押し花の花言葉

 翌日の金曜日。天気は優れてなく、分厚い雲が空を覆っていた。


 望月は会話に盛り上がってる集団をそよ風のように過ぎ、いつものようにカボチャの指輪を指から外す。


 ふと、ポケットに入れた指輪とは別の指輪が脳裏を過る。


「そういえば、バーバ・ヤーガさんがくれた指輪にも何かあるのかな」


 髑髏の紋章が刻まれた指輪。不気味な見た目では予想もつかないバーバ・ヤーガからの感謝の品物。


 望月はもらってからずっと肌身離さず持っていたが、指輪の力に注目することはあまりなかった。


 ジャックの指輪の様に、これもバーバ・ヤーガを思い浮かべれば良いのだろうか。


「今度、ジャックさんにでも聞くか」


 校門にいる教師に挨拶をして、教室に向かった。


 □■□■□


 決められた席にそっと座り、鞄から教科書を取り出していると、爽やかな花の香りがした。


 高岩さんだな、と望月は思い、昨日の悪戯に対して、仕返しのつもりでギリギリまで無視することにした。


 声がして、そろそろかなと頃合いを判断し、うわっ! とそちらに叫んだ。


「きゃ!?」


「えっ!?」


 何故自分も驚いているかというと、予想とは違う人物がいたからだ。


 肩まで伸びた髪に、慈悲に満ちた大きな瞳。


 春野さんだった。


「ご、ごめん! 驚かせて」


「ううん、大丈夫、ちょっぴり驚いたけど、全然平気!」


 驚いた表情を普段のやんわりとした笑顔に切り替えていた。

 望月はといえば、立ち直れておらずまだおろおろとしている。


 そんな態度に春野は楽しそうだね、と染みるような声音で紡いだ。


「楽しそう?」


「うん。1週間ぐらい前までずっと1人でボォーっとしてたから、今の望月君見てると何だか嬉しいな」


 そういって、彼女は笑って見せる。


 何故自分が楽しそうにしてると春野は嬉しくなるのか、数学で公式を上手く使えない望月は、因果関係という関係式さえ見出だせない。


 だから、尋ねてしまう。


「春野さんは、何で俺のことをそんなに気にかけてくれるの?」


 春野はいつだって和気あいあいとした集団の中心にいる。蚊帳の外でじっとしている望月とは正反対で、やっぱり気にする理由など思い浮かばない。


 望月にとってそれは、北極の人間が南極の人間を気にしているような構図で描かれている。同じ寒いところにいるからってだけで、様子を見てみたいと思うだろうか。


 春野はにこやかな表情を保ったまま、少しだけ目を潜めて語り始めた。


「実はね、わたし、小学生の頃は、いじめられてたんだ」


 意外な過去に望月は目を見開いていた。


 あの春野さんが、信じられない。


 望月の心を読んだのか、「嘘だと思うでしょ」と、口の端が重い何かで少しだけ下がるのを見て、辛い過去を背負っていることに気付かさせる。


「わたしね、その時に流行ってた映画を観たことがなくて、それでいじめられたの」


 春野の声音は普段と変わらないように聞こえるが、どこか湿ったように聞こえ、今日の天気のようにどこか曇っている。


「変だよね、映画を観たことないってだけでいじめられるの。でも、小さなわたしがおかしいって思ったのは、流行りの映画を観てないわたし自身だったのでした」


 茶化すような語りで、努めて明るく振る舞う春野。


「だから、親に頼んで観たの、けど、その映画の良さが全然分からなくて、皆が興奮する気持ちも分からないのです」


 話し上手な春野は、そして、と興味を惹かせ、結末を見据える。


「映画、観たことを話したら、なんと、いじめられなくなりました。びっくりだよね。でも、本当で、つまらなくても観たってことが大事でね。だから、それ以降流行りものには目を通すようにしたの」


 そしたら、こうなりました。


 ちゃんちゃん。


 騒がしい教室で春野の語りに幕が下ろされる。


 たった1人の観客は、複雑な表情で黙りこくっていた。


「だからかな、1人で寂しそうにしてる望月君を見ると、構ってあげなきゃ、って思っちゃうんだ」


 でももう安心だね。って春野が言う。


 何故そう思うの? 明るい声が教室の戸からやって来た。


「おはようございま~す! おー! 今日もみんな元気だね。アタシも元気だー!」


 と、凄く調子の良さそうな高岩が戸をくぐって何人かに挨拶を交わす。


 春野に次ぐ人気者、高岩。


 姿を見て、ハッと望月は春野の方へ振り向いた。


「うん! 望月君の隣にはあの子がいるし、寂しい思いなんてしないね」


 するよ、と言い掛けた口はホームルームを告げる鐘の音で遮られる。


 自分の席に戻っていく春野の後ろ姿が、酷く遠くに映って見えた。



 □■□■□


 夜、望月は生乾きの頭を掻きながら今朝の出来事を思い返していた。


 春野の意外な過去に呆然とするだけだったが、望月は煮え切らない自分の感情にただただ憤りを感じるのみだった。


 そんなの、気にしなくたって良いよ。と、声を掛ければ良かったのに、望月は一歩手前で踏みとどまってしまった。


「寂しくなんてない、ね……」


 寂しいと言えば良いのに、それもまた一歩手前で止まってしまう。


 思い返せば、自分は踏みとどまってばかりだ。


 中学の時もそうだった。たった一歩の歩みよりを止めたから……。



「いや、そんなの関係ない」


 出窓から外を覗きつつ、交換日記の背表紙を親指で擦って、そっと開いた。


 1つは見知った自分の字。


 もう1つは、可愛らしい丸みを帯びた字、高岩の字だ。


 □■□■□


 5月×日、晴れ。


 今日は天気が良かったので、家の近くを散歩してみました。

 この町って凄いよね。アタシの知らないお店や風景があって何度も驚いちゃった。


 望月君はこの町のことどう思ってる? アタシは好きになりかけてる。特に、橋のある川の近くにたくさん花が咲いていて綺麗だったよ。お気に入りの場所が1つ出来ました!


 それで、綺麗な花だったから、1輪だけとって押し花にしました。


 感想教えてね! 花言葉は「上品」だって。


 □■□■□


 ページの下辺に、紫色の花が平たくテープで貼り付けられていた。


 親切にも矢印で金魚草と書かれている。


 テープで花びらに皺を寄せているものの、美しく咲いていた名残があり、高岩の見た光景をうっすらと浮かべることが出来た。


 望月は曇った表情に微笑を浮かべ、隣の白紙に文字を綴る。


 今日、とある女の子の意外な出来事を知りました。


 その先は、自問自答の様な文が続いた。

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