躍動の休日

 土曜日、望月は部屋の隅っこで交換日記のことを考えていた。


「日記、高岩さんに渡せないな」


 望月が週休2日制をあまり良く思わなかったのは今日が初めてである。

 交換日記は交代しながら書くものなので、土日は学校という当たり前に会うことの出来る場所が無いために2日分の空白が出来る。


 別段、連日して書かなければいけないという使命感があるわけでもなく、書かなければいじめられるなんてネガティブな強迫観念があるわけでもない。


 ただ望月は、鱗雲のある空から差す陽光によって、散らばったビー玉の様に輝く外の風景を見て、素晴らしい日を日記に書き留めれないのは残念だなと思っていたのだ。


「どうしようかな、これ……」


 日記の空白が強調するように日を照り返す。白い揺らめきが主の元へ向かえと言っているように紙の端を振っていた。


 しかし応えることが出来ない。何故なら望月は高岩の住所も、メッセージアプリの登録もしていなかったからだ。


 連絡手段がないことは休日を迎える前から分かっていたのに、土日を迎えてしまったというわけだ。


「はあ……、どうしようかな」


 ピンポーン。電子音の鐘の音が家に響く。想定する来客のために、階段を駆け下り玄関の戸を開いた。


「灯明さん、おはようございます」


「おはようなんて悠長に言ってる場合じゃないわよ」


「え?」


「来て」


 望月はいつの日かと同じく腕を引っ張られる様にして織姫にどこかへと連れていかれる。


「せ、せめて靴履かせてください!」



 □■□■□



「それで、何があったんですか?」


 目の前を凛々しく織姫が進む。カツカツという足音も、自分を急かしているようだった。


「望月君。昨日は何もなかったのよね?」


「え? はい、特に何も……」


「本当に何もなかったのよね?」


「え……」


 なぜ織姫はここまで食い下がってくるのだろう。疑問に感じる望月は、再度昨日の記憶を思い返すが何もなかった。


(強いて言うなら、春野さんから意外な過去を聞いたことぐらいかな)


 望月はやっぱりなにもないです、というと、普段の冷静な声音に微量の不穏を滲ませて、そう、と相槌が返ってくる。


「ところで、どこに向かってるんですか?」


「この道に覚えは?」


 そう言われて、現在辿っている道を見る。


 言われて覚えがあることに気付き、詳しく辺りを見回した。


 若葉を枝先に生やしてゆっくり揺れる木々、所々割れたり隆起している、コンクリートで舗装された道。路側帯になり交通が決して多くない道は白い線が目立つ、体に付いた黒い足跡を見せ付けるように胸を張っているようだ。


 よく知っている道。ただ、そこに1点だけ足りないものがある、そのたった1つがあるかないかで望月にとっての印象は大きく変わる。


「……通学路」


「そうよ、狼少年に出会った道でもある」


「……、学校で、何かあったんですか?」


 狼少年に遭遇したであろう道を過ぎて勘づいた。

 ただ進むだけのこの先が怖い。



 望月の不安など気にも留めぬ織姫。望月の耳には彼女のヒールの音と風の凪ぐ音しか聞こえない。


 やたら遠かった道のりも、鈍感になる距離感も、学校を目の前にして全てが収縮して、その光景に注目することを要求された。




「なんだ……これ」


 目の前に見える校舎全体に、頭の悪そうな落書きがもったりした白い漆喰を覆うように何重と塗りつぶしてあった。


 事の出来事は随分前に起きたのだろう、警察が学校の敷地をまたがって現場の調査を行っている。


 近隣住民と部活の学生も確認できた。皆口々に酷いとか誰がやったのか、など話しているも、その顔は恐怖という統一の色で染め上がっている。


 恐怖に抗う者は怒り、恐怖に怯える者は涙を流すことで感情の波を鎮めようとしていた。


 だが、望月も織姫も、大衆の抱くそれとは別の感情を持って視線の少ない裏門に向かった。


「望月君、君はどう思う」


「……、狼少年、ですよね、絶対」


 金網に沿って2人は歩き、校門と比べて小さい門に辿り着く。


 望月が能力で浮かび上がり、織姫の手を取る。織姫はドアノブに足をかけて軽やかに跳ね、敷地内に着地した。


「まだ狼少年がいるかもしれない、だから私から離れないようにお願いするわ」


「大丈夫ですよ、いざとなったら俺が返り討ちにしちゃいます」


「望月君」


「えっ」


 織姫は望月の両肩を掴み、望月の瞳を覗く。


 変化のない少女の面に、真剣味が少し加わったようで、瞳は動じない。


「これは遊びではないわ、とても危険な事なの。君の言うとおり返り討ちに出来るならしたいわ、でも人が多すぎる。もしまだ彼が何かを隠していて、それが学校の人や近くの人に危害を加えられるものだとしたら、迂闊に近寄ることだって出来ないの」


 だからね、と織姫。


「学校に訪れたのは、彼の能力を調べるためよ。彼が訪れたなら必ず痕跡が残っているはず。もちろん、これが罠という可能性だってあるわ、あんな目立つ落書きをする理由は、今のところ、それぐらいしか考えられないから」


 だから、私の言うことを聞いて、と織姫が言う。それに望月は首を縦に振って応答し、2人で行動することになる。


 先頭を歩く織姫の背中を追おうとして、ふと止まった。


「あれ? さっき、言い淀んだような……」


 ふとした疑問を可憐な少女の背に向ける、けれど、きっとそれは思い過ごしだと思って、歩を進めた。



 □■□■□


「ここが君の教室なの」


「はい、ここでいつも授業を受けています」


 織姫は教卓と担任の机、望月は自分の机を調べていた。


 学校にまで手が伸びたとするなら、この教室にも何か仕掛けたかもしれないという織姫の推理のもと、調査を進める。



 しかし、出てくるものは特におかしな物はなく、望月にいたっては机そのものを調べるためにがさごそと揺らしたり叩いたりしだす。


 その様子を見た織姫は、ため息を吐きつつ望月の側に寄る。


「教室に変化はなかったようね、次は、そうね……落書きされた校舎に向かいましょう」


 がらがらと引き戸を横に滑らせて静かに出ていく。


 いちいち動作が綺麗だなと感心しつつそのあとを追おうとして、呼び止められた。


「えっ? 望月君?」


「えっ?」



 織姫が出ていった戸とは別の戸が開いて、体操着姿の高岩が現れた。


「やっぱり、望月君じゃん!」


 望月は、背中に冷や汗をびっしょり流していた。

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