ネバーランド

 ピーターに案内され、望月は鬱蒼と茂る森林の中を進んでいた。


 ピーターは慣れた風で、蔦のすだれを払い、木の根をまたぎ、木の葉の上を意気揚々と踏み鳴らす。

 どこか楽しそうな雰囲気なのが、見ていてとても微笑ましい。


「そういえばお前、どうやってネバーランドに来たんだい?」


「ネバーランド?」


「おいおい、自分がどこにいるのかも知らなかったのか」


 呆れた動作を取るも、次には仕方ないなと言って嬉しそうに右手の人差し指を立てていた。


「ここはネバーランド、楽しい冒険が出来る子供の国さ。人魚がいたり、インディアンがいたり、おっかない海賊だっている。どうだ、楽しそうだろ」


「う~ん……」


 その内の1つは、皮を剥ごうとするんだろ、と思いつつも、不思議とピーターの言葉に反論する気は起きなかった。何故だろう。


 そういえば、こうして誰かと一緒に知らない場所を歩いた気がする。

 そっと視線をピーターの背中に向けた。小さな背だ。

 そこに、何かの幻覚がダブって重なる。


「うっ!」


「ゆうや! 大丈夫か?」



「ごめん、もう、大丈夫」


 目の前の少年と似た背丈の子供が、一瞬だけ振り向いた。

 ような、気がした。


 ピーターに心配されつつも、どうやら目的地に到着したらしい2人。片方は両腕を伸ばして、もう片方は両膝に手をつけて、喜び方こそ違えど、笑顔を交えていた。


「さあ、入って」


 ピーターが蔦や葉を腕でどかすと、暗闇が潜む洞穴のような入り口が現れた。ちょっとした大人でも屈んで入れそうな大きさだ。


 言われるがまま、望月は恐る恐る洞穴に入り、真っ暗闇を進む。


 本当に目的地はここで合ってるのか、不安が残る。突然、足場の感触が無くなり、望月は咄嗟にピーターへ手を伸ばすも、求めていたのとは別に、続くようにピーターも跳んだ。


「うおおっ!?」


 滑り台か何かに乗ったような疾走感、ぐるぐると回っていることだけが分かるものの、行き先を知ろうにも覗く底は暗闇。


 どこに辿り着くのか不安げな望月に対し、後ろを滑るピーターの声音は楽しげだ。


「どうだい、楽しいだろ!」


「ごめん! 僕は楽しんでる余裕無いよ! うおっ!?」


 半泣きに近い状態だった望月は投げ出された。

 そして、何か柔らかいものに受け止められる。


「おおっ、お?」


 フサフサと手に柔らかな感触、ふとそれを手にしてみる。

 藁だった。


「どいてどいて!」


 声に気付いたその後、ぐぇっ、という踏まれた蛙の様な悲鳴が上がった。


「ごめんごめん、怪我はないかい?」


「だ、大丈夫……」


 ピーターに起こしてもらい、初めて、部屋全体を眺めた望月は「おぉ」という感嘆とした息を吐く。

 こんもりとした藁の小山を中心に、凸凹とした岩肌を背景にぐるりと辺り一面を見やる。放り出された玩具や手作りらしき遊具、そしてベットが数台置かれていた。


「俺とロストボーイ達とで色々作ったんだ。ほらこれ、これなんて特に楽しいぜ」


 そういってピーターが取り出したのは、木剣だった。

 デタラメに繰り出される振りは、ただ空を切るだけなのに、一振りするごとに笑顔が溢れる。


 ピーターも、僕も。



 部屋が揺れて、頭に埃が積もった辺りで望月はピーターの変化に気付く。


「どうしたの?」


「フックが隠れ家の近くに大砲を撃ったみたいだ」


 表情こそ笑っているけど、声は控えめだ。

 地震だと思っていたが、ピーターは区別がついているらしい。


「フックって」


「馬鹿な海賊さ。1度とっちめたんだけど、どうやら懲りてないみたいだ」


 部屋が揺れる。今度は風切り音が加わった。


「懲りてないって、何かしたの?」


「あいつの手を切り落としてワニに食わせた」


 聞くんじゃなかった。

 聞き終えてから思っても仕方ないけど。


 その瞬間を想像してしまい嫌悪感に顔を顰める。それがピーターの機嫌を良くしたのか、どこか誇らしそうに胸を張っている。


「悪い奴を倒すのは正義のヒーローしかいないだろ」


「そして」といって立ち上がり、木剣を高々に掲げ、


「俺こそ正義のヒーロー。今度は右手だけじゃなく左手も切り落としてやる!」


 サッ、と目の前で振り下ろされる剣先。


 無邪気な少年が振り下ろす、内封された冷酷。


「なあ、ゆうやも一緒に戦ってくれよ。会ったばかりだけど、お前がいると凄く嬉しいんだ」


 パンの様に、白い柔らかそうな肉付の手のひらが伸ばされる。


「一緒に行こう」



 一緒に、ピーターと、共に。


 それはとても楽しそうだ。海賊を退治して、宝探しして、毎日木剣をぶつけ合いながら明日は何をして遊ぶか話し合う。

 きっと、そんな毎日が訪れる。


 心が躍るよ。


 でも、そこにきっと、変化は無い。



「ゆうや?」


「ごめんピーター、今は気持ちだけ、気持ちだけ受け取るよ」


 きっとこれが正解で、これから言うのは不正解だろう。


「ピーター、フック船長の所へ謝りに行こう」


「なっ!?」


 今まで纏っていた勝気さが消え、驚きに染まったらしい少年は、口をパクパクと動かし、望月の目を凝視する。


「ピーター。君は正義のヒーローなのかもしれない、君は君の仲間を守った凄いやつだ。でも、どんなことにも超えちゃいけない一線があるんだよ。

 フックがどんな奴で、どれほどの極悪人かなんて分からないけれど、でも、君はきっと、やり過ぎたんだ」


「やり、すぎた……?」


 だらりとぶら下がる幼い腕に、赤みが帯びる。


「やり過ぎただって! そんなことはない! あいつらは散々俺達の仲間を殺してきたんだぞ! 右腕一本が殺された仲間達の命に釣り合うわけないだろ!」


 首に鈍い痛みが走り、手を当てる。ピーターが手にしていた木剣を望月の首に当てたからだ。


 そしてその木剣、地面に転がり落ちている。


 代わりに、ピーターの手には短剣が握られている。


「お前、さては海賊の仲間だろ、ここでやっつけてやる!」


 歯を剥き出して、眼を凝らして、少年が刃を向ける。

 これはきっと、危ない状況というやつで、少しでも動けば刺される違いない。


 でも、この推測通りにはならない。


 なぜなら、ここが、だから。


 「……え?」


「ピーター、ありがとう。僕が俺になる前の物語を見せてくれて」


 ピーターは、過去の僕だ。


 だから、仲間を思う気持ちも、フックを憎く思う気持ちも、よく分かる。


 よく分かるから、もういいよ。


「永遠に同じ役をやらせない。今ここで約束する。僕が夢見た正義のヒーローを、俺が、俺が引き継ぐよ」


 見た目だけの正義じゃなくて、ちゃんと、気持ちが分かるヒーローに。



「ハハ、お前が引き継いでくれるの、それだったら、良いかな。ねえ」


「なに」


「フック船長の所、一緒に行ってくれる?」


「ああ、もちろん」


「そっか、嬉しいよ。こういう時に言う言葉があったよな、何だっけ、え~と……」


 思い出した。


 少年は照れくさそうに言いました。


「ありがとう」


 もう一人の少年は言いました。


「こちらこそ、ありがとう」

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