これはデートですか?

「望月君なんでいるの? まあいっか、おはようございます!」


 と変わらぬテンションで高岩が近付いてくる。

 わが校の体操着はジャージで、男子は緑で女子が赤だ。特に変わったことはないのだが、高岩は先程まで走っていたのか、顔がほんのりと紅く染まり、上下する胸は控えめながらもしっかりとした存在を主張していた。


「お、おはようございます」


 はにかむ高岩は望月の側までにじりより、腕を後ろで組んで見上げた。


 香水と汗が混じった香りが鼻腔をくすぐりつつ、見下げるとそこには子猫のような愛らしさとは別の、小悪魔めいた笑みを浮かべる高岩。


「今、胸、見てたでしょ?」


「んぐっ!?」


 喉が不自然な音を鳴らした。それは恐らく高岩の耳にも届いており、動揺を知られたということ。


 望月は紳士的な振る舞いを見せようと片言の弁明をしつつ脳の中で会議を開く。が、誰もがコミュニケーション不足なために適切な文句を絞り出すことも出来ず、とうとう望月は降参して認めた。


「はい……見ました」


「ぷふぅ! あはは!」


 可笑しそうに顔をくしゃっと歪め、目尻に涙を留めながら高岩は愉快そうに笑った。


「望月君、普通そこは見てないって言うもんだよ。何で認めちゃうのさ」


「見たのは、事実だし、その……気を悪くさせたなら謝るよ。ごめん」


「ううん、謝んなくて良いよ。望月君って紳士だね、大体は見たとしても見ないって嘘吐くものなのに。望月君ってあれでしょ、嘘で切り抜けられるところを本当の事言って謝って損するタイプ」


 そんなタイプだと自身では思わないが、どうやら選択肢が間違っていたのは事実らしくきっとそうなのだろうと鵜呑みしてしまう。


 高岩はバシッと望月の背中を叩いた。驚いて振り返ると、にぃーッと白い歯を見せながら高岩は笑う。


「ほら、笑って、落ち込むよりは笑おうよ! ほら、にいーって」


「に、にいー……」


「そうそう! そんな感じ」


 あまりこうした笑い方はしないのだけれど、いざしてみると、童心に帰ったような心地になった。


 満足げに見届けた高岩は、うんうんと頷いた。


 その笑顔は春野とは違う、大輪とは逆の小さなものだが、とても可愛らしかった。


「ところで、高岩さんは何で教室に」


「ちょっと忘れ物してね。バックとか着替えは更衣室に置いてあるからきっとここかなって、ほら! あった!」


 高岩は自分の机から手にとってそれを見せてくれる。それはよく高岩の前髪を留めている黄色い果実を模したヘアピン。


 見てみると、確かに今回付いていない。そのせいで彼女の小さいおでこが隠れていた。



「その果物って、なんなの?」


 ふと気になって、聞いてみた。


「杏子だよ、可愛いでしょ」


 ヘアピンに付けられた杏子は、黄色い丸に申し訳程度に付いた緑が合わさって、初めて何かの植物だと気付くレベルだ。


 なので、可愛いよりはそれって何? という疑問が勝る装飾だ。


 しかし、女の子の可愛い文化に疎い望月は、うん可愛いね、と先程の失敗を拾うよう相槌を打つ。


 それで気を良くしてくれたのか、高岩はでしょ! といってその場で踊るように回りだす。


 きっと大切なものだろう、と望月は思った。

 手の中のそれを、大切そうに前髪に付ける彼女の顔が誇らしそうだから。


 高岩は良し! と気合いを入れて教室の戸に手を掛ける。あっ、と言う間の抜けた声。


「交換日記、どうしようか」


「あっ、そうだ」


 今朝、その事について軽く悩んでいたのを忘れていた望月。瞬間的に肩に掛けた鞄から交換日記を出そうとするも、ないことに今さら気付く。


 高岩が、そうだ! といって手を打つ。


「近くに公園があったでしょ。そこに集まろう。今日は体験入部も出来なかったし、今からそこに集まって遊ぼうよ」


「ごめん、今から用事があるんだ。何時に終わるか分からないけど、夕方頃で良いなら交換日記を渡しに行くよ」


「ふぅ~ん、そっか。そうだね、望月君だって何か用事があって来てるんだもんね。分かった。じゃあ、6時頃に公園で会おう、じゃね!」


 そういって、高岩は走り去った。


 望月はふぅーっとため息を吐く、何はともあれ事情を聞かれなかったことが何よりも救いだった。


「終わったかしら」


 凛とした声が、走り去った高岩の戸とは別の戸から発声される。

 引き戸を背にもたれさせてジッーっとこちらを見つめる織姫。


「灯明さん、ごめん。待たせちゃって」


「別に気にしていないわ。学友と仲良くするのを咎める理由なんてないもの」


 さあ、行きましょう、と織姫はその場で踵を返した。


 気のせいか、彼女の眉がピクリと動いていた気がする。



 □■□■□


 結局、校内中を探し回っても狼少年の痕跡は見当たらなかった。


 織姫は夜中にもう一度学校に侵入し、調べるといって、望月の制止の声など耳にせずどこかへと去っていった。


 その頃、時刻は午後5時に迫っていて、望月も裏門から弾き出すように家へと向かった。


 家にあった交換日記を手にして、時刻をチラリと確認する。


 途中でくたびれて徒歩になったため、午後5時半。


「後は歩いて行こう」


 そうして望月は公園へと向かった。




 □■□■□



 腕時計を見ると、時刻は6時に迫っていた。


 辺りはすっかり暗くなり、青みがかった黒い雲を、夕日の金と紅が混じった日差しのカーテンが包み込もうとしている。


 見知った道を、水彩のような儚さで包み込む陽光を遮って、目の前に見えた目的の公園で少女を探した。


「高岩さん? 高岩」


 塗料が剥げた滑り台、鉄の肌を錆び付かせたブランコ、車道に近いためか、粒子の荒い岩石を箱形に削った花壇が、防護柵の様に並べられている。


 小さい公園のために全てを視界に納めるのは容易だった。


 だから、いないことにもすぐ気付く。


「そうだよな、約束って絶対守られるものじゃない」


 中学の時から分かっていることだろう。


 ふと、視界が覆われた。


「え?」


「誰でしょうか」


「高岩さん」


「え? なんで分かったの」


「友達がいないから」


「ここにいるじゃん!」


 視界が解放され、振り向く。


 そこには可愛らしい猫のプリントされた長袖のTシャツにオーバーオールを着込み、大人っぽい雰囲気のブーツと黒いストッキングを履いた高岩がいた。


「へへッ、お待たせ」


 高岩はいつものようにはにかむ笑顔を見せた。


「た、高岩さん」


「どしたの? もしかして寂しかった? そんなわけないか、集合時間は6時だもんね」


 そういえばそうだった。望月は言われて思い出す。

 これではまるで、はしゃぎ過ぎたあまり勘違いしたみたいじゃないか。


 と、望月は耳を赤くして、振り切る様に鞄から交換日記を取り出した。


「はいこれ」


「ありがとう!」


「じゃあ、これで」


「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ!」


 後ろから腕を引っ張られ、軋む痛みに耐えかねた望月は止まって再度振り返る。


 そこには、頬をフグのように膨らませる高岩がいた。

 眉は何故か逆八の字である。


「望月君、鈍感過ぎじゃない」


「鈍感って、何が?」


「女の子がここまでオシャレしたんだよ。何か思わないの?」


「……可愛いね」


「今の全然気持ちが込もってな~い!」



 高岩に腕を揺さぶられる。最近女の子に腕をオモチャにされている気がするのだが、気のせいだろうか?


「これから、アタシと、デートしてもらいます」


「……え?」


「これから! アタシと!」


「聞こえてる! 聞こえてるよ、」


 なぜデート? いつから高岩と恋仲になったのだろう。そんなことを頭の中でぐるぐると思考するが、高岩は弄んだ腕を強く掴み、行こうと人が賑わっている方角へと駆け出した。

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