森にご用心

 翌日の土曜日、週休2日制が適用されている望月の学校は休みだった。


 特にアルバイトをしている訳ではない望月は休日というものを趣味で時間を消費する男だ。

 けれどこの日の望月は起きるなりTシャツとチノパンに着替え、ジャージの入った袋等を持って居間に向かい、簡単な軽食を口にして行ってきますと誰もいない家に言葉を放って飛び出した。


 御伽世界への行き方はいたって簡単である。それは長方形であればなんでも入り口になるということ。それを本のページのように指を添えて念じて捲れば扉が開くのだ。


 つまり早い話し、玄関や扉、引き戸何かの元々人が出入りを想定した物から御伽世界へ直行できる。しかしある欠点があった。それは御伽世界のどこに足を踏み入れるのか分からないというところだ。

 逆に御伽世界から現実に戻るときは通った扉からしか帰れない。

 なので大勢人がいるところや、頻繁に出入りしている扉などからは向かうことが出来ない。


 なので、あるところに向かった。


 望月はサッと辺りを見渡し、以前織姫が作った扉の前に立っていた。当然この先に出向くのだが、望月は肩に下げているバックとは別にジャージが入った袋に手をつける。誰もいないことを確認しつつ望月はジャージを身に纏った。


「……っ!」


 本のページを想像しつつ端を摘まもうとした瞬間、望月は振り返った。


 狼少年に襲われてから警戒心を高めているものの、いざ視線の先を追えばそれは同じ高校の生徒や通りすがる人の視線ばかりだった。

 けれどここは橋の下、こんな所に出向く物好きはそう多くはない。

 ジィーッと観察するも、支柱の反対には川が流れているだけで特に何も変わらない。



 肩透かしにあった気分の望月は、瞬時に頭を切り替えて扉を捲った。



 □■□■□



「ようツッキー、待ってたぜ」


 陽気に話し掛けるジャックが、御伽世界に足を踏み入れた望月を迎えた。


「おはようございます。あの人形は?」


「もうとっくに働いてるぜ。ヒヒッ、働くことの何が楽しいのかカボチャ頭のオレっちには分からないぜ」


 そういって両手の平を天に向けてやれやれと首を振る。

 確かにジャックが真面目に働いて楽しんでいる姿は想像しづらいと望月は苦笑を交えながら思った。


「さて、バーバ・ヤーガの魔女婆さんの世話はあのおチビが焼いてる、オレチャン達は狼退治に行こうぜ」


 そういってジャックは浮かんだ体を森のある方角へくるりと転回させ浮動する。


 それを慌てた様子で望月が止めた。


「ちょ、ちょっと待って。簡単に言うけどさ、準備とか全然してないよ」


「うん。だってする必要ねぇーからな」


 あっけからんと答えるジャックを不安げな眼差しで見つめる望月。

 例えるなら、山を登るのにコンパスや地図を持たずに入山する心境に近い。


 そんな開拓者気取りのジャックを抑えつつ望月は更に問い詰めた。


「もし俺が迷子になったり、1人で狼とばったり会ったらどうするんですか」


「イヒヒ。なんだそんなことを気にしてんのか。そうだな……、ツッキー、その指輪を適当に空へ向けてみろ」


 突然の指示に戸惑った様子で応え、何となく指輪を着けた右手を空にかざす。


 1度、拳にしろと注文が入り、広げた手を固く握る。拳を掲げる英雄みたいな格好になり気恥ずかしさで吹いてしまう。


「よし、オレっちの名前を叫んでみろ」


「え……」


「なんだ? オレチャンのことが嫌いか? まあとにかく騙されたと思って叫んでみろよ」


 半ばおちゃらけ気味でジャックが指示を出す。

 望月はふと、ジャックにからかわれてるのではないかと疑問を持つが、とにかく指示通りにしようと気恥ずかしさを押し留める。


「ジャックっ!」


 突然、右手の人差し指に嵌めた指輪がオレンジがかった色を帯始め、それが球体を形成した瞬間火の玉となって指輪から発射された。


「うおっ!?」


