垂らす狂気

「こっちです!」


 望月と織姫は走っていた。日は沈み、街灯に光りが灯り初める。

 夜闇を切り裂くように駆け足で日記に書かれた目的地へと向かう。



 日記には、望月と高岩ともう1人の字が書かれていて、それは最後のページにこう書かれていた。


 『春野 咲は捕えた。返して欲しければ君の通う高校の体育館に来てよ。じゃあ、また後で』


 友達と遊ぶ約束をするかのような文章に、春野と知っている人物の名前が載っていた。


 敵の罠、なんて考える暇は無い。もし本当に捕まってるとしたら春野の命を危険にさらしていることになるから。


 見知った高校のジャージを着た集団をいくつか横切る。

 この道を全力疾走する時はいつも嫌な事だらけ、今回だって、春野さんや高岩さんが危険なのに、この通学路は邪魔するみたいに延々と続く。


「望月君、少しペースを落としなさい。でないと疲労で動けなくなるわよ」


「そんな悠長なこと言ってる場合ですか! 1秒だって無駄に出来ない! すぐにでも行かないと」


 日記を持った手に知らずしらずに力が入る。


 走りながら思い出す。


 そうだ、空を飛べたんだ。空を飛べば走るより早く着く。


 思い立ち、ピーターパンの軽やかに空を舞う姿を思い描く。足がゆっくりと浮かび上がる。


「ッ! 君、まさか」


「先に行ってますッ!」


「だめよっ!」


 浮かび上がった望月の足に織姫が抱きつく形で抑え込む。

 瞬間的に振り払おうと足をじたばたするが、織姫はどこうとしない。


「何で止めるんですか!」


「こんなところで物語ストーリーを使っちゃだめよ! 今はその時じゃないわ!」


「じゃあいつ使えば良いんですかッ!」


 教えてくれ。


 友達になってくれた春野さんといつも接してくれる高岩さん、両方を救う方法を。


 教えてくれ。


 地へと沈む身体は、不安という鉛を残して重くなる。


「泣かない。今はその時じゃないわ」


「だって……どうすれば」


 いつものクールフェイス、いつもの抑揚のない口調。

 いつだってこの人は落ち着いてる。あの時だって、混乱する自分を冷静に対応して助けてくれた。

 今もきっと、春野さんと高岩さんを助ける作戦を練ってるんだ。


 分かってる、分かってるんだ。頭では分かってる。


 でも!


「望月君ッ!」


「ごめんなさい! でも今は――」


 腕を振り足を上げる。


 振り出した右腕が光った。


「うっ――」


 明度をでたらめに上げたそれは、閃光花火のように弱々しく灯り、最後に己の存在を主張する。


 嘲笑うかぼちゃの指輪。


『ヒホホ、おいツッキー、お嬢の言うこと聞いておこうぜ』


 慣れたもので、諭すような嘲り笑う声が脳内に響いても驚かない。


 普段のお調子者から一歩引いた様な物腰に、望月は知らないふりをして前へ歩む。


『お嬢に歯向かうと追々怖いぜ。このパンプキンだって歯向かったりしない』


 知ってる。後で説教をたくさん受けるつもりだ。


『そうですか』


『おいおい、聞き流すなよ。これはツッキーのためにも言ってるんだぜ』


 分かってる。こうして声を掛けられるときはいつも世話になってるから。


『そうですか……』


『ツッキー、おめぇーは嬢ちゃん2人を救えない』


 痺れを切らした様に、無常な言葉は放つでもなく頭へと流れ込む。


 歩の止まる足を見ているのかさえ分からない、けれど、ほぼ止まったと同時に脳へ低声が垂れる。


『ツッキー、おめぇーは1人で何とか出来るなんて思っちゃいねぇー、そうだろ? 焦って暗がりの道を突っ走るような事をおめぇーしない。いつだってランタンに火を灯して、闇を払って進む奴だ』


『……何が言いたいんですか』


 半分は本当に何を言ってるのか分からない。けど、ジャックの言う灯りというのが何となく分かる。


『オレチャンにこれ以上言わせるなよ、恥ずかしくって頭がパンプキンパイになっちまう。良いかツッキー、闇は照らすもんだ。闇を照らすためのランタンはもう側にあるだろ』


 闇を照らすランタン。


 ふと、後ろへ振り返る。


 灯明さん。


「ジャックにしてはまともな説得ね。素敵よ」


 フン、と鼻を曲げた少年の様な音を最後に指輪は本来の役へと戻った。


「望月君、気持ちは分かるわ。あなたが心配する気持ち、よく分かる」


 相変わらずの無表情、でも、気のせいか微かに唇が震えたように見える。


「良い、君の友達を救うには、私や君、どっちか1人じゃ無理なの。あなたの空を望む物語と、私の物語、この2つがあれば安全に彼から救いだせるわ」


 そう言って、織姫が手を差し出す。


 これは……。


「えっと、何ですか、これ」


「握手よ、指切りの方が良かったかしら?」


 彼女なりの約束、という意思表示らしい。


 手を差出し、握る。



 柔らかく、痛く、そして暖かい。


「誓うわ、君と、君の友達を守る。それが私の……物語ストーリー


 心の底で何かが疼いた。不快とかではなく、もっと別の、暖かみのある、誰かに背中を撫でてもらった時のような安心感。


「灯明さん、改めてお願いします。一緒に、春野さんと高岩を助けに行ってください」


「ええ、もちろんよ」


 意思の強さが、結んだ手から伝わった。


□■□■□



 夜の学校は朝とは別の雰囲気に包まれていた。

 こうして夜の学校を前にすると、朝の賑やかさとは反対にお通夜のような静まり返った学校が変に目に焼き付く。


 もっとも、夜に学校へ行こうなんて普段から思わないけど。


「こっちよ」


 織姫が先導する。


 何故自分よりも道順に詳しいのか尋ねたい気持ちをぐっと堪え、目的の場所に着いた。


 朝は体育系の部活動が行われ、シューズの床を踏みしめる音が頻繁に鳴る場所。

 部員同士が声を掛け合って授業以外静まることのない場所。


 でも今は。


「ここに、春野さんと高岩さんが……」


「彼も、ね」


 彼、織姫が示すのは狼少年。


 クツクツと笑う、狂気を纏う少年。


「……」


 今だに彼の事が分からない。あの時何故背中を撃たなかったのか、何故今になって襲うのか、それを今考えても仕方ない。



 何より、殺そうとする存在を理解しようなんて、思わない。


「やっぱり開いてるわね」


 分厚い扉が少しだけ空く。


 中から埃の匂いと乾いた空気が流れる。


 望月と織姫は互いに視線で合図し、扉の奥へと侵入する。


 入った瞬間に襲われるのでは、と思ったけど、扉を開けて中央に視線を送った時にそれは打ち消された。


「やあ、やっと来たね。待ちくたびれちゃった」


 舞台に寝転び両手を頭の後ろに回してくつろぐ狼少年が、そこにいた。

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