トラブルメモリー

 高岩と遊んだ日が、2日前だと言うことに信じられない。

 望月はそんな事を思いながら学校への道のりを呑気に歩いていた。


 いや、呑気という訳ではない。



 前日の朝、スマホのアラームで目を覚まし、寝ぼけた眼を擦りながら画面を覗いた。

『今日、あなたの高校で狼少年に遭遇した』


 そんなメッセージが残されていたから、望月は覚醒した脳に危険と織姫の身という単語を過らせて電話を掛けた。


 案じた相手は変わらない事務的な口調で事の状況を説明してくれた。それにホッと胸を撫で下ろす望月だったが、織姫のある一言が今も心を揺さぶっていた。



「俺の身の周りに変化はないか、か……」


 それで思い浮かぶのが、高岩というクラスメイトだった。

 クラスで空気と化している自分に声を掛け、更には友達になりたいと交換日記を申し出た変わった女の子。


 望月の16年という人生において大きな変化をもたらした人物。


 元気で人懐っこくて悪戯好きな少女、高岩 晶。


「でも、高岩さんとあいつじゃ繋がらないか」


 変化はある。けれど、損得で考えるなら得の方が大きい、嬉しい変化だった。

 学校の悪戯書きには驚いたけれど、それも結局は偶然に過ぎない。何より、部活動をしている訳じゃない望月に、休日に学校の悪戯書きを見せるなんて無理な話しである。


「……待てよ」


 望月は立ち止まった。


(なら、なぜ俺は落書きを見れた? )


 もし狼少年の悪戯なら自分に見せる必要がある。それを、休日に仕掛ける必要があったのだろうか……。

 織姫が知らせてくれなければ見ることも……。


「灯明さん……、まさか!?」


 ふと1つの仮説が浮かんだ。


 それは昨日、織姫との話しで聞いていた学校の観察。その習慣を利用して誘きだしたのではないか。


 そこまで考えて、肩の力が抜けた。


「まさか、そんな事ないか」


 望月は名探偵ではない。だから、いくつ推理をたてようと、それが真実に辿り着いているかなど分かるわけもない。


 望月は今日も学校に向かった。


 □■□■□


 いつも通り上履きに履き替え、1年の教室に向けて階段を上る。

 今日は英語の授業があるなと思いながら歩を進める。そして、止まった。


「え?」


 教室の戸、出窓に人が集まっていた。何か嫌な予感がした望月は、すいませんと言いながら生徒の林を掻き分け、それを目撃する。


「はる、の……さん?」


「望月君……、おはよう」


 虚ろな眼をした春野が、無惨な机の前で項垂れていた。


「これは……」


 左側の前側にある机。赤いスプレーの塗料か何かで、バカ、アホ、死ね、という字が大きく書かれていた。


 両膝を床につけて、黙ったままそれを見つめる春野。その机の主は、他ならぬ春野の机。


 心配で駆け寄ろうとすると、望月の目の前に体格の良い男子生徒が現れて、遮られる。


「……お前だろ」


「え……」


「お前なんだろッ! 咲の机をこんな風にやったのはッ!!」


 息が苦しい。


 目の前の人物が望月の胸ぐらを掴んだからだ。


「咲がお前に構い出してからこうなったんだ。先週の発砲騒ぎも、一昨日の落書きも、全部お前のせいだろッ!」


「そんな……やってな――」


「やってないからなんだ! 俺はしっかりと聞いてるんだ。今朝、お前が1度教室ここに来てるってな!」



 なんだよ、それ。1度、来ている?


 望月は半分浮いた足をばたつかせてもがくも、拘束は緩まない。

 必死に腕をどかそうと手首を掴んで引っ張っているが、ビクともしない。


 これが運動部と帰宅部の差か、と、望月は自分の非力さを悔やんだ。


 放心状態の春野、望月の胸ぐらを掴む男子生徒、そして、それを傍観するクラスメイトと野次馬。



 知ってる。とても良く知ってる。


 この先の結末は決まってる。担任か騒ぎを聞き付けた教師が来るまで、こうして胸ぐらを掴まれたままか、殴られるか、だ。


 後者の可能性は高そうだ。だって、目の前の男は、怒りで破裂しそうな程に顔をしかめ、目は血走ってる。

 鋭い声に脳が揺さぶられて、抵抗する気も起きなくなっていった。


 自分の無力さに失望した、なんてことじゃない。


 今も、ただ観客のように傍観を決め込んでいる野次馬と、やられ役を放棄せずに演じ続けている自分の態度に驚いていたからだ。


(あの時から、俺は何も変わってなかったんだな……)


 孤独に慣れれば痛みも消える。そう思ってた。


「おい、何か言えよ」


「何を……」


「オメーがやりましたって、咲に謝れよッ!」


 何を言ってるんだろう、こいつは。俺は何もやってないよ、って、言える訳ないか。


 中学の自分が、男子生徒の隣に立っていた。ように見えた。



 ごめん。

 俺、

 変われなかった。


「謝れって言ってるんだッ!  おいッ!  ふざけてんじゃねぇーぞッ!!」


 揺すられる体でも聞こえる。息を飲む音、女子の金切り声、制止するよう促す声。


 今、目の前の男子生徒が、拳を作って前に突きだそうとしてる。


 やっぱり、殴られるんだね。




 やあ、ピーター、遅かったね。


(……え?)


 声がした。緊迫とした状況に似合わない小鳥のさえずるような子供の声。


 ごめん、ウェンディ達を案内してたんだ。ウェンディ! こっちだ!


 楽しそうな掛け声と、そこに女の子の楽しげな声も加わっていく。


 どこだ、どこなんだ。


 望月は首を回し、楽しげな子供達の声を探した。そして、見つけた。

 男子生徒の拳に、めくれそうなページがあった。


 望月は、好奇心でそのページに指を添え、めくった。



 □■□■□


 暗闇の中、先に意識が戻る。


 ザザッー、という波打つ音。にゃーという猫のような鳴き声。


 あー、これはうみねこだ、なんて音の正体を当てていると、砂を踏む音が望月に近付いていた。


「おい君、大丈夫か?」


「うん、ちょっとボォーっとしちゃったんだ」


「そっか、確かにこんな良い天気には昼寝でもしたいよな。けど、ここはやめた方が良い、フックに狙われるぞ」


 フック? フックって、あの服を掛けるやつのこと。


 少年の朗らかな声に、悪戯っ子特有の語りが混じりだした。


「フックは怖いぞー、なんせ俺たち子供に容赦ないからな。それとインディアン、あいつら俺らを見つけると皮を剥ごうとするんだ。それと、おっかない動物もうようよいるからな、ここら辺」


 聞いていて不安になった。特に、インディアン。

 寝てる最中に顔の皮を剥がれたくはないなと思い、そっと立ち上がる。


 身体中の筋肉を伸ばすようにぐいっと両腕を伸ばした。

 少しだけ眠気が飛び、起こしてくれた少年に振り返り、礼を言った。


「忠告ありがとう。僕も、こんな日に酷い目にあいたくないからさ、素直に従う。僕は望月 友也、君は?」


 差し出した手を、青い服を着た少年が握る。


「俺はピーター。ピーター・パンだ。よろしく」


 2人の少年は、固い握手を交わした。

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