 突然の火球に一歩退く。火球はしっかり直線を描いて空に飛び、カボチャみたいなオレンジ色の火花が弾けた。


 この現象に目を白黒にする望月を、ジャックはどこか嫌な笑みを見せて近付いた。


「オレっち本体の出す炎程度ではないにせよ。これだけあれば十分だろ」


 どこかしたり顔をカボチャマスクの奥から漂わせる。

 確かにこれなら安心だ。腹立つけど。


「それで、狼は今どこにいるのか分かるんですか」


「納屋の近く。この狼どうも調子の良い奴みたいでさ、納屋の近くの木にたくさん毛を引っ掻けてやがった。全く警戒心のないやつだぜ。納屋へ続く獣道もずいぶん使い回してるみたいだぜ」


 それは確かに調子が良いかも知れない。野生の生き物にしては警戒心というのがまるで皆無だ。


「……ん?」


 そこでふと、望月は疑問を浮かべた。そもそもここは御伽世界、というのが存在しているのだろうか。陽気なカボチャに臼に乗った魔女、働き者の人形とこれまでこの世界で出会った者達は普通とは限りなく離れた存在だった。


「ん? どうした神妙な顔しやがって」


「いや、あの……狼もエピローグだったりするんですか」


「ああ、当たり前だろ」


 望月の疑問をさらっと答えたジャックは、むしろそれがどうかしたかと首を傾げ、1人納得したようで手の平に拳をポンと叩いた。



「あー、狼にも能力があると思ってるのか、フヒヒ、その心配はいらないぜ」


 と、どこか自信ありげに言うジャック。同じエピローグだからこそ分かる何かがあるのだろうか。


「何で、どうして分かるんですか」


「まあまあ、全部話したら面白くねぇだろ。さあ、さっさと狩場パーティーへ行こうぜ! ヒホホ!」



 そうして望月は浮かれた(2重の意味で)ジャックに背中を押されながら森へと向かった。



 □■□■□



 森はとても薄暗く、太陽と月が同時に存在する御伽世界を針葉樹が己の刺で侵入を拒み、冷たい空気だけを通しているように感じられた。

 地面からは腰まで伸びる草がひしめきあっているものの、毛嫌いするように日の当たる箇所には不思議と存在していない。


 ジャックの放つ光がボーッと霞んで見え、ゆらゆら動くその様を遠目で見たものは人魂と勘違いするだろう、と望月は全体に気を張りつつ思っていた。


「ツッキー、何か見つけたらオレっちに遠慮なく言えよ。即座に火の玉飛ばしてやるからよ!」


「ここで飛ばしたら火事になるんじゃ……」


 火事どころか森一帯が燃える規模になるだろう、と想像し、森の中心にいる魔女が怒り狂って自分達に杵を何度も突く姿を思い浮かべてしまった。


 最近嫌な想像ばかりだ。たまには良いことを思いだそう。


 そう思い立ち、最近の思い出を振り返った。


 クラスで有名な春野さんと弁当を食べた。星の大群を観察した。


 見知らぬ少女に助けられた。


 突然風のように現れ、自分の事を知らない少女が腕を引っ張って狼から引き離した。何となく堅物だけど、常に心配して自分の身を案じてくれた。何も知らず、右も左も分からない世界に突然足を踏み入れた自分に、最初に手を差し伸ばしてくれた存在。


 ふと、胸の奥で何かが湧き上がる。


 会いたいような、話したいような。そんな曖昧に感情に、通せんぼうするようにとある記憶が甦る。


『好きにすれば良いわ。私は協力しない。あなたたち2人で頑張って来なさい』


 そういって望月の前から去る織姫。


 思えばその日以来顔を会わせていない。


 望月は織姫の事が気になってジャックへ声を掛ける。けれど返事はない。


「ジャックさん? ジャックさん!」


 ふと気付けば、派手な格好をしたジャックがいなくなっていた。慌てて周りを見回すと、望月の腰ぐらいある背丈の草が揺れた。


 それを見た望月は安堵し近付いた。


 だから気が付いた。


「……ッ!?」


 それは、肉に食らい付く狼だった。

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