ある日鳥は、翼で空を打ち、羽で風を捕らえる。
おはようが教室内を埋めて、いつものように退屈なホームルームが迫っていた。
当然話す相手などいないので、唯一の相手である文庫本を取り出し、栞を摘まんだ。
「おはよう」
「うひっ!? あ、春野さん」
「そんなに驚かすつもりなかったんだけど、なんかごめんね」
ポリポリとこめかみ辺りを人差し指で掻いて苦笑している春野。
自分もこんな大袈裟な驚きかたをするつもりはなかったんだけど、どうも人に挨拶されることに免疫がなくなったようだ。
そんな悲しい事実を無理矢理心に押し込んで、忘れかけていた挨拶を口にした。
「お、おはよう」
「うん!」
嬉しそうなその笑顔を見た望月は思い出したかのように笑顔を作った。
そうだ、こうやって笑うんだよな。なんで今まで忘れてたんだろう。
それは小学生の頃、ただ過る集団全員に挨拶をしていた時だった。友達やそうでない人にもただ夢中に挨拶をしていたっけ。
「望月君って、笑うと可愛いんだね」
「そこは格好いいが良いかな」
「そっか、そうだね」
あはは、と笑い合った。
笑い合った?
自分はこんなにもほぼ初対面の相手と笑い合える人間だったか? いや、まずあんな風に冗談を言えたか、いやそれよりも、俺はいつからあんな風に素直に笑える人間になったんだ?
望月にとっての孤独主義とは、誰とも仲を深め合わないことだった。
上っ面を固め、決して深くは潜らない、そんな関係を望んでいた。
けれど今のは、むしろその反対、仲良くなろうとしていた。
昨日、春野さんと仲良くなりたいと思いはしたけど、でも、仲良くした先で待っているのなんて……。
そこで、キンコーンとチャイムが教室内で鳴り響いた。春野は「また後でね」といって自分の席に向かっていった。
そんな背中を見送りつつ、自分の心にある名残惜しさに望月は疑問を感じていた。
□■□■□■
それは授業中の時、教師がチョークで黒板に文字を書く中、望月はそっと昨日の出来事を思い返しながらノートの端にメモを取っていた。
流れ星が降った昨日、部屋に向かって隕石が降ってきたこと、そして、謎の本を手にしたこと。
昨日、春野さんと仲良くなりたいと自分は願った。あの瞬間までは確かに現実だった。
そっと窓辺の席にいる春野を見た。唯一声を掛けてくれるクラスメイト。
人気者でありながら分け隔てなく色んな人に声を掛けるところも、きっと人気の理由なのだろう。
だからかな、と望月はぼそっと呟いた。
友達になりたい。その気持ちは確かにある。
けど、今朝の自分に関しては全く分からなかった。
なぜ自分はあんな風に笑えたのか、あんな風に冗談を言えたのか。挨拶を返すのが精一杯だった望月はその二文にクエスチョンマークを濃く書いた。
普通に考えれば、仲良くなりたいと思う気持ちから起きた行動と捉えることが出来る。しかし、望月にとって問題なのが、懐かしいと感じたことだった。
言うのも辛いけれど、本当に挨拶を正面向き合ってしたのは久しぶりだった。けど、それとは違うもっと深い懐かしさがそこにあったんだ。
そう、まるで何十年ぶりにあった幼馴染のような……。
いや、まさかな……。
ナイナイと春野さん幼馴染説の一文を跡形もないよう消しゴムで消しさった。
そうなると次に気になるのは……。
隕石、流れ星、本。どれも夢に出てきたことだ。
夢占いなどで前の2つは調べた。不幸なアクシデントの予兆やら突然の変化の前触れなど、ネガティブ思考を大いに刺激する単語だった。
そして、というより最大の謎。
その流れ星が本になり、読んだ瞬間消えてなくなることだった。
夢なんだから謎なんて無いようなものだけど、どういうわけか、本の重さ、質感、表紙、文に使われた乾いたインクのことさえ鮮明に思い出せた。あの夜空を飛ぶ青い服の少年も、あの変な文さえも。
やあ、ピーターパン。
そう、まるで語り掛けるような文章だった。そこから光出して、忽然と消えたのだ。
望月はそっとペンを持つ方の手を止めた。
そういえば、あの本には続きがあった。
やあ、ピーターパンに続く物語とは一体……
「……っ!?」
突然、体の奥で何かが揺さぶられたかのような感覚が走った。
雷に打たれたような、神経に細い針が通されたような、そんな錯覚に目を閉じると、
あれは!
暗い空間の中に、昨日夢で見た光を放つ本を目撃した。
けれど、昨日と違って光を放ってはなく、本来の表紙の色であろう、孔雀の青い羽のような色が鮮やかであった。
タイトルは変わらずピーターパン、開こうと腕を伸ばすと、勝手にページが開かれ昨日見た夜空を舞う少年の絵が目に入った。けれど、一つ違うものがあった。
少年は星降る夜に祈りました、大切な友のために続く空の橋と、それを信じる心を。
まっすぐ飛び立つ彼は、星の光に包まれて友の元へと向かいました。
星の光……。
「まさか、あれが!?」
机を叩いて飛び起きた望月をクラスメイトと初老の教師が一斉に視線を浴びせた。
数秒の沈黙の後、教師は粉だらけの手で眼鏡をかけ直すと望月の名前を呼んだ。
「望月君、具合でも悪いのかな?」
その問い掛けに数秒遅れて、望月はようやく自分の状況に気がついた。
孤独に慣れすぎたためか皆の視線が鋭い刃物のように痛かった、しかもその中に春野さんまでいる。
「あ、はい、ちょっと体調崩した見たいで、今日はもう早退します」
体を大切にね、と言って教師はゆっくりと黒板に向き直り授業を再開した。
クラスメイトの視線も望月からノートへ移るが、その際クスクスとあからさまな程の笑い声が聞こえた。
それが凄く恥ずかしくなった望月はそそくさと教科書を鞄にしまって教室を後にした。
「くそ、何だったんだあれ」
妄想というには現実味がありすぎて、現実というにはあまりに幻想的だった。
何よりあの惹き付けられる感覚に、望月は恐怖を覚えてゾッとした。まるで別の世界に引きずられるかのような神経の逆撫でが、現実であることを証明しているようだった。
でもそれなら、
「それなら、ピーターパンみたいに空の1つでも飛んでみたいよ」
足早に帰路を進む足が突然無機物を踏みしめる実感を失った。代わりに感じたのは、浮遊感。
「え?」
体の全てが浮いた、足の爪先から髪の毛先まで全て。そんな望月を地に下ろそうとする鞄の重さが逆に現実的だった。
「え? ……うおっ!?」
怖い、降りたいそう思った刹那、体が万有引力の法則を思い出したように地面へと降り立った。浮いたと言っても5センチ程あるかないかぐらいだったため、尻餅を着く程度で済んだ。
「なんだ、今の。浮いたのか?」
自分の体に起きた現象に理解が及ばずにいると、どこからか乾いた拍手の音が鳴った。
「みぃ~っつ~けた。こんな風に簡単に見つかるなら、仕事も楽なんだけどな」
「……君は?」
「俺かい? 強いて言うなら……狼少年、かな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます