這い寄る忍び足

 それから、体調の悪い春野さんに付き添う形で午前の授業は休み、午後は嫌疑成分多めのクラスの視線を浴びながら授業を受けてその日は終わった。



 「そう、そんなことが」


 「うん」


 いつもの状況報告でマグの中身を口にしながら望月の話しを聞く織姫。


「ついに、動き出したという印象ね」


「……、うん」


 今まで無干渉、では無かっけど、ぐっと距離を縮めてきた印象だった。

 特に、クラスが特定されている。


 織姫の事件はもしかしたらこれと関係するのでは、と首を傾げるが、元々校舎内で遭遇したと言う。関係なんて大ありに決まってる。


 むしろ、問題なのは、


「いつ襲ってくると思いますか」


「分からないわ、でも近い内でしょうね」


 思案顔に緊張を走らせて織姫は宣言した。


 近い内、狼少年が再び目の前に現れる。その時自分は戦えるのだろうか。

 いや、戦わないといけない。あいつは殺すために来たんだ。何があっても戦わないと。


「望月君、そんな顔しなくて良いわ」


「……どんな顔でした」


「迷子になった子犬みたいだった」


「そう、ですか……」


「望月君」


 織姫の声がかけられる、暖かく、心を解すような声。


「私はあなたの護衛。あなたを護るのが私の義務。だから気負わなくて良いのよ。彼が現れても、あなたに傷の1つだって付けさせない」


「灯明さん……」


 凛とした声に内包された意思が心に落ちて溶けていく。


 そうだ、1人じゃないんだ。狼に襲われたあの時だって手を離さなかった心強い人がここにいる。


『イヒヒ、オレチャンもいるからな、ツッキー。せいぜい期待してやがれ』


 「え!! ジャックさん!?」


 突然の声に驚いていると、織姫が嵌めている指輪をとんとんと指先で叩く。

 どうやらこの指輪からジャックの声がするらしい。


『うん、ありがとうジャックさん』


 何となく心で感謝を伝えると、ヒホホ、と喜々とした声が指輪を伝って脳に伝わる。

 と思えば、かぼちゃの指輪が溜息を吐いて、続けて話した。


『おいツッキー、オレチャンにさんとか畏まった言い方はよせよ、一緒に狼を退治した仲だろう。そろそろジャック様とか、ジャック兄さんとか……ん?』


 陽気なお喋りが突然途絶え、数秒の沈黙が訪れる。望月の困惑に異変を感じたのか織姫は手に指輪を通し、落ち着きつつ何度もジャックに声を掛ける。


『ジャック、ジャックどうしたの』


『お嬢、来てるぜ』


『何が』


 ヒホホ、軽口に挟まれる笑い声に、ずしりと重みが乗っていた。


 とても、嫌な予感だ。


『狼少年の使い魔』


「ッ!!」


「望月君ッ!」


 驚く望月に対し、織姫は近付き辺りを警戒する。

 まさか家まで特定されたのか! 今後の心配は今だけ隅に追いやり、来たる襲撃に備える。

 しかし、ジャックからは、


『……いなくなりやがった』


『どういうこと』


『オレっちに聞かれても分かんねぇーよ』


『どこにいたの』


 織姫の問いにジャックが答え、望月達は恐る恐るそこへ向かった。


「……本当にここへ?」


「そうらしいわ」


 玄関だった。


 てっきり御伽世界から家の中へ侵入するものと思っていた望月だが、今になってそれが無理なことを思い出す。


 どことどこが繋がってるかなんて分からないからだ。


 もっとも、窓を打ち破って入られる可能性は十分にあった。


「あいつは」


「見ての通りよ」


 いなかった、どこにも。


 灯りはいつもの玄関を照らすのみで、特に異変などもなく、ジャックの知らせがない限り普段通りだ。


『ジャックさん、本当に狼少年が』


『狼少年の使い魔な。オレっちに創作者ストーリーテラーを感知する力なんてねぇーよ、オレチャンが感知出来るのはオレチャンに近しい者だけ。だから、今ここにあいつの使い魔が現れたのは間違えねぇーよ』


 ヒホホ、といつもの笑い声を添えて。


「望月君、今は落ち着いて調べる時よ。彼がわざわざ使い魔を寄越したのなら、必ず何かあるわ」


 そう言って、織姫は玄関付近を調べる。


 そうだ。自分に出来ることは調べることだ。織姫に習うようにして見ていない箇所を手探りで調べる。


 けれど、


「……ないわね」


 何もなかった。


 何か埋められたり、落ちてたり、そんなものは1つも無かった。


『ヒホホ! もっと単純かもしれないぜ。例えばポストに入れたとかな』


『そんな悠長なことするわけ――』


「……あった」


 織姫が目を見開き、頭には『ほらな!』というかぼちゃのはしゃぐ声が響く。


 でも、何故これが。


「望月君?」


「……」


 信じなければならないのか。


「望月君、どうしたの」


 織姫が心配して駆け寄る。すると、織姫は望月の手にあるものを見て1度考え込み、それが何なのか思い出した。


「交換日記」


「くっ!」


 実は高岩さんが来て、交換日記を早めに渡したんだと思いたい。家も住所も教えてないけど、たまたま見かけて、たまたま書いた日記を投函した。そんな偶然を信じたい。

 相変わらず電話番号も交換してなくて、それを今になって後悔する。

 安否の確認も出来ないなんて。


 今すぐにでも、普段のあの明るい調子で、立ち寄ったからポストに入れちゃったとか、そう言われたい。


 パラリと織姫が日記をめくる。


 小恥ずかしいような出来事が赤裸々に書いてある日記。でも、今は恥ずかしいよりも何か新しい発見が無いかと内心祈るのみで。


 慎重に捲られるページ1枚一枚がただただ気になった。


「……、望月君」


「何か! 何か分かったんですかッ!?」


 か細い両肩に手を乗せる。


「早く、早く教えて下さい!」


 このあとの事を考えると、この時の自分はあまりにも楽観的だったと思う。

 いや、このあとじゃなくても、織姫の両肩に手を置いた瞬間にだって分かったことだ。


 彼女の深刻そうな顔に、救いが見える訳ないのに。


「悪い知らせよ。あなたのクラスメイトである春野 咲さんだけど――」


 耳を塞ぐ事が出来なかった。目を閉じることが出来なかった。


 信じる事が、出来なかった。


「狼少年に、捕まってしまった」


 

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