オーバチュア(序曲)

 望月の目線の先には大きな樹が存在した。けれどそれは樹と言うには歪で、幹に関しては蔦のような物がぐるぐると、とぐろをまいた蛇のような姿だ。更にそれを樹と証明するには天を貫くあの先端を追わなければいけない。


「ヒヒヒ、あれが気になるか? あれはな、元は小さな豆だったんだぜ」


 カボチャの頭を模した帽子の様な物で顔半分を覆うジャックが、ゆらゆらと仄かな光を放つ腕輪を付けた右手を揺らしてそう言った。


「え? それってまるでジャックと豆の木」


「それだけじゃない、この更に向こうには海があって人魚どもの国があったり、その辺をうろちょろしてれば黄色レンガの道があったり、そんでそれを辿ればエメラルドの都にだってありつけるぜ」


「人魚姫にオズの魔法使い!」


 どれも名の知れた名作ばかりだった。知ってる童話のタイトルが出る度に望月はヒーローを見た少年のように興奮していった。


 そんな望月を宥めるように織姫はそれよりと言って話しに割って入る。


「体の調子はどう、さっき胸辺りを抑えているように見えたけれど、もう平気?」


 言われて胸辺りを擦る。


 特に何ともない。


「どうやら大丈夫そうね、ホッとしたわ」


 と口では言っているものの、表情は変わっておらず、本当にホッとしてるのか伺えない。


 織姫は一度目を閉じると、そうかからない間隔で瞼を上げた。

 気のせいか狼に追いかけられている時よりも真剣味が増したように見える。


「ここは御伽世界、ジャックや私達の中にある本の故郷よ。この世界がいつ生まれたのかは分からないけれど、少なくともつい最近出来たというのは無いわね」


「ちょ、ちょっと待って、ってどういうこと?」


 そういえば何度か耳にしていた。しかしそれじゃあまるで……。


「文字通りよ、私達創作者ストーリーテラーは体の中にストーリーを宿しているわ」


 衝撃的な内容をさらりと発言するクールな少女に対して望月は目を点にしていた。


 体の中に本……?


「あなたは、どういう経緯でその本と出会ったかは知らないけれど、手にとって開いた。そして読んだはずよ。物語の序章を」


 そう言われて記憶を思い返した。両手を広げ、星の夜空を泳ぐ青い服の少年を。


「た、確かに読んだよ。最初は夢だと思ってたけど、この世界やあの狼を夢として片付けるにはもう色々と限界があるよね。でも読んだからって特に問題はないだろ?」


「あるわ」


 きっぱりと織姫は断言する。


 気のせいか苦い表情をうっすら浮かべている気がする。

 けれど、先程と同じように仮面を付けているみたいに表情に変化は表れていない。


「物語は、どういうわけか特定の人物に惹かれる様にして現れるの。そしてその物語が人物に憑依するとその物語の主人公の特徴や癖等が本人の意志とは関係なく表れるの」



「特徴や癖……あっ」


「どうやら、思い当たる節があるようね」


 言われて見ると、今朝、春野さんと話す時自分でも信じられないくらい気持ちに正直にいられた気がする。


 最初こそ何か気の間違いと思っていたが、何か胸の辺りでざわついたような。


 何かに指を掠める感覚を何度も味わうが、それを意識の元へと手繰り寄せれないことに歯がゆい気持ちを望月は抱いた。


「で、でもそれって制御出来ますよね」


「ええ、まあね……」


 織姫は珍しく歯切れの悪い返答をした。


 その様子に少し心配する望月だったが、そして、と織姫が涼しい顔で話を切り替えた。


「そして、創作者ストーリーテラーは自分に宿った物語を行使することが可能なの。ジャック、お願い」


 言われたカボチャ頭のジャックは、空に向かって右腕をかざす。すると淡く光っていた腕輪が熱を帯びた様にどんどん赤くなっていき、大きい火球を作り出した。


「ヒィーホォー!」


 謎の掛け声と共に腕輪の熱が空へ飛び、放射状に火の玉を飛び散らせた。


 花火のようにきれいだったが、色の抜かれたような殺風景な空ではその美しさは儚さの方が勝って寂しく思えた。


「こんな風にね。あり得ないけど」


 織姫は締め括るようにそう言った。


 そこで望月は元々持っていた疑問を織姫にぶつける。


「あの、使えるってことは、俺って空が飛べるんですか?」


 織姫は片眉を上げるに留め、ジャックは「オレっちのライバル出現!?」と訳の分からないことで騒いでいた。


「望月君、本のタイトルだけ教えてくれるかしら、本の内容ではなく、本のタイトルよ」


 まるで危険な物の扱い方を教えるような慎重な面持ちで本のタイトルのみを織姫は強調する。

 望月は言われた通り、自分の中にあるであろう本のタイトルを口にした。


「ピーターパン……」


 と織姫は呟いた。


 そこから、彼女は腕を組み考えるような仕草を見せ始める。


 多かれ少なかれ、望月はその態度によって不安を感じずにはいられない。この謎の本に関して扱いを知ってる目の前の彼女が黙ると、目に見えていた光が突然消えて、暗い森を1人放り出されたような気分に陥った。


 というか、織姫さんって綺麗だな。


 逃走の際も感じた彼女の美貌。まるで天に輝くお月様のような神秘さと不思議さを兼ね備えていて、手を伸ばしても届かないような気さえ思わせる。


 自分はこんなにも惚れっぽい男だったのか疑問に感じた。

 まさか、これも物語の影響?


 望月は自分の感じたものさえ何かの力が働いているんじゃないかと思い始めた。

例えばこの世界を凄いと思っているのとは反対に、大したことはないと言っている自分がいて、それこそが自分のような気になる。


 そんな思考を断ち切るように「分かった」という声が聞こえた。


「このまま1人にしても、またあいつに襲われるだけよね。だから、本の使い方の他にもう1つ提案したいことがあるの」


 提案したいこと? 首を傾げる望月に対して織姫は真っ直ぐ望月の目を見つめて言い放った。


「私があなたの護衛を24時間行うわ」


 え? えええぇっー!?


「えええぇっー!!」


 驚愕の提案をした織姫は、望月の態度が分からないのか「なによ」と言って首を少し傾ける。


「ヒヒヒ、お嬢も大胆になったね~」


 カボチャの笑い声だけが望月の頭に木霊した。

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