ハント トゥ ウルフ
漆黒の闇を切り取ったような黒毛、研磨し獲物を仕留めてきたであろう白い牙。顔の大きさに反して小さい目は淡い青色の虹彩に縁取られるようにして瞳孔が開いている。
「あっ……あ……」
身を引く。狼はこちらに1度視線をやるが、どうでもいいという感じで食らいついてる獲物に牙を通す。
見るとそれは干された肉で、バーバ・ヤーガの納屋で見かけた肉に酷似している。
こいつだ。
望月は震える手に神経を通すように拳を握る。
犯人は納屋の備蓄に味を占めた狼で、今目の前にいるのがきっと目当ての狼。
しかし望月の体は素直に言うことを聞いてはくれない。
ただ目の前に拳を突き出すだけの動作がやたらと遅く、身体のあちこちに鎖や重り等を巻き付けたように鈍足になっている。
まだ狼に襲われないのがむしろ不思議なぐらいだった。
「……やらなきゃ、やらないと!」
不気味なカボチャの指輪が急かすように嘲笑う。俺を狼に向けてジャックと祈れば終わる、簡単だろ? とでも言っているように。
でも現実は願ったようにはいかない。重油を垂れ流した様な森の暗黒で何かが蠢く。
呼吸する度に息が辛くなる。空気に微生物程のガラス片が混じっていて、それが肺に突き刺さっていくようで痛みだけが謙虚に存在を主張する。
とうとう、それともやはりというべきか、狼は食べ尽くした肉の残り片が付いた地べたと出っ張った口の回りを丁寧に舐めとる。
満足いったという風に顔を前脚で拭くと、まだいたのかと視線を望月へ向けた。
狼はその場からゆっくりと望月のいる方へ鼻面を向けて歩き出す。
枯れ葉のような耳を畳み。唾液混じりの舌を垂らす。
獲物だ。そんな風に顎を下ろした。
バチッ。と小枝が折れる。
それが合図だったかのように望月は走り出し、狼は獲物を仕留めるために駆け出す。
「はぁ……はぁ!……」
立ち塞がる樹木を避け、名も知れぬ花を踏み潰し、荒れた大地を踏みつけ身体を前進させる。
しかし森は望月の絶体絶命を楽しむように悪戯をする。木々は枝先をでたらめな方角へ揺らし、足元にある草の群生は
なぜ、何で。
冷や汗を流しながら周囲を確認するが、いつも冗談ばかり言うカボチャ頭はどこにもいない。
狼は低く唸り声を上げる。早く諦めて喰われろと言っているように威嚇する。爛々と輝く瞳が森の怪異のようで不気味だ。
凹凸に足を取られ、枝先に顔を覆われる。それらを払いのけては意地の悪い森はさらに望月に試練を与える。
急な勾配を足掻くように登り、まきびしでも撒いたかのような石ころの道を痛みを堪えて踏み進む。
しかし望月の抵抗は報われない。
貪欲な狼は飽きもせずに望月目掛けて追いかけるのだ。
嫌だ! 死にたくない!
何度目かの樹木の柱を突き飛ばすように押し退け、腐食の進む葉だまりを蹴飛ばし、いつ助かるか分からない鬼ごっこを続ける。
そして、樹木の大群がプツリとなくなり、ある開けた場所へと到着する。
「ここ、は……」
息も絶え絶えの望月は朦朧とする意識を奮い立たせて現実へと目を向ける。
嫌な光景だった。
視界一杯に広がるのは、断絶する崖と眼下の大地。
体感にしてビルの10階程に位置する高度。本能が危機を感じて一歩足を退かせる。
進むべき道がこれ以上無い。
ザザッ。木葉が擦れ合う音。振り向くと、狼がいた。
「……くっ!」
突然のことに頭が回らず自然とそちらへ身体を転回した。
後悔する。
この行動によって望月は狼を正面に向かえ、背後に崖を挟んでしまう結果になったからだ。
狼は荒い息を吐きながら、勝利を確信してにじり寄ってくる。
対して望月は思い出したかのようにカボチャの指輪を突き出す。それに一瞬警戒を示すも、低い姿勢、さらに頭を伏せて隙を伺い始める。
睨み合う拮抗した状況。重くのし掛かる疲労が腕を下ろそうとする。
いまだ早鐘を打つ心臓は全身の血流を沸騰させんと血管の収縮と膨張を幾度と繰り返す。
「どうすれば……」
攻撃を外したら後がない。狼の牙によって蹂躙される未来が決定される。
望月は必死に頭を働かせた。そして、思い出した。
助かる方法が、1つだけある。
それは、ピーターパンの能力を使うことだ。
けれど、使えるだろうか。この土壇場で。
狼が大きく前身を屈める。
指輪の攻撃が当たらなければ、狼の餌食になる。
狼が地を蹴り宙を舞う。
どうすれば……。
そんなの、決まっている。
「ジャックっ!!」
火の玉が形成され放たれる。
狼の前左脚に当たり毛と皮を燃やす、だが勢いは止まらない。
望月は振り返り、目指した。
地平線の無い大空へ。
「ピーターパンっッッ!!」
胸の奥がざわめき、自由落下する望月の前に青い本が実体を持たずして現れ、開かれた。
★☆★☆★
友の待つ家に着くと、放たれた出窓に足を降ろして少年は故郷であるネバーランドの冒険譚を話しました。
その1つは狼との追いかけっこ、彼がまだ上手く飛べないときに狼が襲いかかってきたのです。しかしピーターは言いました。怖くなんて無いさ、だってボクは飛べるんだから……。
友は暖かい拍手をピーターに送り、その手を取りました。
行こう、○○! ネバーランドへ!
★☆★☆★
「……えっ、お! うおおっ!」
とある物語が終わると、望月の目の前には信じられない光景が広がっていた。
「俺……飛んでるッ!」
崖から覗いた大地が、今、宙に身を預ける望月の目の前に広がる。木も、動物も、空を飛ぶ鳥さえ眼下に広がっている。
スカイダイビングに近い景色だが、それと決定的に違うのは、望月が望む方向へと飛ぶことだ。前へ傾けば前進し、後ろへ傾けば後退する。
風と一体になったような高揚感と空を飛び回れる自由感が望月の心を晴らしていく。
望めばどこまでも飛んで行ける、きっとどこまでも……。
そう確信し、望月は空に向かって手を伸ばした。
その際カボチャ顔の指輪が目に入り、今までの記憶を想起させる。
「狼は?」
ふと後ろを見やる。
そこには落下していく火だるまが森へと消える光景があった。
慌てて火だるまの消えた箇所へ飛んだ。
□■□■□
「ふぅー、間一髪だったな」
「ええ、そうね」
「なあ、ところで何でオレっちを呼んだんだ? お嬢」
ジャックは不思議そうに首を傾げて見せた。
今、織姫とジャックは空を嬉々として飛び回る少年を見て会話を交えていた。
「理由なら、彼の能力を開花させるためよ。
織姫は鉄仮面を被ったように表情が変わらない。望月の絶体絶命な状況にさえ、腕を組んで静観を決め込んでいたのだ。
「ふ~ん、そうかい。にしても、狼を見つけた瞬間に、『望月君の側から離れて』って言われた時は驚いて中身を溢しそうになったぜ、まあ、中身なんてくりぬかれてねえんだけどよ」
くだらない冗談に言った本人が腹を抱えて笑い出す。
別に良い。ただ能力を発現してくれさえすればそれで良いんだ。
織姫はその場でくるりと回転し、来た道を辿り始める。
するとジャックはいつも通り笑みを口の端に刻みだした。
「じゃあ、オレチャンはツッキーのところに戻るわ」
「ええ、お願いね」
「お嬢」
「何かしら、私は2人が依頼をこなすまで現れる気はないのよ」
「手、震えてるぜ」
ふと組んでる手を見下ろす。迷子になった子供のように震えていた。
「……無理すんなよ」
「無理なんか、してない」
少年がいた崖に能力の痕跡を残して、織姫は去った。
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