるよ」


「問題ないよ」


 素早く周りに生徒がいないのを確認し、踊り場にちょうど人1人が出るのに適した窓を見つけ、おもむろに春野の方へと振り向く。


「えっ? まさか、だよね、ね?」


「春野さん、行くよ!」


 このあとどうなるのか勘付いた春野は小さな悲鳴を上げながら、望月は胸の高鳴りを信じながら、窓の外へと飛んだ。


「うそ!? 嘘ウソうそ!」


「春野さん大丈夫だよ、ほら!」


 空中に身を投げ出した望月に続いて春野も窓を蹴って飛ぶ。


 女の子特有の甲高い悲鳴を上げる春野の口を、そっと手を添えて塞ぎ、上へと目指す。


 ピーターの能力は、どこでも飛ぶことが出来る。

 気球の様な浮力でも、ロケットのような推進力でもない。

 ただ望んだ方向へと体1つを運ぶ能力。


 物語では妖精の粉で浮いていたんだっけ。

 はっきりとしない記憶の中、キラキラ光る軌跡を残して空を駆ける少年が描かれた絵本を思い出す。


 今なら、ピーターがロンドンの空を飛んだ時の気持ちが何となく分かる。


 この大空を自由に飛ぶ感覚は、癖になりそうだ。

 

 「これは夢これは夢……」


 たった1人を除いて、望月は空中遊泳を楽しみながら、屋上に辿り着き、爪先から床にそっと降り立った。


「春野さん、もう眼を開けても良いよ」


「う、うん」


 浮遊にすっかり怯えきった春野をなだめるように、ゆっくりと繋いだ手を離していく。


「ん……、」


「春野さん、おはよう」


「……おはよう」


 掛ける言葉に迷った末、まだ挨拶をしてなかったと思い、つい挨拶してしまった。


 彼女はその後キョロキョロと辺りを見回して、床にへたり込んでしまった。

 

「春野さん!?」


「これ、夢……だよね」



 眼をぐるぐると回して床に大の字で伸びていた。




 □■□■□


「そっか、そんなことがあったんだ」


「うん、信じられないと思うけど」


「ううん、信じるよ。あ、さっき空を飛んだからとかじゃなくてね、望月君の話しだからだよ」


 屋上に着いてから春野が起きるまで、望月はこれまでの事を考えていた。


 狼少年。

 創作者ストーリーテラー

 物語。


 ピーター、パン。


 そのうちに春野が気を取り戻し、意を決心してこれまでの話しをした。

 ピーターの能力はすでに見せてしまってるため、話しをしなければならないし、それに、話しをしたいと思っていた。


「そっか、大変だね」


「うん、何で俺がって思う日が多いけど、何とか生きてるよ」


「そっか、そうなんだね」


 屋上に繋がる出入り口を挟むように2人壁に背もたれる。

 この扉の向こうで生徒や教師が自分達を探しているのかいないのか、たまに足音が微かにする程度で近付く音は無い。


「何か、ごめんね」


「何で春野さんが謝るの」


「望月君が危険な状況にいるのに、わたし、気付けなかった」


 近くに置いてあった椅子に春野が座って、悲壮漂う表情を浮かべて、力なく笑いながらぐっと背を伸ばして天を仰いだ。


「これじゃ口先だけだよね。声掛けなんて子供でも出来るのに、わたし、バカ、だよね」


「そんなことない」


「どうかな」


 自嘲っぽく響くそれは、先にある青空に向かって放たれる。


「望月君を助けてくれたのは、灯明さんって人なんでしょ。わたしは何もしてない。ううん。最初から何にもしていないんだ」


 俯きながら春野を見ると、肩が小刻みに震えていた。


「そう、バカなんだよわたし、バカで、アホで、自分が嫌い」


 自身の両肩を掴んで、赤い顔を見せる。


「わたし、みんなに嫌われるのが怖い。みんなに嫌われたらまた1人ぼっちになっちゃう。でも、今日、誰かがわたしの机に酷い事を書いた。怖くて怖くて怖かった! なのに!」


 誰も側にいなかった。


 春野と机を区切るように人だかりは離れていた。

 きっと、それぞれが動揺して、それぞれが言葉を考えていたに違いない。

 そんなこと容易に想像出来る。


 でも、いざって時に寄り添ってくれる人なんていない。

 1週間前のあの時までは、そう思っていた。



「え……」


「分からなくて、これが合ってるのかも分からないけど、」


 肩に手を置いた。


 震える手が止まった。


 手を握られた。


「今夜も、月があるよ。明日も明後日も、きっと、月は巡るよ」


「何、それ」


「受け売りかな。正直意味は分からないけど」


 本人の前では言えないな。言ったら何かされそうだ。


「とにかくさ、今夜もきっと月があるよ。ほら、月には兎がいるでしょ、そのぐらい当たり前に毎日月が昇るんだよ」


「望月君、月に兎はいないよ」


「例えだよ例え、そのぐらい知ってるよ!」


 中学に上がる頃には真実を知っていた。決して兎型の宇宙人なんて信じてなかった。

 望月は小学生の頃に工作した兎型宇宙人を頭の片隅に追いやる。


「それに、そこはお日様じゃないんだ」


「うん、月、毎日月が昇るんだ」


「変なの、ふふっ」


 そこから数秒、心地よい風に吹かれながら屋上から見下ろせる町並みを眺めた。

 目を閉じて身を任せれば、飛んでるのと変わらない心地よい風。


 心の隙間にさえ通って行くような、爽やかな風。


「ねぇ、春野さん」


「何?」


「俺と、友達に、なってくれませんか?」


「違うよ」


 いつもの眩しい笑顔が、そこにあった。


「改めて、友達よろしくね、だよ」


「! 改めて、友達をよろしく」


「アハハ、それじゃ友達の紹介だよ。もう一回、これからも友達よろしくね」


「ちょっと変わってない?」


「気のせい気のせい」


 2人はしばらくそこで談笑を交わしていた。


 大袈裟だけど、高校で初めての友達が出来た。



 ★☆★☆★


「ピーター、わたし、怖くて飛べない」


「大丈夫、俺を信じて、この手を握って」


「うん」


 ウェンディの手を強く握って、ピーターは猛獣のいる森から突き抜けて空高く舞い上がる。


「ピーターは怖くないの?」


「あんなの怖くないさ、それに」


「それに?」


「いや、とにかくへっちゃらさ。俺は勇敢なヒーローだからな!」


 ピーターは、ネバーランドに帰ってきてから1度も泣きませんでした。ウェンディ達との別れ以外、泣き虫ピーターはどこにもいなかったのです。

 石鹸で自分の影を付けようと失敗して、ウェンディにその姿を見られてから、1度も。


 永遠に少年のピーターには分からない感情、しかしその日、手を差し伸べられる事がどれほど頼もしい事か知ったので、ウェンディ達やロストボーイに、救いの手を差し伸ばすことを忘れませんでした。


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